第六十七話 遺跡の迷宮
翌朝。わたしとお姉ちゃんは二人で、フランジールに四つある迷宮のうち、難易度的に言えばその中間に属する迷宮……通称、『遺跡の迷宮』へとやってきた。
理由は二つ。
一つ。わたしたちの目標である二大迷宮の難易度は、四迷宮の比ではない。罠の数も、魔物の数も、その強さも、四迷宮とは比べ物にならない。今のうちから罠や魔物に慣れておくため、敢えて簡単な迷宮からは挑まない。
二つ。かと言って、最も難しいとされる『森の迷宮』に挑むのも無謀である。わたしはともかく、お姉ちゃんは『魔物』と呼ばれる存在との戦闘には慣れていない。学園では生徒や先生ばかりを相手にしていたし、旅の最中も、せいぜい野生の獣を相手にしていたくらいだ。
魔物は、野生の獣よりも凶暴で、種によっては高い知性を宿している。慣れていない人間をその中に放り込めば、間違いなく即死だ。
ただ、お姉ちゃんのそもそもの戦闘能力の高さから、最も簡単だという『洞窟の迷宮』では役不足だろうと判断した。そこは一度遺跡の迷宮に挑んでみて、後々考えるとしよう。
遺跡の迷宮表層に現れる魔物は、大きく分けて三種。
一種目。尖った耳と潰れた鼻、緑の皮膚に小さな体。群れで行動し、ある意味では厄介ともされる『ゴブリン』。
二種目。半透明な肉体に小さな核。核を壊さない限りは不死である『スライム』。
三種目。ゴブリンの亜種であり、赤い皮膚を持った『レッドゴブリン』。
稀に中層に現れる『オーク』なども餌を求めてやってくるらしいが、ほんとにごく稀なことらしい。四級探索者は奴らを見かけたら、戦わずに逃げろ、と教わるとのことだ。
このうち、三級昇格のために必要な討伐数は、ゴブリン三十体、スライム二十匹、それからレッドゴブリンが十五体。少ないと思うかもしれないが、まずこれだけの数を探すことが大変なのだ。迷宮には当然、わたしたち以外の探索者もいる。獲物の奪い合いになるだろう。
これを、二人分。計百三十の魔物を倒さなくてはならない。迷宮で出現する魔物の数がどれほどかは分からないが、アシュレイめ。一日二日でこれを終わらせるのは至難の業だぞ。
「お姉ちゃん、準備はいい?」
「うん、ばっちり」
剣帯の緩み、無し。防具に破損も無し。弱い魔物しか現れないからといって、気を抜くことはできない。それは、お姉ちゃんにもしつこく伝えてあった。
……行こう。気が緩んでしまわないうちに。
「……くっら」
長い階段を抜け、遺跡の迷宮内部に侵入したわたしが、真っ先に抱いた感想がそれ。前情報でも教えられていたけど、確かにこれは、たいまつが必要になる暗さだった。
お姉ちゃんの方を見て目が合い、お互いに頷くと、それぞれが持っているたいまつに魔法で火を灯す。薄暗かった遺跡内部が、ほんのりと、温かみを帯びた炎で照らされていく。
「さて……進もっか、お姉ちゃん。背中はお願い」
「任せて」
わたしが前を行き、お姉ちゃんには背中を預ける。といっても、魔物が近付けばその気配で気付くだろうけど。
遺跡は暗く、ほどほどに狭い。人三人が横並びで歩けるか、歩けないかくらい。天井は大人がジャンプしても余裕がある程度には高いから、剣を振り下ろす分には困らないだろう。
まあ、広すぎるよりはいいだろう。適度に狭い方が、一度に迫り来る敵も少なくて済む。その分、剣を振り回すときには気を付けなくちゃいけないけど、チビで腕が短いのが幸いした。
さてさて。わたしたち四級探索者が探索できるのは、この遺跡の迷宮第五階層まで。それ以降は三級探索者にならないと挑むことができない。どうせだから、降りられるところまで降りてみようと思う。理想を言えば、その過程で目標数の魔物を倒しておきたい。
そして、この遺跡の迷宮を含む四迷宮は……主要通路は既に地図化されている。まだ発見されていない隠し部屋もあるだろうと言われているけど、第五階層まで降りるための道筋は、全て地図に書いてあった。
「でもまあ、頼りきりってのも訓練にならないし……」
一応、地図はもらっておいたが……有事の際以外には使わないようにしよう。訓練のために挑んでいるんだし。
たいまつで通路の先を照らしながら、どんどんと進んでいく。まだ魔物とは遭遇していない。他の探索者とも、魔物の死体とも出会していない。この階層には誰もいないみたいだ。
「……思ってたよりいないね、魔物」
「うん。安全なのは良いことだけど……数が少なすぎるのも考えものだね」
安全なのは良いことだ。悪いことではない。ただ、試験のことを考えると、少なすぎても日数がかかるだけだし、困る話だ。層を跨げば魔物の数も増えるかもしれないし……今はとにかく、黙って先へ進むしかないな。
「……ちょっと待った」
手を挙げ、進もうとするお姉ちゃんを静止させた。前方に見える曲がり角の先に、生物の気配を感じたからだ。
微かに聞こえる、喉を鳴らして出したような不快な鳴き声。似たような音なら、オルタスフィアで何度も聞いたことがある。
「構えて。多分、ゴブリンだ」
「……!」
お姉ちゃんが即座に剣を抜き、構えた。同じように、わたしも柄に手を添えた。敵の数いかんによっては、わたしは手を出さず、お姉ちゃんの実戦訓練といきたいところだけど……さて、何匹いる?
