困惑と旅立ち
「ああ、起きられましたか」
竜司の顔を覗き込む女。
修道服に身を包み、柔和な笑みを浮かべている。
少し意識がはっきりしてくると、自分がベットで横になっていることに気付く。
女の方を向き、上体を起こす。
「あんたは……?」
「ここの教会のシスターを務めております。お節介ながら、教会の前で行き倒れていたあなたを介抱させていただきました」
「行き、倒れ?」
竜司の脳内は混迷を極めた状態になる。
銃弾をモロに喰らったと思ったら無の空間にいて、無の空間にいたと思ったら少女が現れて、少女が現れたと思ったら閃光を直視して悶え、目を開いてみれば知らない天井。
そのうえ自分は行き倒れていたなんて記憶はとんと無い。
「あ、あの俺ぁ――」
「ずっと眠っていたもの、お腹空いたでしょう? 質素な食事ではありますが、ご用意いたしますね」
「いや、そんなことより――」
グウゥ~~
「あらあら、フフッ」
顔から火が出るかと思った。
まだまだ聞きたいことはたくさんあったが、身体は正直なようだ。
大人しく待つことにした。
「お待たせしました。粗末なものではございますが」
ごくりと生つばを呑む。
一枚のプレートに載せられた料理。
それは、ホッカホカのただの蒸かした芋だった。
ちょっとガッカリした。
「い、芋?」
竜司は内心でガッカリしたことをなんとか悟られまいと努力してみる。
上手くはないのだが。
しかし、シスターはそれとは別のところが引っかかったようだ。
「イモ? いえ、こちらはパタタでございます」
「パタ……? いや、どう見てもじゃがいもやないか!」
「じゃが……? もしや異国の言葉でしょうか?」
彼女にとぼけているような様子は見られない。
本当に知らないようだ。
「異国て、ほなここはどこやねん?」
「ここはアーニクシィ大陸の一国、クリオスでございます。あなたのお国はどちらでしょう?」
「クリオス? 聞いたことないな。俺の生まれは日本や」
「二ホン、ですか? それこそ聞いたことありませんね」
「い、いや、そんな訳ないやろ!」
まるで会話が噛み合っていない。言葉にできないもどかしさに歯痒くなる。
相変わらずシスターは竜司が発する初めて耳にする言葉に首を傾げている。
お互いがお互い頭上に大量のクエスチョンマークを浮かべていた。
そこでようやく竜司が閃く。
「せや、地図、世界地図や! お互いそれがあったら分かりやすいやろ!」
「はあ、まあそうですね」
「持ってきてくれへんか!?」
「まあいいですが……」
そういうと彼女は、ベットの向かいにある簡素なタンスを探り始めた。
「あ、ありました」
「見してくれ!」
竜司は慌てて立ち上がり、彼女の側へと駆け寄った。
そして、彼女から手渡された四つ折りの紙を広げて絶句する。
「何やこれ…………」
率直に言って竜司には学がない。
極道の世界を歩むことを幼い頃から心に決めていた。
最後に学校に行ったのは十四歳の春までだったとハッキリ覚えている。
しかし、そんな無学な彼でもこれだけは分かる。
「こ、こんなん見たことないわボケエェェエェ!!」
コレジャナイ、と。
その世界地図は竜司が知っているものとは大きく異なっていた。
大陸の大きさや配置、名前、全てにおいて竜司がいた世界のものではない。
「な、なあ、間違えとるんやないか?」
「あ、そうでしたね」
「や、やっぱり――」
「それは十年前のやつですから、えーっとこれが最新版かな?」
違う、そうじゃない。
「ハッ……まさかこれは夢なんイタイイタイイタイ夢ちゃうわコレ」
あまりに現実離れした出来事に立て続けに襲われた竜司。
夢ではないかという一縷の望みに賭けて三陰交を圧してみたが、感じ取った痛みの分だけ眼が冴えてしまった。夢ではなかった。
ちなみに三陰交とは内くるぶしから大体、指三本分くらい上にあるツボのことである。結構痛い。
「なんなんやコレ……」
これまで血で血を洗うような抗争も、丸腰で複数人を、それも得物持ちを相手取ったとしても無事に生き残ってきた。一度や二度なんてもんじゃない。
潜ってきた修羅場の数が違う。そう自負していた。
しかしこの事態は流石に不測中の不測すぎた。
「どないせえっちゅうねん……」
「あ、あの、それでしたら王都に行ってみてはどうでしょうか?」
「王都?」
あまりに沈んだ表情をしている彼を不憫に思ったのか、シスターが助け舟を出してくれた。
「ええ、王都へ行けば単純に人が多いですから。その二ホンとやらについて教えてくれる人が一人くらいはいらっしゃるかもしれません」
「なるほど! ほな行くわ!」
善は急げとばかりに全速力で出口へ向かう。
「待ってください」
「ん?」
「お食事、まだでしょう? 王都へは馬車を利用しても半日はかかります。空腹で動けなくなってもまた助けには行けませんよ?」
「そうやったわ、忘れてた」
「それとお召し物をまだお返ししていません」
竜司が自分の着ているものに目をやると、それは甚平型の患者着のような服装だった。
丈が大分と足らないようで、肘と膝がほとんど露出している。おそらく子供用の服なのだろう。ピッチピチだ。
怒涛の展開に振り回されっぱなしで、服装など意識の外だったに違いない。
「少々汚れておりましたのでお洗濯しておきました。今持ってきますから」
「スンマセンな」
「いえ、困ったときはお互い様ですから」
彼女の瞳はウソをついていないまっすぐな瞳だと、竜司は直感的にそう思った。
ここにきてようやく平静に戻れた気がした。
グウゥ~~
「落ち着いたら腹減ってきたな……」
すっかり冷めてしまった芋、いや、パタタを頬張る竜司であった。
「味ないやんけ……」
「世話なったな。このご恩は忘れへん」
返してもらった一張羅の白スーツに袖を通し、ついでに腹も満たされた。なぜこのスーツを着て倒れていたのかは分からないが、ここぞという時に好んで着ている。
お気に入りだしそれでいいや。
竜司はもう深く考えられなかった。
「これもご一緒にお返しします」
「おお、助かるわ。大事なモンなんや」
シスターが手渡したのは一本の匕首。
竜司が最期の最後まで手にしていた最愛の得物だった。
壊れ物を扱うようにそっと懐に忍ばせる。
「この道をずっと真っ直ぐに行けば小さな村に着くはずです。これで飢えを凌いでください」
さらに、小さな麻袋に入った小銭まで渡される。
あまりの厚遇にたじろぐ竜司だが、今さらだと思い直し、ありがたい申し出を受ける。
「この義理はきっちり果たす。ほな、またな」
「ええ、お待ちしております。道中お気をつけて」
「おう!」
シスターに背を向け、歩き出す竜司。
「勇者様……」
彼女の呟きは春の陽気に溶けて消えた。
方言補足
「ほな~」→「それなら」、「だったら」
「どないせえっちゅうねん」→「どうしろっていうんだ」