第八十六話 この手で守り抜いたもの
……気づけば、真っ白な空間で横たわっていた。指一本動かすことができない状況に、死んでしまったのかとも思ったけど……感覚的には、まだ生きている、と思う。
『やはり……この程度の敵にも苦戦するのか』
どこからか、声が聞こえた。聞き覚えのある、男とも女とも取れるような、あの不思議な声。
……調停者が、ここにいるのか?
声の主を探したいけど、わたしは指一本、首を動かすこともできなかった。かろうじて目だけを動かして、周囲の状況を探ることはできたけど、それじゃあ、あいつの姿を見つけることはできなかった。
『しかし……器は順調に育っているようだ。我が主人の見立ては正しかった』
……器? なにを言ってるんだ?
こいつは恐らく、迷宮膨張の時に現れた調停者だろう。こいつの主人とやらは、オルタスフィアで死んだアニュエ・ストランダーを、この世界ネヴェルカナンで、アニュエ・バースとして転生させた張本人だ。
器……もしかして、わたしのことか? この前も言ってたけれど、こいつの主人は、わたしが強くなることを望んでいるらしい。
わたしが強くなって、こいつらになんのメリットがあるんだ? いったい……こいつらの目的はなんなんだ?
『進め、予言の少女。我が主人は、お前の成長を望んでおられる』
待てっ。わたしはまだ、あんたたちに聞きたいことがっ……!!
抵抗虚しく、わたしの意識は再び暗闇に引き摺り込まれ————、
「アニュエっ!!」
————次に目が覚めた時、目の前にいたのは、大粒の涙を流しながら、瞼を赤く腫らした、お姉ちゃんだった。
「おねえ、ちゃん……」
「アニュエっ……良かった、アニュエっっ……」
自分でもびっくりするくらい、枯れた声が出た。いったい、どれくらいの時間気を失っていたのか。
ボスを討伐したあとのボスエリアは酷く静かで、あの死闘が嘘だと思えるくらいに、穏やかだった。
視線を動かすと、その先に、同じように顔を赤くしたアシュレイがいた。泣き出しそうな、安堵したような、そんな微妙な表情で……。
「もうっ、目を覚まさないのかと思ったっ……アニュエまで、死んじゃったのかと思ったっ……!!」
「ごめん、お姉ちゃん……」
お姉ちゃんの頬を流れる涙を拭おうと、手を動かしたけれど、上手く力が入らない。怪我や火傷はもう治っているようだし、折れた骨だってくっついているみたいだけど、疲れが溜まっているからか、ぎこちない動きしかできなかった。
よしよしと、お姉ちゃんの頭を撫でる。すると、堪えていたものが決壊したのか、お姉ちゃんはさらに大号泣しながら、わたしの胸元に飛び込んできた。
やれやれ……これは、少しの間、お小言が増えそうだなぁ……。
* * *
「えっ、丸一日もっ……!?」
アシュレイが、こくりと頷いた。
どうやら、わたしが気絶して……ナイトロードを倒してから、もう丸一日程度経っているらしい。せいぜい数時間程度だと思っていただけに、驚きだ。
そんなに長時間気絶してたのなんて……いつぶりだ? 転生してからは無いはずだし、転生前だって……剣聖を自称するようになってからは、気絶なんてしたことなかったはず。
なんかこう……疲れているのに妙なスッキリ感があるのは、久しぶりに長時間、寝倒したからか。なるほどな。
「うん。むしろ、丸一日で動けるようになってるのが凄い。怪我は治ってるとはいえ、数日は動けなくてもおかしくない」
「そうだよ……」
そういうものなのか。怪我は治癒魔法で完治してるし、あとは精神的な疲労だけなんだから、一日休めば十分だと思うんだけどな。
すると、突然、お姉ちゃんが『がしり』と肩を掴んできた。
「無茶ばっかりして……本当に、もう目を覚まさないのかと思ったんだよっ!?」
「ご、ごめんなさい……はい……」
わたしだって、無茶をしたくてしたわけじゃないのでして。あそこでわたしが勝たなきゃ、三人仲良く全滅だと考えると、どうしても無茶せざるを得ないわけでして……。
「……でも、アニュエが無茶してくれたから、私たちも生きてる」
アシュレイが傍へやってきて、わたしを優しく抱き寄せた。
「ありがとう。あなたには、命を救われた」
それを真似するかのように、お姉ちゃんが反対側から、わたしを抱き締める。
「……生きててくれてありがとう、アニュエ」
……まあ、結果的に三人仲良く生き残ったんだ。過程がどうであれ、その事実は変わらない。『終わりよければすべてよし』って言葉もあるんだ。今回は大目に見てほしい。
「二人も……無事でよかった」
そうして暫く抱き合ったあと、解放されたわたしは、丸一日ぶりに立ち上がる。雷で焼かれた肌も、すっかり元通り。痕が残ったら嫌だなぁ、なんて考えてたけど、綺麗に治ってる。処置が早かったのが幸いしたみたいだ。
ボスエリアの広間は、ナイトロードが倒れた影響で床が砕けていたこと以外、特に変わった様子はない。
気絶していた間に見た、あの夢のような景色。聞こえてきた調停者の声。あれは全部、ただの夢だったのかな。
「それより、わたしが眠ってた間、変なことはなかった? その……変な奴が現れたり、とか」
「変な奴?」
お姉ちゃんとアシュレイが顔を見合わせ、首を横に振る。ここには現れていないのか。となると、ほんとにただの夢だったのか……?
