序章
「今日も大漁ですね、親分」
「カッカッカ! 愉快愉快」
とある漁船から降りる男二人組の影。
その見てくれは明らかに一般人の者ではない。
漁師のような胴長やヤッケを着用してはいるものの、その顔立ちには隠し切れない歴戦の傷痕が両人とも刻まれていた。
「いやぁ、毎度毎度悪ぃな竜司。こんな年寄りの趣味に付き合わせちまってよ」
「そんなん言わんとってください! 俺も好きでやってますから」
「こんな出来た息子を持ててワシゃあ幸せもんじゃのう。カッカッカ!」
朗らかな会話を楽しんでいるが、その容姿が容姿だけに周囲の人々は若干引いていた。
竜司と呼ばれた若い男は自分の分と、彼が親分と呼ぶ老人の釣果が詰まったクーラーボックスを両肩に担ぐ。
そのクーラーボックスからは所々、魚の頭がはみ出るほどの内容量であったが、竜司は全く苦になっていないらしく涼しい顔をしていた。
「それでな、竜司。お前に大事な話があるんじゃ」
「話、ですか?」
「ああ、大事な話じゃ」
老人は先程までの好々爺然とした明朗な表情から一転、真剣な面持ちへと変化させた。
突然の予告にキョトンとしてしまう竜司。
しかし、老人が纏う神妙な空気が彼の気持ちを引き締めた。
「何ですか、親分?」
「ああ、実は先日お前を――」
老人が口を開いたその瞬間。
「そん命、もろたでえぇ!」
「んなッ!?」
「はあッ!?」
老人の背後にいた漁師が突然ピストルを懐から取り出し、銃口を老人の額へと向けてきた。
いや、恐らく漁師ではないのだろう。いわゆる鉄砲玉、ヒットマン。
ともかく意表を突かれた二人は、眼前の出来事を理解することが出来なかった。
漁師の姿に扮した鉄砲玉の男が撃鉄を起こす。
そこで老人よりも一足早く事態を飲み込んだ竜司。
しかし、どれだけ頭を回転させてもこの場をしのげる考えは思いつかなかった。
(アカン、このままやと親分が――)
鉄砲玉の男が安全装置を外し、引鉄に指を掛ける。
指に力が込められていく。
(間に合えぇっ!)
担いでいたクーラーボックスを乱暴に地面に落とす。
それと同時に老人を押し退け、鉄砲玉の男めがけ走り出す。
懐に忍ばせていた匕首を抜きながら。
パァン!
乾いた銃声が白昼の漁港に鳴り響く。
「ぐおぉ……」
「竜司!」
放たれた一発の凶弾は竜司の左胸を貫通した。
とめどなく血が溢れ出す。
「まだやっ……!」
「んなっ!」
竜司の鬼気迫る表情に気圧される鉄砲玉の男。
その体が一瞬硬直する。
刹那の好機。
「がああぁぁあぁっッ!!」
「ごふっ……」
男の腹部にその刃を深々と埋めた。
「へへっ、こ、これで、ぐふッ……痛み分けじゃのう……」
男の体が崩れ落ちた。
「これでへばるやなんて、うっ……ヤワな奴や、な……」
「大丈夫か!? 竜司!!」
「た、大したことありませんって……親分こそケガないですか……?」
「喋らんでええ!」
男を始末して安心したのか、竜司もその場で倒れこむ。
多量の血を失った体は最早、その機能を維持することさえ困難になっていた。
(撃たれるってこんな感覚なんやなぁ)
痛覚さえも機能しなくなり、竜司は自分の体のことさえはっきりと感じられなくなっていた。
徐々に視界がぼやけていく。
心なしか自分の体を温かい光が包んでいるように感じた。
「待っとれ、今すぐ医者呼んだるからな!」
「親分……」
「喋んな! 傷が……」
「自分でも分かります。もう助からんって……」
「親おいて先に逝くなや! この親不孝モンが!」
「へへっ、スンマセン……」
段々と視界も暗くなってきた。
耳も遠くなり、老人の声が段々遠ざかっていくように聞こえる。
自分を包む光が段々と濃くなってきた。
いよいよ終わりの時が近いのだと竜司はその回らない頭で思考する。
これが最期だと。
「親分、いや親父、ありがとうな」
「竜司……」
「親父が拾うてくれたから俺は幸せやった。短い人生やったけど楽しかった……」
「待て……! お前がおらんかったらワシは、ワシらの組は……!」
竜司の目からはほとんどの光が失われていた。
自分の体と外界との境目が曖昧になってきた。
しかし、自分の手を握り、自分のために涙を流してくれるこの人のために最後の気力を絞り出す。
「ごめんな、親父。ありがとう」
竜司の生命はその肉体もろとも消失した。
享年十九。
龍田竜司、一発の凶弾によりその若い命を散らす。