第七十二話 迷宮膨張-スタンピード-
「『迷宮膨張』です……!」
「馬鹿なっ!? ここ十年、何の動きもなかったんだぞっ!?」
怒声が飛び交う室内。お姉ちゃんはただ混乱しながら、そしてわたしは、『迷宮膨張』という名の持つ意味を考えながら、思考を張り巡らせていた。
……スタンピード。同じ言葉なら、オルタスフィアでも聞いたことがある。主に、魔物や獣たちの異常なまでの大量発生を指す言葉で、その意味するところは『暴走』。二人の会話の内容を聞くに、恐らく、この世界でも意味としてはそれに近いのだろう。
それと、もう一つ。ギルドマスターの、『ここ十年は何の動きもなかった』という言葉。
それが真実だったとして、わたしたちがこの町に訪れたタイミングで、『運悪く』スタンピードが起きる……とても、偶然だとは思えない。
「町にいる探索者を全て集めろ。迷宮内部にいる者も可能な限り呼び戻せっ! 今すぐにだ!」
「は、はいッッ!!!」
ギルドマスターの一声で、アダムはすぐに走り去っていった。
そして、くるりと振り返り、ギルドマスターの視線がわたしたちへと向けられる。そこには、『申し訳なさ』といった感情がほんの少し、込められているように見える。
「……すまない、二人とも。緊急事態だ」
「わかってます。『迷宮膨張』って……要は、大量の魔物が、迷宮から溢れ出してくるってことですよね?」
「ああ……それ自体が起きるのは、実に十五年ぶりだ。ここ最近は、迷宮も落ち着いていたんだが……」
十五年年ぶりの迷宮膨張。やっぱり、何かしらの意図を感じてしまう。
さて、どうしたものか。わたしはこの世界のスタンピードについての知識はないけれど、もし前の世界と同じ規模のものが起こるなら、人手は多いほうが良い。なにせ、迷宮の中にいるはずの魔物が、一斉に外へと溢れ出してくるんだから。
フランジールは多数の探索者を抱える迷宮都市だが、同時に、栄えた商業の町でもある。探索者を相手に商売をする人間が多いから、自然と発展したのだ。だから、戦えない市民だって大勢いる。魔物を抑え込めなければ、少なからず、その市民にも被害が及ぶだろう。
それに……町にはケルティもいる。危険に晒すわけにはいかない。
「アニュエ……」
「うん、わかってる」
お姉ちゃんの目は力強い。お姉ちゃんはここで、魔物と戦うつもりのようだ。当然、わたしだってそう。
それに……わたしたちにとって、損なことばかりでもないだろう。
「わたしたちも戦います、ギルドマスター」
「……本当か?」
わたしがそう言うと、驚いたような、そんな意外な反応だった。
「……ギルドの掟として、二級以上の探索者には、前線で戦ってもらう義務がある。だが……二人はまだ昇級したばかりだ。そこまで強いることはできん」
「町には私たちの友人もいるので。私たちが戦わないと」
「それに、手は多い方がいいでしょ?」
そこまで言うと、ギルドマスターの表情が少し明るくなる。向こうとしても、断る理由はなかった。魔物の数にもよるけれど、人手は多ければ多いほど良い。特に、わたしたちのように、単独で複数の魔物を相手にできるような力を持った人間は。
「……助かる。確かに、お前たちのような者がいれば、戦いも楽になるだろう」
という言葉に、笑顔で答える。
……もちろん、打算があっての、笑顔だ。
「今から下で作戦会議だ。二人も、準備が整ったら降りてきてくれ」
「わかりました」
そう言って、ギルドマスターは階下へと向かった。部屋に二人取り残されたわたしたちは、来るべき決戦に迎え、心の準備を整えていた。
「『迷宮膨張』……十五年ぶりだ、って言ってたよね」
沈黙を破ったのはお姉ちゃんだ。お姉ちゃんの言う通り、迷宮膨張は十五年ぶりのことだ、ここ十年はその兆しもなく安定していた、と、ギルドマスターは言っていた。
「うん、言ってたね」
「それって、偶然……なのかな?」
どうやら、お姉ちゃんもわたしと同じ結論に辿り着いたようだ。
あまりにも、出来すぎている。ただの偶然だ、と片付けるよりは、誰かの思惑があってのことだ、と考えた方が納得も早い。
「……今はまだ、なんとも」
だけど、確証はない。ほんとに、ただの偶然だという可能性だってある。それは実際に戦いが始まらなければわからないことだ。
でも……。
「もしかすると、『奴』が現れるかもしれない。覚悟だけはしておいて、お姉ちゃん」
お姉ちゃんは緊張したような固い表情で頷く。
「行こう。あまり遅れると、作戦を聞き逃しちゃう」
差し出した手を、お姉ちゃんが握る。わたしたちは一緒に、ギルドマスターの後を追って、階下へと向かった。
* * *
——ダァァンッ!!
