第六十三話 雪鬼
「シッッ……!」
アシュレイのレイピアの切先が、わたしの頬を掠る。たらりと血が流れている感覚があった。向こうのペースに呑まれるとまずい。
「槍となりて貫けっ、アイシクルランスッ!」
「んっ……」
追撃を拒むように、相手の眼前に氷の槍を生成する。それが命中する寸前。アシュレイは追撃を諦め、身を捩ってそれを回避した。
そこへ、続け様に二度、斬りつける。細身のレイピアでわたしの一撃を受け止めるのは自殺行為。向こうには、剣身でいなすか、避けるしか選択肢がない。
現段階で、速度は互角。奴はわたしの攻撃を、踊っているかのように軽やかに躱している。涼しい顔をしながら、アシュレイは攻撃の機会を窺っているようだった。
くそ、ちょこまかとっ……だったら、避けきれない速度で斬ればいいだけの話だ。
(神速剣っ……!)
斬撃の速度に、風の爆発を乗せる。これまでの攻撃の何倍もの速度で放たれた一撃を……しかし、アシュレイは避けてみせた。
(うそでしょっ!?)
退いて躱した。無傷では済まなかったようで、片口にうっすらと血が滲んでいる。だけど、軽傷だ。
こいつ……どうなってんだよ。
わたしの驚きは、アシュレイが神速剣を躱したこと自体にあるのではない。攻撃を避け、退く直前……こいつが、神速剣の初動を目で見て動いたところにある。
こいつ、神速剣を直感や予測ではなく、目で認識してから避けやがった。そんなことされたの初めてだ。予測を立てて避けてきた奴ならいたけど……動体視力どうなってんだ? 人間やめてないか?
「……ん、危なかった」
「危なかったってあんたね……目視で避けられたのは初めてだよ……」
「私じゃなかったら死んでた。気をつけた方が良い」
「あ、ごめん」
そうだ。今の、こいつが避けたからなんともなかったけど、当たってたら死んでた。黒いスライムといいクレインといい調停者といい、最近命が懸かった戦いばかりしていたから、こういう模擬戦の時に感覚が狂って困るな。
かと言って、中途半端に手加減して勝てる相手でもない。どうするか。
そんな風に悩んでいると、動かないわたしを見かねたアシュレイが口を開いた。
「いいよ、全力で。私もそうするから」
「あんた……あとで文句言わないでよ?」
全力で、か。『私もそうする』ってことは……今までのは全力じゃなかったってことだな。お互い、相手の実力を測るために手加減してたってことか。
アシュレイの許可も出たわけだし……やるか、全力で。
わたしは足に力を込め、前傾姿勢をとる。そして、渾身の力で踏み込み、駆け出した。剣は既に突きの姿勢に入っていて、相手がアシュレイでなければこの一撃で仕留められただろう。
突き出された剣を、レイピアの剣身を使って、器用に滑らせるアシュレイ。ぎりぎりと金属が擦れ合う不快な音が響き、火花が散った。
アシュレイと、目が合う。この目は……仕掛けてくる奴の目だ。
次の瞬間。細身のレイピアで弾かれ、わたしは姿勢を崩した。そこへ、横殴りの雨のように、激しい突きが繰り出される。
「氷の盾っ……」
姿勢の関係で、アーティスで防ぐことはできない。大きな壁を作り出すにも時間が足りない。わたしは咄嗟に、氷の盾を生成して左手で構えた。
そこへ、強い衝撃が何度も訪れる。詠唱魔法……と見せかけ、書き換えで作り出した盾だ。強度には自信があった。迫り来る刺突は盾を貫くことはなかったが、さすがにこのまま防御し続けていてはいずれ崩される。
攻撃を防ぎながらも姿勢を整え、反撃に出る。シールドバッシュの要領で、奴の突きを氷の盾で弾く。攻撃が一瞬止んだその隙に、邪魔な盾を捨て横薙ぎに剣を振るった。
入った。この姿勢から躱すことはできまい。このままじゃクリーンヒットだから、当たった瞬間に剣を止める。殺すのは無しだ。そう思っていた。
「氷の盾」
アシュレイから、わたしが発したのと同じ詠唱が聞こえてくる。決まると思っていたその一撃は、その詠唱で生み出された氷の盾によって、惜しくも防がれてしまった。
こいつ……なんか人の神経を逆撫でするようなことするよなぁっ……! 同じようなやり方で防ぎやがって……!
