第六十一話 母の願い
「お母さんっ!」
倒れるお母さんのもとへ駆け寄る。お姉ちゃんが治癒魔法をかけてはいたが、胸の傷は塞がっていなかった。
「アニュエ、ダメっ……傷が、塞がらないのっ……!」
「わたしも手伝うから、頑張ってお姉ちゃんっ!」
ここで残りのマナ全てを使い果たしてもいい。なんとかこの傷さえ塞ぐことができれば、命を繋ぐことはできるはずだ。
お母さんに触れ、体内のマナを書き換えていく。二人で治療を始めると、少しずつ傷は塞がっていくが、やはり、完治はしない。
(どうしてっ……!? 魔法に問題はないのにっ……!)
魔法自体は問題なく発動している。本来であれば、これで傷は癒えるはずだ。
それが回復しないということは……可能性は二つ。一つは、対象者が魔法を拒んでいる場合。もう一つは、対象者の生命力が著しく低下し、魔法で活性化するための治癒能力がそもそも備わっていない場合。
お母さんが魔法を拒んでいるという可能性は低い。ならば、必然的に、もう一つの可能性に絞られてしまう。
「そんなっ……お母さんっ、だめだよ……こんなところで、死んじゃだめだよっ……!」
昨日の傷と、それから具合が悪そうだったこと。お母さんの生命力自体がなんらかの原因で低下していた。
そこへ、調停者のあの一撃。お母さんはもはや、治癒魔法程度では回復しない領域まで弱っていた。
なんとか傷を塞ごうと、お姉ちゃんと二人、必死で魔法をかけ続けた。少し塞がったかと思うと、それまで塞がっていた傷が、次の瞬間には開いて鮮血が飛び散る。
「ダメよ、アニュエ、オリビア。お母さんはもう……助からないみたいだから」
「なんでっ!? なんでっ、そんなこと言うのっ……!?」
「そうだよ、ママっ……絶対、助けるからっ!」
お母さんが、わたしたち二人の手を握る。昔のお母さんからは考えられないほど、弱々しい。こんなに弱っている状態で、わたしを助けにきてくれたのか。わたしを助けるために、無茶をしてくれたのか。
尚も治癒魔法をかけ続けていると、やがて、お母さんがゆっくりと首を横に振る。それが意味するところを、わたしたちは理解したくなかった。
「ねえ、アニュエ、オリビア……」
「なに、お母さんっ……どうしたのっ……?」
それを理解しようとすると、途端に胸が苦しくなった。頭がいっぱいになって、なにも考えられなくなって、目から涙が溢れて止まらなくなった。
握られた手を、力いっぱい握り返した。お母さんがほんの少し、微笑んだような気がした。
「……話してほしいって、言ってたよね」
「これまでのことっ……? そんなの、助かったらいくらでも話せるじゃんっ!」
「私の口から、話しておきたいの」
その口ぶりから察するに……お母さんも、死神が目の前まで来ていることには気付いている。助からない。ならばせめて、これまでのことを自分の口から話したい。
だめだ。お母さんが助からないなんて、そんなことをわたしたちが認めちゃいけないんだ。理解しちゃいけないんだ。絶対に助けてみせる。そう信じなくちゃいけないんだ。
けれど、お母さんは話すことを願っている。娘としての役目は、果たしてどっちなんだろう。
ここでもし、お母さんの話を聞いてしまったら……なんだか、お母さんはどこか遠くへ行ってしまうような気がする。境界線は、ちょうどここなんだ。
「そんなのっ……そんなのっっ……!!」
わたしたちは、お母さんの最期の話を聞くために、ここまで頑張ってきたわけじゃない。お母さんとまた幸せに暮らすために、ここまでやってきたんだ。
「お願い……たとえこの胸の傷が塞がっても、お母さんはもう長くは生きられないの」
それでも尚、わたしは認めたくなかった。けれど、そんな時……お姉ちゃんが、わたしの手に自分の手を重ねてきたんだ。
お姉ちゃんの目にも、涙が浮かんでいる。きっと、わたしと同じことを考えている。わたしと同じで、お母さんが助からない、なんてことを認めたくはないはずだ。
だけど……。
「アニュエ……ごめんっ……私じゃ、ママの傷は治せないっ……」
「お姉ちゃん……」