と、いう轟音がギルド内に響き渡る。なにかを叩いたような、ぶち壊したような、そんな音だ。
その音の主は、額や腕に無数の血管を浮かび上がらせたギルドマスター。元から逆立っている赤毛をさらに逆立たせ、ギルド内にある、普段なら探索者への依頼や伝言などが貼ってあるメッセージボードを叩いていたのだ。
現在、メッセージボードには様々な殴り書きがなされた町の地図が貼り出されている。ギルドに集まった探索者たちは、その地図に目を釘付けにしながら、ギルドマスターの放つ言葉に耳を傾けていた。
「皆、よく集まってくれた! ここに集まった者は既に聞いているだろうが、迷宮膨張だっ! 十五年ぶりの迷宮膨張が起こった!!」
集まった探索者たちの表情は、これまで見てきた中で最も険しい。いつもは面白おかしく騒いでいる人も多いけど、今日は誰一人としていない。
「敵の勢力など、まだ分からない点も多いが……町を、大切な人を守るためだ。皆、力を貸して欲しい」
そう言って、ギルドマスターが頭を下げる。深々と。それに文句を言える奴なんているはずもなく、皆が皆、戦う意思を見せ、雄叫びをあげていた。
「肝心の作戦だが、これが初の迷宮膨張となる者もいる。時間もない、一度で全て頭に入れてくれ」
面を上げたギルドマスターは、それから、迷宮膨張を撃退すべく、地図を用いて作戦の説明を始めた。
まず、参加が強制される者。これはこの町に住む、探索者資格を持つ者たち全員だ。その中でいくつか分割がなされ、一級、および二級探索者は最前線で魔物の討伐。三級探索者は後方で、支援や、必要に応じて前線での戦闘。そして、四級探索者は市民の避難誘導。わたしたちは二級探索者だから、最前線での戦闘が割り振られる。
今回迷宮膨張が起きたのは四迷宮の一つである『森の迷宮』。四迷宮の中では最も難易度が高いとされているが、それは内部構造の複雑さや死角の多さからで、出現する魔物はそれほど特異で強力なものではない。
が、油断は禁物だ。特別強力なものではないといっても、下層部に生息するというオーガや、毒を持った一部の魔物は、時に一級探索者でさえも手を焼くとされている。
また、迷宮膨張自体の規模も、まだ把握が進んでいない。どれだけの魔物が、どれくらいの時間をかけて溢れ出してくるのか。以前起きた迷宮膨張とは違い、調査が難航しているらしい。
(……思ったより情報が少ないな。わたしたち、森の迷宮には挑んだことないし……)
こんなことなら、一度でも森の迷宮に挑んでおけばよかった、と今になって後悔する。今更言っても遅いことだけど。
それよりなにより不安なのは、またここに『調停者』が現れないかどうか、だ。奴はわたしの行く先々に現れるし、なにより、今のわたしじゃ敵わないほど強い。わたしがオルタスフィアのアニュエ・ストランダーだということも知っているし、奴自身もオルタスフィアの人間だ。
あの時は、不思議な力で助かった。けど、今回も同じだとは限らない。あの時の力の出所がわからない以上、それを切り札にして頼ることはできないだろう。
この迷宮膨張が……ただの偶然であることを、祈りたい。
「各自持ち場につけ! 市民に被害を出すなっ!」
森の迷宮を囲うように、大勢の探索者が集まっていた。その先頭に立つのはギルドマスターであるネルガ・ラングウェー。武器も持たずに指揮をとっていた。
調査の結果、魔物たちはもう間もなく迷宮から溢れ出す予定だ。もうじき、ここは戦場になる。周囲の探索者も、ぴりぴりとした緊迫感を隠せずにいた。
「アニュエ、オリビア」
突然、後ろから声をかけられる。この声は……アシュレイだ。
「アシュレイ? どうしたの?」
「二人の様子が気になって。町に来たばかりだから、断ることもできたのに」
どうやら、わたしたちのことが心配で声をかけてくれたらしい、順調に、友好関係を築けているみたいだ。
「断りませんよ。皆が戦っているのに、私たちだけ逃げるなんて、できるわけないじゃないですか」
「そうそう。肝心な時に逃げ出しちゃうようじゃ、強くなったって意味がないからね」
「……そう。二人は、えらいね。怖くて逃げ出す探索者だっているのに」
迷宮膨張が起こった時は、全探索者が強制的に集められるはずだったけど……そうか。それでも逃げ出す人はいるのか。
わからないでもない。一体でも恐ろしい魔物が、数え切れないほど現れるんだ。むしろ、正常な判断ができるなら、逃げ出すはず。
……いや、だからこそ、ギルドマスターも逃げた探索者を無理矢理集めることをしないのかも。人間の本能なんだ、仕方ない。
でも、少なくとも、わたしたちは逃げちゃダメだ。町にはケルティもいるし、この数日でお世話になった人がたくさんいる。わたしたち二人がいることで、少しでも町への被害が減るなら、戦わなければならない。
それに、人間、いつかは『逃げられない時』がくるんだ。逃げてばかりで逃げ癖がついてしまえば、いざという時に困ってしまう。
「アシュレイも最前線だよね。気を付けて」
「絶対に、死なないでくださいね」
「分かってる。二人も、気を付けてね」
三人で突き出した拳を合わせ、アシュレイは去っていった。担当する区域が違うのだ。わたしとお姉ちゃんはこの辺りで同じ区域の担当だから、逸れなければ互いに支援することができる。
——そして、その時がやってきた。
「……来るぞ。迷宮膨張だ」
迷宮から、ただならぬ気配が溢れ出してくる。戦うしかない。できるだけ多くの人を……守るんだ。