いや……少なくとも、本来は三十層に現れるはずのボス、ナイトロードが五層のボスエリアに現れたことは事実だ。それ自体があり得ないことであって、なんらかの原因があったことは確か。調停者が絡んでいるという予想も、間違ってはいないはず。
それを悟ったアシュレイが、深刻な表情で問いかけてくる。
「もしかして……三十層のナイトロードがここに現れたことと、何か関係してる?」
「まだわかんない。でも、気を失ってる最中に、調停者の声が聞こえたの。もしかすると、奴が小細工をして、ここにナイトロードを召喚したのかも、って」
アシュレイは調停者の存在を知らない。首を傾げるアシュレイに、わたしは調停者を『わたしたちに敵対する謎の存在』と言い換え、話を続けた。
「でも、そんなことができるだなんて……その調停者っていう存在、何者?」
「さあ? わたしたちにわかってるのは、そいつが複数人いるってことと、わたしたちよりも遥かに強大な力を持ってるってことくらい。正体についてはな〜んにもわかってないの」
ほんとは、わたしの転生に関与してる存在の配下だってことはわかってるけど……その辺の話はややこしくなるから、まだ控えておいた方がいいだろう。
でも、そうか。仮にこの事態に調停者が関わっていたとしても、なんの手掛かりもないなら、考えるだけ無駄だな。理由は違うけれど、あいつらがわたしを狙ってることだけは確かだし、こちらから動かなくても、また向こうから接触してくるだろう。
「……あ」
そんな時、お姉ちゃんが不意に声を漏らした。
「ん、なにか思い出した?」
「いや、調停者のことじゃないんだけど……」
お姉ちゃんは、少し離れたところに置いていた荷物の山の中から、黒い棒状の何かを手に取ると、そのままこちらへ持ってきた。
「これ……これだけしか、残ってなくて……」
「……ああ」
それは、粉々に砕かれたアーティスの柄だった。握り潰したタイミングで、どこかへ飛んでいったのか、これだけは無事だったみたいだ。
鍔も、剣身も無くなってしまったアーティスを、お姉ちゃんから受け取った。随分と軽くなったもんだ。
変わり果てた相棒を、ぎゅっと、抱き締める。おじいちゃんに打ってもらったその瞬間から、色んな敵からわたしを守ってくれた相棒。もう、その魂は宿っていないけれど。
「ごめんね……今まで守ってくれて、ありがとう……」
その姿を、二人は心苦しそうに見ていた。特に、お姉ちゃんはこれがおじいちゃんからの贈り物だということを知っている。
「アニュエ……」
「大丈夫だよ。剣は戦いの道具。どれだけ丁寧に使ったって、いずれは壊れちゃうんだから」
観賞用に飾っていたりでもしない限り、いつかはこの時が来る。悲しくはあるけれど、それを恐れるなら、初めから剣として扱ってはいけないから。
アーティスは、剣として最後までわたしを守ってくれた。大往生だ。ナイトロードを倒したことで、その死を無駄にすることもなかった。きっと、喜んでくれていると思う。
「それに、またお守りが増えたと思えば、そう悪いもんじゃないしね。くよくよしたって仕方ないよ」
お父さんから貰った木剣と、おじいちゃんに貰ったアーティス。頼りになるお守りだ。そう考えれば、悪くはない。
「……さて。それじゃあ、元気になったことだし。お姉ちゃんたちは、もういけそう?」
「え……そりゃ、私たちは大丈夫だけど……もう行くの? もう少し休んでからでも……」
お姉ちゃんがわたしを引き止めようとする。が、休息なら十分に取れた。これ以上じっとしていても、体が鈍っちゃう。
「じっとしてるのは性に合わないからさ。それに、もしこれが調停者の仕業ってことは、この先になにかあるのかもしれないでしょ?」
「それは、そうだけど……」
でなけりゃ、わざわざこんな浅い層でナイトロードをけしかけてきた意味がない。夢の中で言っていたことから察するに、あれはわたしの実力を測るために用意した魔物。
だとすると、『わたしの一番望むもの』とやらがこの先にある可能性は高い。いや、そうであってほしい。さすがに、もうあのクラスのボスと戦うのは無理があるからね。
これは引き止めても無駄だ、と判断したのか、アシュレイがわたしの隣に立つ。
「剣がなくて、大丈夫なの?」
「何言ってんの。結局、魔法だけでナイトロードを倒しちゃったんだよ?」
「それもそっか」
そう言って微笑むと、アシュレイはそれ以上なにも言わなかった。
呆れたように、安堵したように、色んな感情のこもったため息をこぼしたお姉ちゃんは、やがて諦めたのか、同じようにわたしの隣に立った。
「……分かった。でも、しんどかったらすぐに言うんだよ? 隠しちゃダメだからね?」
「わかってるわかってる」
「本当に分かってるのかなぁ……」
苦い顔をしてそう言いつつも、目が合うと、困ったように笑うお姉ちゃん。
う〜ん、笑顔が百点満点。守れてよかった、この笑顔。
「それじゃ……先へ進みますか」
広間の奥へ向け、ゆっくりと歩き始めた。調停者が言っていた、わたしの望むものとやらを手に入れるために。
「アニュエ、荷物を置いていくつもり?」
「あっ」
忘れてた。荷物、全部向こうに置いてるんだったな。しまったしまった。