泣きながら、認めた。わたしたちの力じゃ、お母さんを助けることはできない。絶対に助けると誓ったのに、この現実を前にして、わたしたちはあまりにも無力なのだということを。
わたしも……認めなきゃいけないのか? お母さんを助けられないって。
「……分かった。お母さん、聞くよ。全部」
「……ありがとう」
吐き出しそうになるのを、必死に堪えた。言葉を一つ紡ぐたび、それと一緒に嗚咽しそうになった。
お母さんは安らかな表情で、わたしたちの手を握ったまま、言葉を並べ始めた。胸にぽっかりと穴が空いているとは思わせないほど、落ち着いていた。
「お母さんはね。ある病に蝕まれているの」
「病……?」
「ええ。人工的に生み出された病。感染した人間は……例外なく、死に至る」
それは、お母さんの体調が芳しくなかったことの説明だった。それがこれまでの件とどう繋がるのかはまだ分からないけれど、一つはっきりとしたことがある。
この傷を治したところで意味がない。長くは生きられない、というお母さんの言葉は、いずれ病で死に至ることを知っていたからだ。
「この病の恐ろしいところはね、死ぬことじゃない。死んだ後も動き続けて、人を襲ってしまうこと」
「……それって」
わたしは、お姉ちゃんと顔を見合わせた。
理由は一つ。その症状に、妙に聞き覚えがあったからだ。感染した人間は死に、死後、その体は生ける屍となって人を襲い始める。
病は人から人へと感染し、主な感染経路は、生ける屍となった人間の体液を体内に取り込んでしまうこと。
知っている。病の元凶は人の肉体を離れると生きてはいけず、生ける屍となった肉体が破壊され、活動を停止すると共に終わりを迎える。
故に、一度感染が広がれば、生ける屍となった人間全員をもう一度殺さない限り、国一つが滅びてしまうような事態となる。
……ああ、知っている。わたしもお姉ちゃんも、その話を『手紙』で読んだんだから。
「……アーストン」
「……どこで知ったの?」
「お母さんの手紙。アーストンって国の小さな村を滅ぼすことになったって」
お母さんは驚いた様子だった。わたしたち二人が知っているとは思わなかったんだろう。
当時、お母さんは村で流行したその病を止めることができなかった。だから、炎で村を焼き尽くしてしまった。
それが最善。屍を破壊すれば、それ以上感染が広がることはない。暫くすれば、病の元凶も活動を止め、事態は収束するだろう。
結果的に言えば、色んな要因が重なって、今はもう、地図にはアーストンなんて国は載っていないわけだけど……。
「……あれ……?」
なにか、心の中に引っかかりのようなものが生まれた。
その病は人工的に生み出されたものだ、とお母さんは言った。歴史書を見る限り、そんな凶悪な病が流行ったのは、アーストンでの一件限りだ。病を誰が生み出したのか、なんの目的でそんなことをしたのか……その一切が語られていない。
いや、そもそもそれが人工的な病だなんてこと、わたしたちは知らなかった。だからこそ、あまり気にも留めていなかったんだ。図書館で本を読んでいてもそんな記載はなかったし、何者かによってその事実が隠蔽されたと考えるのが正しいだろう。
だとしたら、その事実を隠蔽したのは誰か。小さな組織ではない。もっと大きな、それこそ国家級の組織。
そして、そんなことができそうな奴らのうちの一人が、今回の件にも関わっている。お母さんが話してくれたちっぽけなヒントで、次々と、埋まらなかったピースが埋まっていく。
……あ。
「ぁっ……ぁぁあああっっ……!」
なんで、今まで気付かなかったんだ。ヒントはあったのに。まさしくそれこそが、答えだったのに。
「あ、アニュエっ、どうしたの!?」
「お姉ちゃん、わたしたち……最初から、答えを知ってたんだっ……!」
どうして、この二つが結び付かなかったんだ。おじいちゃんから貰った手紙を読んだ時点で、可能性を考えておくべきだったのに。
そうだ。お母さんは過去にも村を滅ぼしている。アーストンの小さな村を、病の拡大を防ぐために滅ぼしてるじゃないかっ……!
