第8話:一生一度の「選択肢」
「特別選抜プログラム、か……」
ステラソフィア機甲科校舎の裏。
涼しい風が草木を揺らす。
そんな中、オレは空を眺めていた。
手にはツェラから渡された特別選抜プログラムの資料。
オレは――悩んでいた。
「ヴラベツ?」
不意にかけられた声。
その声にオレは思わず飛び起きる。
「ツェラ!」
「悩んでるの?」
「え?」
ツェラが指さしたのはオレの持っていた特別選抜プログラムの資料だ。
「迷ってなんかない」
きっといつもだったらそう否定していただろう。
けど――
「本当に、オレが参加してもいいのかって思うんだ」
「なんで?」
「オレには実力もない、信念もない――そんなオレが特殊部隊なんて」
あのアネシュカとかいう警備員に言われた。
オレの戦いは装騎任せだと。
それにユウ・ナのように特殊部隊に入る理由や野心なんてものもない。
「ヴラベツは「侵攻者」の迎撃に積極的に出るよね。何故?」
「守りたいから。人でも、街でも、オレの居場所を守りたいから」
「それでいいんじゃない?」
「そうかも、しれないけど……」
「全く、何をさっきからうだうだと!!」
瞬間激しい怒声が響く。
その声にオレは思わず背筋を伸ばしてしまった。
っていうか、今の声、まさか……。
「スズメさん」
ツェラがその名を口にする。
険しい表情にギラギラとした瞳。
歳はもう60を超えたって言うのにやたらと生気を纏ったその姿。
「ババア!?」
「おばあちゃん」
「……おばあちゃん」
「やっぱりおばあさまで」
「いい加減にしろ」
「はいはい」
ばあちゃんが肩をすくめる。
急に出てきたからすっごいビビった。
というか、なんでいるんだこのばあちゃん。
服も……あれはŠÁRKAの制服か?
「特別選抜プログラム。私も関わってるからね」
そうか……ばあちゃんはŽIŽKAの設立にも関わっている。
となれば、ŽIŽKAの特殊部隊を選出する特別選抜プログラムにも関係があるのは当然だった。
だからと言って、もう一線を引いたババアが出てくる必要あるのか?
「私は死ぬまで現役です。寝た切りとか嫌だし」
「死ぬ時も立ったまま死ぬとか言ってたもんな」
「当然」
どこの神話の英雄だよ。
けど、このババアならマジでやりかねないと思うのが物凄いところだ。
「そんな事より、ベチュカも参加するんでしょ? 特別選抜プログラム」
「なっ、それは……」
そりゃそうだ。
ばあちゃんが特別選抜プログラムの為にステラソフィアに呼ばれたのなら、参加者のリストだって目を通しててもおかしくない。
「迷ってるね?」
「……まぁな」
癪だがばあちゃんに隠し事はできない。
「ならやめれば?」
「は?」
「聞けば、ツェラちゃんの推薦みたいじゃないですか。彼女がベチュカのどこを信頼したのか分からないけど、そもそもやる気がないならやめなさい」
「なっ、別にやる気がないってわけじゃ……」
「じゃあ参加しなさい」
ダメだ。
ばあちゃんに乗せられてるのがオレにはわかった。
きっとばあちゃんはツェラのことを信頼してる。
だから、彼女の判断も信じている。
でも――
「オレが参加しても、いいのか?」
「確かにベチュカは実力が無い」
最近自覚してきたこととは言え、改めて人に言われるとムカつくな!
「無鉄砲で策もない」
知ってるよ!
「それでも、素質があると私は思ってるよ」
素質はある。
そんなこと、今まで何度も言われてきた。
それがばあちゃんの口癖みたいなものだったから。
「この戦いでベチュカが成長できるなら――それもいいんじゃないですかね」
「成長できなくて死ぬかも」
「止めて欲しいんですか? 向いてないからやめろ、実力がないからやめろって」
そうなのかもしれない。
それか、「参加しろ」と命令してほしいのかもしれない。
「自分で決めなさい。ベチュカ」
「もしオレが参加するって言ったら、ばあちゃんはどう思う? ばあちゃんとしてのばあちゃんは」
「…………」
ばあちゃんは少し考え込むようにうつむいた。
何を言おうか考えている――わけではない。
ばあちゃんはいつだって自分の意思を、意見を持っている。
そこに揺らぎはない。
ならば迷うことがあるとすれば、それを正直に言っていいのかどうかという所だ。
「参加して欲しくない」
「……っ」
「私はベチュカと同じ年の頃から、色んな戦い……いえ、戦争に参加してきました。たくさんの先輩を、同級生を喪ったことだって。今度は孫もなんて……絶対に嫌です」
マルクト30年戦争と言ったか。
かつて神の国を名乗ったマルクトが周辺諸国に侵略戦争を仕掛けた戦い。
その戦いの終盤にばあちゃんは学徒兵として戦っていたという。
その終わりはマルクト国内の反抗組織による革命というある意味では呆気ないものだった。
けれどその戦いでばあちゃんは多くの学友を失った。
「それに、私みたいになって欲しくないんです。こんな歳になってまであの頃に囚われているような人間に」
それはばあちゃんの切実な思いだった。
その瞳を見ていると、昔のことを思い出す。