「我は氷上の踊り子。氷の精霊よ、その力を賜りて」
「くそっ……! なんだっ……!?」
追撃をしようとしたが、氷の盾を構えたままのアシュレイが、なにやら魔法の詠唱を始めた。内容からどんなものなのかが想像できない。こういうところ、こっちの世界の魔法は個人で詠唱を作り出せるから厄介だ。
だが、なんにせよこの距離はまずい。攻撃魔法なら直撃だ。わたしは追撃を断念し、一時撤退を試みた。奴の魔法が発動したのは、わたしが撤退を開始したその直後のことだ。
「フリーズライド」
盾を手放したアシュレイが、屈んで、自らの足に手を添えている。すると、奴の足とその真下の地面が、パキパキと音を立てて凍っていく。
そうか……こいつ、最初は水色の髪と、その腕の良さから『雪鬼』って呼ばれてるのかと思ったけど、単に氷の魔法が得意だからそう呼ばれてたのか。じゃあ『氷鬼』って名前にしててくれよ。
「いくよ、アニュエ・バース」
そう言ったアシュレイの姿が、歪んで消えた。
いや、違う。高速で移動しただけだ。今までの動きなんて比にならないくらいの速さで。
見れば、アシュレイの足下の地面が、奴の移動に合わせて少しずつ凍っていた。そうか、あれで滑って高速移動を可能にしてるってわけか。幸い、氷の持続時間は長くないらしく、移動経路の氷はすぐに溶けているけど……シンプルだけど、面倒臭そうな魔法だな。
「厄介なっ……炎よ、地を這い覆い、全てを焼き尽くせっ!」
左手を地面につき、魔法を発動。本かなにかで読んだ魔法。名前はグラウンドフレイム、だったか。詠唱は適当。発動は書き換えで行っている。
炎はわたしの手から地面へ燃え広がり、凄まじい勢いでアシュレイに迫っていく。これで溶かせたら楽だったが……そう簡単にもいかない。普通に考えて、炎が燃え広がる前に逃げるに決まっている。
『我は氷上の踊り子』か。まさしくその言葉の示す通り。アシュレイは凍らせた地面の上を軽やかに滑っていた。
しかも、直線的ではなく、曲線的な動き。故に、捉えづらい動きをしている。これが殺し合いなら範囲魔法を放てば終わりだが、生憎、今それをすれば周りのみんなを巻き込んでしまう。
「っ……!」
ぐるぐると、残像が見えるほどの速度でわたしの周りを回転するアシュレイから、一際強い殺気が放たれる。直後、視界の端に捉えたアシュレイが、一瞬のうちに接近し、レイピアを突き出していた。
「うおっ……ぉっ!?」
殺気を感じ取った瞬間にその場を離脱したおかげで、一撃目は回避することができた。アシュレイはそのまま止まることなく貫き通すと、再び同じように周回し始めた。
なるほど、そういう戦法か。ああやって周回しながら、予備動作無しで攻撃に転じる。わたしも、連続で避けられるかどうかは怪しいところだ。にしても、よく目が回らないな、あれ。
だけど、あの速度で攻撃してくる以上……攻撃のその瞬間は、直線的な動きになる。移動中の動きを捉えるには少し広範囲の魔法が必要になるけど、攻撃を仕掛けてくる瞬間なら、カウンター技を仕掛ければ捉えられる。
ちょうどいい。ここ最近使ってなかったからなまってるが、わたしにだってカウンター技の一つくらい持ち合わせがある。ここいらで使っておくとしよう。
心を静め、脱力する。空気の波を読み、その僅かな揺らぎから攻撃のタイミングを測り、反撃を仕掛ける技。こうやって無防備な状態で集中しなければ使えない技だけど、今みたいな状況にはうってつけだ。