「お母さんっ……クレインが、ヴェガ村に病をばら撒いたんだねっ……!?」
わたしがそう告げると、お母さんはゆっくりと頷いた。
そうか……だからあの男は村にいたんだ。あの男が病を生み出したのか、それとも帝国の誰かが生み出した病をあいつが利用したのか。帝国ほどの規模になれば、小国で起きた問題の一つや二つを揉み消すことは可能だろうし、お母さんの糾弾をなにか理由をつけて躱すことだってできるだろう。
あるいは、アーストンが滅んだ本当の原因は、帝国が手を下したからなのかもしれない。
生ける屍だって、恐らくは軍事利用のため。クレインがわたしをしつこく勧誘したこともそうだし、最悪死体になっても手に入れば問題ない、って発言も、感染させて生ける屍にすることを見越してのものだったんだろう。
「な、なんでっ……!? なんでヴェガ村にっ……!」
「それはっ……」
……思い当たるものといえば、二つ。ただ、どちらも同じ人物に対してのものだから、実質一つか。
他の村にはなくて、あの村にはあるもの。いや、『いた人』。クレインの言動から考えて、奴の狙いは……。
「……あの男は、私を狙ってきたの。私の力が欲しかったみたいね」
わたしが答えを出すより前に、お母さんがそう言葉にした。おおむね、わたしの予想通りの内容だ。
かつては『煉獄の花姫』と呼ばれたほどの英雄。最終的な目的は分からないが、クレインの目当てが『戦力となる人間』だったのだとしたら、お母さんはまさしく適任だ。
「勿論断ったわ。あの男のしたことは許せない。前回は取り逃したけれど、今日こそは仕留める……そう思ってた」
「けど……奴はまた、前と同じ手を用意してた。そうでしょ?」
お母さんがまたも頷く。お母さんが奴の提案を飲むはずがない。奴はそれを分かっていて、断られる前提で用意を進めていただろう。
「私にはね。アーストンの件もあって、体の中に病に対する抵抗があったの。だから、前回は発症しなかった」
「じゃあ、今回は……?」
「あの男も、全く同じものは通用しないって分かってたんでしょうね。だから、改良したものを用意していた」
『……これ、はっ……!?』
家から飛び出したクレインを追いかけた私は、思わず目を疑ってしまった。村のあちこちで、凶暴化した村の人間が、同じ村の人間を襲っていたからだ。
一見、異様とも言えるその光景。けれど、私はそれと似た光景を、以前にも一度見たことがある。
『まさか、あの男っ……!』
かつて、無力が故に救えず、この手で滅ぼしてしまった村がある。人々はある病で死に絶え、そして、命なき者として再び動き始める。この光景は、あの時と同じだ。
白目を剥き、おおよそ一般的な人間とはかけ離れた動きをするものが、他の村人に噛みつき、噛みつかれたものはそれと同じ命なき者に成り果てる。
ここは、地獄だ。
事の元凶であるクレインは、私が飛び出す直前に家を出たはずなのに、その姿が見当たらない。しかし、メッセージだけはしっかりと残されていた。
『選べ。さもなくば犠牲が増えるだけだ』
民家の壁に、刃物で彫られたようなメッセージ。あの男のことだから、風の魔法で書いたのだろう。
あの男は……クレイン・ダートフォートは、かつて一つの村を死者の村へと変えてしまったあの病を、この村にもばら撒いたというのか。
『……アニュエ、イングっ……』