「ゲヒャッ……ギヒッ……」
薄暗い通路の先を慎重に覗くと、そこには緑色の小さな異形の者がいた。間違いない。ゴブリンだ。この世界でもゴブリンはゴブリンらしい見た目をしているらしい。
数は……暗くて正確には把握できないけど、恐らく四体。初戦で四体と同時に戦うのは、お姉ちゃんにはまだ荷が重いだろう。二体はわたしが受け持つか。今ならまだわたしたちに気付いていないし、ここから魔法で不意打ちをすれば仕留められる。たぶん、四体全部仕留めることも可能だろうけど、それじゃお姉ちゃんの訓練にならないしな。
「お姉ちゃん、初めての魔物戦はあのゴブリンにしよう。わたしが魔法で半分まで数を減らすから、残りの半分と戦ってみて」
「わ、分かった……!
小声でお姉ちゃんに伝え、魔法の構築を始める。狭い遺跡の中で炎の魔法はご法度。迷宮は崩れてもある程度自己修復するらしいけど、巻き添えを食らう可能性もあるから、あまり威力の高すぎる魔法も禁止。
そうなると……氷の槍辺りが妥当か。
「貫け」
指先から放たれた、二本の小さな氷の槍が、ゴブリンの頭部を正確に撃ち貫く。それぞれ一体ずつゴブリンを仕留めると、近くにいた残りのゴブリンが、漸くこちらに気が付いた。
数は、やはり四体。今ので二体は仕留めたから、残り二体。
ゴブリンの姿を確認すると、お姉ちゃんが奴らの前に姿を見せる。不意打ちをすることもできただろうけど、訓練のためか。敢えて真っ向から立ち向かうらしい。
奴らの武器は、木を削っただけの棍棒。一見すると子供のおもちゃのようにも見えるが、あれで殴られれば大人でもタダでは済まない。
(さて……お姉ちゃん、初めての魔物相手にどれだけやれるかな……)
調停者の黒いスライムとも互角に戦っていたくらいだし、単純な戦闘力で言えばお姉ちゃんに負ける要素はないだろう。ただし、お姉ちゃんにとってはこれが初の魔物との戦闘。緊張して全力を出せない可能性もある。
ちゃきり、と、お姉ちゃんが剣を構えた。炎の魔法は厳禁。次に得意な風の魔法と剣術だけで、ここを乗り切らなければならない。
「ギヒェッ!」
先に動き出したのはゴブリンだった。棍棒を掲げながら、無策にも突撃するゴブリンたち。さて、これを避けるのは簡単だけど……。
お姉ちゃんの背中を見つめていると、その姿が一瞬にしてブレた。お姉ちゃんはその高い身体能力で、地面が抉れるほどの加速を付け、ゴブリンに迫ったのだ。
決着は一瞬だ。まずはわたしたちから見て右側にいたゴブリンの首を刎ね、そのまま剣を切り返して、棍棒ごともう一体のゴブリンの体を斜めに斬り裂いた。
時間にして数秒の話。お姉ちゃんの初の対魔物戦は、たったそれだけの時間で終結した。
「……ぅわーぉ」
思っていたより……あっさりやりおる。いや、お姉ちゃんの強さを考えれば、この程度は余裕なのかもしれないけど、それでもここまであっさりと決められるとは思わなかった。
お姉ちゃんは汗をかくこともなく、特に息を切らした様子も見せずに、ゆっくりと振り返ると、なにか驚いたような表情で頬を掻いた。
「……勝てた、よね?」
「うん、ばっちり。さすがはお姉ちゃん。学園で有名なだけあるね」
まあ、勝てるなら勝てるで、なんの問題もない。むしろ、ここで緊張してゴブリンに負けるようなことがあっては、余計な足踏みをしてしまう恐れがあった。結果オーライ、なにも問題はない。
わたしたちはそれぞれ、討伐した四体のゴブリンから、剣で左耳を切り取る。ゴブリン種の討伐証明部位は、その左耳。種族によっては肌の色が違ったり、特殊なアクセサリーをしていたり。それが左耳を見るだけで分かるから、ここが証明部位になるのだろう。
切り取った左耳を素材袋に放り込んで、先へ進む。まずは二体。出だしとして順調かどうかはさておき、お姉ちゃんの強さが再確認できたのはよかった。この調子で、どんどん奥へ進んでいくとしよう。