(……まだだ)
まだ、仕掛けてこない。気持ちを急かせてはダメだ。確実に、相手の攻撃に合わせて。
なんてことはない。見えない攻撃や奇襲には慣れている。ただ動きが速いだけの相手なら、これまでにも沢山いた。
(……動きが変わった……)
アシュレイの動きに、少し変化がある。そろそろ、仕掛けてくるようだ。自分ではその小さな変化を意識してないつもりだろうが……筋肉の強張りだとか、ほんの少しの息遣いの変化だとか。そういうものを完全に消し去ることは難しい。
来る。間違いない。
息を吐きながら、剣を持つ手に力を込めた。奴の攻撃に合わせてカウンターを決め、制圧する。怪我はさせない。これは殺し合いではなく試験だ。剣を弾き飛ばし、それで終わりとする。
波が少しずつ揺れ始め、アシュレイの一撃が近いことを知らせてくれる。ちょうど、肺の中に溜まっていた空気を吐き切った頃……空気が、大きく揺らいだ。
しかし、波を切り裂きながら飛来したのは、アシュレイのレイピア——ではなく、レイピアを模した氷柱だった。
こいつ……わたしが反撃を仕掛けてくることを読んでいたのか。敢えてタイミングをずらすように、先に氷柱を飛ばしたってわけか。
わたしは至って冷静にそれを躱すと、その奥、すぐ後方の上空に控えていたアシュレイを睨みつけ、剣を振るった。
『はぁぁぁっっ!』
二人して、模擬戦闘だということを忘れさせるくらいに鬼気迫った表情で叫び、その剣が交差しようとした——その時だ。
「そこまでェッ!」
びりびりと、叫び声が空気に乗って、空気を激しく揺らしながら、わたしたちの体を鞭打った。思わず剣を振るうその手が止まり、宙にいたアシュレイも、その振動で落下の衝撃が殺され、ぴたりと静止していた。
どさり。
支えもないアシュレイは胸から地面に落ち、情けない姿で伸びた。
「ふにゅ……」
「な、なにっ……?」
なんだ、今の声。バカみたいに大きな声だった。
見れば、他の二組の戦闘も中断され、待機列の人間も一様に耳を塞いでいた。その声の主を探すと……一人、いる。およそ普通の人間とは思えないほど、巨大な体躯。髪が長く、胸が膨らんでいるから、恐らく女ではあるだろうが、正直バランスの悪い男だと言われた方が納得のいきそうな人物が。
つんつんと尖った赤毛に、ぱんぱんに膨らんだ二の腕。太っているわけではなく、全身、筋肉で詰まっていそうな肉体。なんだ、あの人間離れした人間。
そんな女が、分かりやすく、再び息を吸う。思わず、耳を塞いでしまった。
「アシュレイ・ラングウェーッ! そこの栗色の髪の女の子二人を連れてギルドマスター室へ来いッッ!」
耳塞いでんのに内容が丸聞こえだ。栗色の髪の女の子……っつうと、わたしたちか。アシュレイとわたしたちがご指名のようだ。というか、あの女の人、誰なんだろう。ギルドマスター室……ってことは、このギルドのギルドマスターか?
ダウンしていたアシュレイはゆっくりと起き上がると、レイピアを拾って納刀する。そして、服に付いた砂埃を払いながら、わたしに言った。
「……ついてきて。無視すると、殺される」
「う、うん……」
真顔でそんなこと言うなよ、怖いだろ。無視するつもりもないけどさ。あんな化け物じみた奴、誰が無視するんだよ。
なにがなんだかよく分からないが……今は、ついていくしかなさそうだ。まだ死にたくないし。