二人は今、家にはいない。アニュエは朝からザックくんと遊びに出掛けているし、イングは仕事の関係で村を離れている。けれど、二人が戻ってくるのも時間の問題だろう。
……私は、最低な人間だ。
発症した人間を救うことはできない。彼らは例外なく死に、その後も人を襲い続ける。確実に殺さなければならない。
ならば、せめてイングとアニュエだけは……あの二人だけは、何としてでも助けたい。村の人たち全員を犠牲にしてでも、愛する家族を助けたいと思ってしまった。
『……クレイン。あなたは、また私に人を殺させるのねっ……』
煉獄の花姫という名を捨て、ただの『ラタニア・バース』としてこの村に移り住んだ。もう、この手で誰かを殺めることなんてないと思っていた。
だけど、やっぱり……私は、運命には抗えないのか。『赤の集落』に生まれ、人として生きることを決めた時から、私に幸せな結末なんて待っていないというのか。
……覚悟を決めるしかない。再びこの手を汚すことで家族を守れるというのなら、私は手に入れた平穏も、家族以外の何もかも、全てを投げ打ってでも戦ってみせよう。
そのためには、装備が必要だ。クレインはどこかで様子を見ているはず。全盛期に比べて力の弱まってしまった私では、装備無しで戦うことはできない。
父さんたちに返すかどうか悩んだ挙句、結局は手元に置いていたかつての相棒たち。家の地下室、家族の誰も知らない隠し倉庫にそれはある。
私は急いで家の中へ引き返し、隠し扉から地下の倉庫へ向かう。重い扉を開くと、埃っぽい空気が鼻を突いた。
『……久しぶり』
薄暗い部屋に佇む、赤いフードと巨大な鎌を携えた人形。この子たちと顔を合わせるのは、一体いつぶりだろう。
人形からフードを脱がせ、羽織る。体型もいくらかは変わったかと思うけれど、不思議とサイズはぴったりだった。
『ごめんね。もう一度……私に力を貸して』
鎌を手に取り、倉庫を後にする。二人が帰ってくる前に、私が何とかしなければ。
クレインのもたらしたあの病は、発症した人間の体液を取り込むことで感染する。傷口から奴らの返り血を浴びたり、噛まれて唾液を取り込むことでも感染してしまう。
だから、近接戦闘は避けなければならない。前回村を滅ぼした時も、一度村全体を炎で包んでから、僅かに残った死体の処理をしたのみだ。
家を出ると、周囲の状況はさらに悪化していた。少なくとも家の近辺に生きている人間はいない。皆、生ける屍と化していた。
『……酷い光景』
一体、どういう生き方をしてきたらこんなに惨いことができるのか。私には、到底想像もつかない。
彼らを助けることはできない。ならば、せめて一思いに葬ってあげるしかない。
そう考え、私は鎌を構えた。屍となった人々は、多少の身体能力の向上はあるものの、一般人が屍となった程度ではそれほどの脅威にはならない。
……油断していた、というのが本心だ。前回の経験があるから、前回の知識があるから。だからこそ、私は彼らを、前回の屍と同じようなものだと考えてしまっていた。
『……っ! 様子がおかしいっ……!?』
家から現れた私を見て、屍たちがおかしな動きを取り始める。動き、ではなく、体そのものに変化が起きていた。肉体が膨張し、筋肉の塊のようなものへと姿を変え始めていたのだ。
前は……あんな姿にはならなかった。あの男、まさか病を改良してさらに凶悪なものにしたのか……!