ばあちゃん家の地下にそれはあった。
浅黄色で獣脚型の機甲装騎。
「ばあちゃん、スパルロヴ、乗っていい?」
「いいですよ」
オレはいつの頃からかスパルロヴと呼ぶようになっていた。
そう、今乗ってるオレの装騎スパルロヴだ。
装騎を起動させた時に表示されるSPARROWという字を読み間違えたのがきっかけだけど、意地を張り通した結果今でもスパルロヴと呼ぶことになってしまった。
オレはばあちゃんが装騎を弄ってる所を見たり、装騎のシミュレーションをするのが大好きだった。
「ベチュカは素質があるね」
オレのシミュレーションを見たばあちゃんは優しい瞳でいつもそう褒めてくれる。
だから嬉しくって何度も何度もシミュレーションをしていた。
けど今思うと、あの時のおばあちゃんの瞳にあったのはただ優しさだけじゃなかったんだ。
昔の自分とオレを重ねていたのかもしれない。
いつかこうなるんじゃないかと、そう思っていたのかもしれない。
「でもね、ベチュカ。アナタがŽIŽKAに参加すると決めたのなら私は止めません」
ばあちゃんは言った。
「私たちみたいな人を出さないように、できるだけの準備はしました。最大限のサポートもします。ね、ツェラちゃん」
ツェラも頷く。
「それに――少しだけ、嬉しいこともあるんですよ」
「嬉しい?」
「私はインヴェイダーズ戦争――いえ、更にその前からこの戦いに備えて来ました。そして私と、仲間たちの持つ技術とノウハウ――その全てを受け継いだ、この戦いのために作られたのがアナタの乗るスパルロヴ」
装騎スパルロヴがこの戦いのために作られた機甲装騎……。
「私の乗った三号機で私の望んだ平和を孫のベチュカが果たせるなら……それは嬉しいことですね」
「オレに、できるかな」
「それは分からない。でも、スパローの力を最大限に引き出せるのはベチュカ、アナタだと私は思っていますよ」
祖母としての言葉、指揮官としての言葉、個人としての言葉。
ばあちゃんはその全てをオレに吐き出した。
それを聞いた上で決めないといけない。
この戦いに参加するのか、しないのか。
「サエズリ司令。ヒノキ中佐がお見えになってます」
「もう来たんですか!? 相変わらず真面目ですね……」
ŽIŽKAの人に呼ばればあちゃんはオレに背を向ける。
「最後に決めるのはアナタです。後悔しない道を選びなさい」
「ばあちゃんは、後悔したからオレにあんなことを?」
「まさか」
鼻で笑われた。
「色んな事はあった、色んな戦いも経験した――けど、後悔なんて一片もしたことありませんよ!」
本当、このばあちゃんには勝てる気がしない。
「ベチュカ、後悔しない道を進みなさい。これが自分の選択だって胸を張って進める道を!」
オレの後悔しない道を選ぶ。
オレが進みたい道を選ぶ。
それ以上でもそれ以下でもない。
「オレ、参加したい。特別選抜プログラムに」
ばあちゃんの表情は見えない。
けれど、きっと笑っているはずだ。
あのばあちゃんなら。
「意気込みは良いけど、部隊に向かないと思ったらバッサリ落としますよ。覚悟しておきなさい」
「おう!」
「あと、提出書類は通名はダメですよ。ちゃんとシュヴィトジトヴァー・ヴラベチュカで提出しなさい。ツェラちゃんが資料持ってるから」
「お、おう!」
「遠足じゃないんですからね。それくらいはちゃんとわかってますよね?」
「わかってるって!」
「ああ、あと……」
「さ、サエズリ司令……」
「スズメさん、アーデルハイトが困ってる……」
「わかってます! 今、行きますよ! ベチュカ、あるがままでいなさい。いいですね!」
「おう!!」
最後に一言――そう言い残しばあちゃんはその場を立ち去った。
「スズメさん、孫に甘い……」
ツェラがぼやく。
確かに今までもいろいろ厳しいことをたくさん言われたけど、最後はなんだかんだで甘いんだ。
本当、どうしようもないババアだ。
「ヴラベツ、答え、見つけたね」
「ああ。オレはオレの行きたい道を行く。そして――」
そしてもう二度と見たくない。
目の前で少女が死ぬところなんて。
「ヴラベツ――アナタならきっと英雄になれる」
「英雄?」
「わたしは前、ある人に助けられたことがある」
「侵攻者」が頻繁に襲撃してくる現在、そんなことはよくあることだろう。
そもそも、ツェラはオレよりも年下に見える――それなのにŽIŽKAに参加しているのはきっと……。
「その人がどんな人だったのかは――よく分からない。ただ、スパルロヴと同じような浅黄色の装騎だったわ」
その人が――いや、その装騎がツェラの「英雄」。
「でもその人は、ヴラベツとよく似ているような気がするの。だからきっとアナタも――」
「英雄とかは――まぁ、ガラじゃねーけど……ツェラの英雄に、なれるかな」
「なれるわ」
そんな会話を交わして、その日ツェラとは別れた。
後になって思うと、なんかオレ、すっげー恥ずかしいこと言ってる気がする!
なんて寝る前と夜中に目が覚めた後と朝起きた後に悶絶してる間に、特別選抜プログラムの時間がやってきた……。