だとしたら、まずい。私にはあの病に対する抵抗がある。だから、多少の体液摂取では感染しない。
だが、それさえも克服したのだとしたら。私とて無事では済まない。
肉体を変異させた屍たちが、続々と集結し始める。やるなら、今だ。
『舞え、紅蓮の花っ……』
起句を唱えると、炎の花弁が現れる。さらに詠唱を派生させ、屍の群れに向けて炎の渦を放った。
人の肉は、よく燃える。炎を放っただけで、最も容易く。
群れていた屍たちは悲鳴をあげながら燃え、炎の渦が消えると、焼け焦げた死体ばかりがそこに残されていた。
このままここにいては、今の音で集まってきた屍に囲まれてしまう。移動しながら戦わないと。
『……ごめんなさい、皆』
長年暮らし、助け合って生きてきた村の人間を手にかける罪悪感。家族を守るためには仕方がないと、自分に言い聞かせる罪悪感。色んな罪悪感に押し潰され、私は、周りが見えなくなっていた。
……気付かなかった。私は、すぐそばまで這い寄ってきたそれに、気付けなかった。
『……いづっ……!』
突如足に走る激痛。見れば、私の死角から這い寄ってきていた女の屍が、私の右足に噛み付いていた。この人は……仲の良い村の人だ。
『まずっ……!?』
傷口から感染する。そう思った次の瞬間、仲が良かったはずの彼女の顔を蹴り飛ばしていた。彼女は丁度その後ろにあった、私たちの家の扉を破って中へ飛んでいき、苦しそうに呻いていた。
私たち家族の家。だけど、こうなってはもう仕方がない。どのみち、ここで暮らすことはできないのだ。
私は花弁を一つ家に差し向け、内部で巨大化させる。家族の思い出が詰まった大切な家から、みるみるうちに黒煙が上がり、炎に包まれていく。
思い出が、消えていくような気がした。炎と、煙と一緒に、この家で暮らしてきた思い出までもが、天に昇って消えていくような。そんな感じがした。
(……噛まれた)
屍となった村人に、足を噛まれた。体液を取り込んでしまったかは分からないが、もし、奴らの感染力が私の抵抗力を超えてくるとするなら……私も、いずれ同じ運命を辿ることになるだろう。
発症してから死ぬまでの時間は人によって様々。ただし、一時間以上生き残った人は見たことがない。それ以上生き残り、体調に変化がなければ、感染していないと考えていいだろう。
……分からない。今はまだ。
『……それでも、やるしかっ……』
『……ラタニア?』
次から次へと、問題が起きる。幻聴がした気がした。それはここにはまだいないはずの……イングの声だ。
『……あなた?』
『ラタニア……やっぱり、ラタニアなのかっ……!?』
目の前に、あの人がいた。今はまだ村にはいないはずなのに……なんで、ここにっ……。
『あなた、どうしてここに……!』
『予定が変わって早く帰ってきたんだっ……ラタニア、どうしてこんなことにっ……!?』
『……ごめんなさいっ、あなた……私のせいで、こんなことにっ……!』
イングが駆け寄ってくる。しかし、その腕に不自然な赤い模様がある。
赤い模様、ではない。あれは、誰かの血だ。
『……あなた、その腕は?』
『分からないんだっ……暴れ回ってる奴に突然噛まれてっ……』
その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
噛まれた。
イングは確かに、そう言った。
見れば、僅かに顔色が悪い。呼吸も速く、浅い。発症した時の、屍となる前の症状に似ている。
イングは……間違いない。彼は、感染してしまった。もう、助からない。
「ごめんなさい、アニュエっ……辛いものを、見せてっ……オリビア、お父さんを奪って、ごめんなさいっ……」
だから、お母さんは……お父さんを殺したのか。あの時、お父さんが祈るような格好をしていたのは、相手がお母さんだったから。全てを知って、全てを受け入れて、お母さんに殺される道を選んだからか。
「ま、ママはっ……悪くないよっ……悪いのは、そのクレインって男なんでしょっっ!?」
「でもっ! 私はっ、村の人を殺して、二人からお父さんまで奪って……何一つ、守れなかったのっ!!」
残り少ない命を振り絞って、お母さんが叫ぶ。
家族だけは守ると誓って、他の人々を犠牲にし、その家族さえも手にかけた。
話してはくれてないけど、きっと……ここに来るまで、お母さんはずっと罪悪感に苛まれていたんだと思う。だからたった一人でクレインを追いかけ、殺そうとしていた。
……そんな、そんな辛いことが……あって、たまるかよっ……。
わたしは思わず……苦しむお母さんに、抱きついてしまった。いや、苦しんでいたのはわたしの方かもしれない。とにかく、お母さんの温もりが恋しかった。
「アニュエ、ダメっ……」
「だめじゃない」
感染するかもしれない。そんな危険性は顧みず、わたしはお母さんから離れなかった。
「病とか屍とか、そんなのどうだっていい。感染したら、その時は自分でケリをつける。だから……だから、今は甘えさせてよ、お母さん……」
「っ……」
触れ合ったら感染するかもしれないとか、感染したら死んでしまうとか。今はそんなこと、些細な問題でしかなかった。
お母さんは、もう助からないんだ。甘えられるのは、これが最後なんだ。
その様子を見ていたお姉ちゃんも、同じようにお母さんに抱きついた。お母さんは戸惑いながら、けれど、ゆっくりと抱き締めてくれる。
「アニュエ、オリビアっ……」
「ママっ……!」
お母さんの温もりが、懐かしい。昔は、よくこうして抱き締めてもらったっけ。色々とありすぎて、忘れてしまっていた。
「ごめんっ、ごめんねっ……もっと、こうして抱き締めてあげたかったっ……!」
「……抱き締めてよ。お母さん、これからもずっと、わたしたちと一緒にいてよっ……!」
これが最後だなんて、認めたくない。
けれど、時の流れというのは常に無情なものだ。終わりの時は、刻一刻と近付いていた。
「二人とも……お願いがあるの」
わたしたちを抱き締めたまま、お母さんがそう告げた。
その先は、予想がつく。聞きたくない。思わず耳を塞ぎそうになった。塞ぎたかった。何も聞かず、このままお母さんと朽ち果てるのも良いかと、本気で考えてしまった。
わたしたちを抱き締めていたお母さんの手から、力が抜ける。反対に、力のこもった眼差しで、お母さんはわたしたちを見つめていた。
「このまま放っておけば、私は死んだ後も無様に動き続ける。人を襲ってしまう。だから……お願い。お母さんを、殺して」
予想通りの、最後のお願いだった。
「いやっ……いやだよっ! ママ、治す方法を見つけようっ!? ママを殺すなんてっ……いやだっ!」
その言葉を聞いた瞬間、お姉ちゃんが発狂する。そりゃそうだ。わたしだって、狂ってしまいそうになるのを必死に堪えている。狂った方が楽になると分かっているけれど、わたしが狂ったら……お姉ちゃんはきっと、お母さんの願いを叶えてあげられないから。
「……治す方法はあるかもしれない。あの男は私の血を浴びることに躊躇いがなかった。きっと、薬か何かがあるんだと思う」
「じゃあっ……!」
確かに、薬でもなければ、クレインはお母さんと戦うことを避けたはずだ。だとしたら、治療薬か、そもそも感染しないようにする薬かなにかがあるのかもしれない。
だけど……それはあくまで『可能性』の話。別の方法で感染を避けているのかもしれないし、感染を防ぐ薬なら今から使っても意味がない。
「けど、保証はない。それに……もう間に合わないわ」
「そんな……諦めちゃダメだよっ……私はっ……!」
お姉ちゃんは涙を堪えきれていなかった。ずっと、滝のように流れ続けている。
そんなお姉ちゃんを落ち着かせるかのように、お母さんは優しい声で告げる。
「お母さん、死んでまであの男の手先になるのは……嫌なんだ」
にこりと、微笑むお母さん。そうか。お母さんはもう、覚悟してるんだ。死を受け入れる準備ができてるんだ。
……わたしたちがすべきことは、なんだ。このまま、お母さんと共に朽ち果てることか。それとも、お母さんを殺さずに野に放ち、無差別に人を襲う化け物にしてしまうことか。
あるいは……ここで願いを聞き届け、お父さんのもとへ送り届けることか。
「……お姉ちゃん、どいて」
「アニュエっ!?」
立ち上がり、涙を拭いた。お姉ちゃんが驚いた表情でこちらを見つめる。
「お母さんは、わたしたちが信じていた通りのお母さんだった。優しいままのお母さんだった。だから……わたしは、最後のお願いを叶えてあげたい」
「ダメだよっ! ママだよっ!? 折角会えたのにっ……また、会えたのにっ……!」
お姉ちゃんがわたしの足元に抱きついた。これ以上、なにもさせないつもりだろう。
「わたしは……お母さんには、優しいままのお母さんでいてほしい。化け物になったお母さんなんて見たくない」
「でもっ……!」
「お姉ちゃんっっ!」
尚も退こうとしないお姉ちゃんに、思わず声を荒げた。
「わたしの覚悟が揺らぐ前に、そこをどいてよ……お願いだからさ……」
拭ったはずの涙が、また溢れてきた。これ以上ここで立ち止まっていると、覚悟が揺らいでしまいそうになる。
その呼びかけがきっかけだったのか、それとも。わたしの足を掴んで、頑として離さないとしていたお姉ちゃんが、ゆっくりと力を抜いていく。
わたしはお母さんの元へ歩み寄り、その頬へキスをした。これが、最後の温もりだ。お母さんを感じることができる、最後の機会だ。
マナはもう枯渇した。普段なら簡単な魔法一つ撃てやしないだろう。だけど、わたしの体は、わたしの覚悟の邪魔をするような空気の読めない奴ではなかった。
あと一度。一度だけでいい。お母さんを、天高くにいるお父さんのもとへと。
お母さんから距離をとる。お姉ちゃんは、肩に手を置くとよろめきながら離れてくれた。
今までの思い出が、次々と頭に浮かんでくる。家族で暮らした日々が、笑いあって幸せに生きてきた日々が。
大丈夫。わたしたちは大丈夫だからさ。きっと、立ち直って生きていくから。だから、どうか安心して。
「……さようなら、お母さん」
幸せそうな表情で眠るお母さんに向け、わたしは、炎を放った。
『ラタニア……俺と、結婚してくれ』
プロポーズの日。格好付けた言葉なんてなくて、あなたらしかった。
『名前は……オリビアにしよう。君に似て、可愛い子に育つぞ』
初めて子供が産まれた。あなたは、泣き喚いてるオリビアに慌てふためいてた。
『産まれたっ!? アニュエが産まれたって!?』
二人目の子供が産まれた。あなたは仕事で村を出ていたのに、大慌てで帰ってきてくれた。
『ほぅら、父さんからの誕生日プレゼントだ!』
あなたはいつも、不思議と子供たちが一番欲しがっていたものをあげていた。子供たちのことを、本当によく理解してくれていた。
『オリビアが……オリビアが行っちまったよ、ラタニア……』
オリビアが入学のために町へ出てしまうと、あなたは三日三晩寂しがっていた。本当に、あなたらしかった。
あなたとの思い出が、いくつも甦ってくる。けれど、そのどれもが幸せな思い出。あなたと出会って、あなたを好きになって、あなたと結婚して……後悔したことは、一度だってなかった。
『……ラタニア。君をずっと、愛してる』
最後の最後まで、あなたはそう言ってくれた。あの時、何も言い返せなかった私を……どうか、許してください。
『許すに決まってるだろ。愛してるんだから』
はっとなって振り返る。そこには、ちっとも変わらない彼の姿があった。
『随分早いな。あと七十年くらいは待つつもりだったんだけど』
『……っ、ごめんなさい。あなたが寂しがってるかと思って……』
声が震えた。会いたかった。ずっとあなたに、会いたかった。
この手で殺めてしまった最愛の人。ずっとあなたに、謝りたかった。
『ごめんなさいっ……私が、皆を不幸にしたっ……』
そう言った私の頬に、そっと手が添えられる。彼は怒るでもなく、ただ優しい笑みを浮かべていた。
『俺は……君と出会えて幸せだったよ。むしろ、君を幸せにできたのか不安なくらいだ』
『っ……私は、あなたと出会えてっ……幸せでしたっ……』
涙が溢れる。ああ、私は……本当に、私には勿体無いくらい素敵な人に愛されていたんだ。
『……行こう、ラタニア』
『ええ……あなた』
差し出された手を取ると、私たちは、ゆっくりと光へ向けて歩き出した。
次回、剣聖ちゃんネクストステージ、第1部エピローグ




