第五十九話 二つの炎、二人の覚悟
* * *
学園の騒ぎで、犯人の生徒が使ったっていう黒いスライム……恐らく、目の前のこいつがそうなんだろう。アニュエの話では、あの時は犯人の体に纏わりついて戦っていたという話だけど、どうにも、今戦っているこいつからは人の気配が感じられない。
いや。戦い方はまさしく人間そのもの。だけど、生気が感じられないというか。前は中の人の意識もあったらしいけど、今はうんともすんとも言わない。
あの時とは別物……それとも、本来は人間を取り込む必要なんてない?
「うくっ、速いっ……!」
……無駄なことを考えている余裕はないか。こいつは強い。今まで戦ってきたどの敵よりも速く、やりづらい相手だ。
剣に炎を纏う魔法、ブレイズエッジ。これのおかげで相手の体を斬り裂くことは容易い。もしかすると、使っていなくても斬れるのかもしれない。
だけど、スライムの体は斬ったそばから再生していく。分断された部位が形を失って本体へと合流し、また新たな部位として生え変わるのだ。
(このままじゃキリがない……)
アニュエは対処法として『潰せ』と言っていた。点や線ではなく、面で攻撃しろと。
けど、剣を使ってそれをするのは難しい。魔法でやろうにも、大地を動かすような魔法は苦手だ。理屈が今一つ分かっていないから。
高い火力で焼き尽くしてしまうか……最初のファイアトーネードを平気な顔で耐えていたところを見ると、相当な火力でないとこいつを滅ぼすのは無理だ。そんな火力、今の私には出せない。
アニュエもママも、二人とも目の前の敵と戦っていて余裕がない。
(……違う。私はアニュエを助けにきたんだ。助けを求めようとしてどうする)
私がこいつを倒さなければ、二人がもっと不利な状況になってしまう。そんなことは許さない。
潰す、潰す……何か、良い方法は……。
(……風?)
ふと、ママと戦っている敵の方へ意識がいった。あの男は風の魔法が得意なようだ。風を圧縮し、小さな砲弾にしてはママに撃ち出している。
……そうか。風を集めて圧縮すれば、それであいつの体を潰せるかもしれない。成功するかどうかは分からないけど、試してみる価値はあるだろう。
私はスライムの剣をいなし、躱しながら詠唱を構築した。炎の魔法と風の魔法は相性が良い。風の魔法なら、それなりの威力のものを放てる。後は、どんな魔法を使うのか、それを言霊にのせるだけだ。
「風の精霊よっ。暴風集いて槌となり、彼の者を叩き潰せ!」
炎の魔法ほど風の魔法に慣れていない私は、隙を突いてスライムの両腕を切り飛ばすと、一旦ブレイズエッジを解除した。
「エア……ハンマァァッ!」
風の槌を二つ生成し、それぞれ斬り落としたスライムの腕に向けて放つ。魔法は凄まじい風音をあげながらスライムの腕を叩き潰し、小さな悲鳴があがった。
エアハンマーを解除すると、そこには叩き潰れ、液体のようになったスライムの両腕があった。
(よしっ……!)
上手くいった。腕を潰せたのは大きい。この調子でこいつ本体も……。
この時、オリビアは……いや、アニュエでさえ、気が付いていなかった。この黒いスライムの弱点が、『叩き潰す』という点ではなかったことに。
爆弾魔騒ぎの犯人と戦った際、アニュエは確かにその腕を斬り飛ばし、大地を抉って潰すことで破壊した。
しかしそれは、『中に人間がいた』からこそ。あの時、黒いスライムの腕は潰れたのではない。触媒となる人間の腕が潰れたからこそ、鎧としての腕を維持できなかった。
故に、調停者は学ばせた。オリビアの予感は正しかった。今回、このスライムの内部に人間はいない。人間がおらずとも、人型となれるよう、学ばせたのだ。内部に人間がいないのであれば、潰される生身の腕も存在しない。
このことに、オリビアは気が付かなかった。いや、予想さえできなかっただろう。
両腕を失ったスライムに斬りかかる。再びブレイズエッジを展開し、今度はその大きな体を二つにしてやる。
……そう思った矢先だった。
「っ!?」
両腕を失ったはずのスライムから、にゅるりと、新たな腕が生えてきたのだ。
そんなはずは……確かに、腕は潰したのに。
加速していて止まれなかった。スライムの剣が、もう眼前まで迫っている。避けられない。間に合わない。
(なんとかっ、逸らしてっ……!)
振り下ろしていた剣を強引に引き戻し、スライムの剣の軌道に滑り込ませる。無傷とまではいかなくても、なんとか即死だけは避けるように。
——ざしゅっ、という音がして、身を引き千切られるような痛みに襲われる。
「ぁっ……ぁぁあっ、いだっ……ぃぃっ……!!」
けれど、無傷ではなかった。左の肩口から斬り込まれた剣は、そのまま鎖骨の辺りまで食い込んだ。今まで味わったことのないような痛みが、全身を駆け巡る。
少し遠のきそうになった意識を強引に引き戻し、転がりながら距離をとる。
(だ、だめっ……逃げちゃ、だめなのにっ……!)
あいつを倒さなくちゃ。でないとアニュエたちが危ない。
頭では分かっているのに、体が自ずと逃走を選んでしまう。遠くへ、できるだけ遠くへと、腕を動かしてしまう。
とにかく、早く傷を塞がないと。このままじゃ、血を流しすぎて意識がなくなる。そうなったら一貫の終わりだ。早く、早く。
「い、癒しの、精霊よ……我が傷を癒やし、たまえ……」
魔力が吸い取られていく感覚と、少しずつ傷が塞がっていく感覚。断たれた骨の欠片が集い始め、斬られた肉は繋がり始める。
だめだ。完全には回復できない。時間も魔力も足りなすぎる。死なない程度に回復したら、また戦わなくちゃ。
急いで、傷の治癒を始めた。そういえば、スライムは今、何をして——。
——地面を這って逃げようとする私の足に、何かが突き立てられた。去ろうとしていた痛みが、更なる激痛に変わって再びやってきた。
「ぁぎっ……いだっ……なん、でっ……」
あいつが、私の左の太もも辺りに剣を突き立てていた。心臓ではなく足を狙ったのは、逃げ回る私を確実に仕留めるためか。
痛い。
痛い。
痛い。
今まで何度も、色んな人と戦ってきたはずなのに、その中で味わったどの痛みよりも、この痛みが一番痛い。何でだろう。私も、戦いには慣れてきたと思っていたのに。
……いや、違う。私が慣れていたのは、学園での生徒同士による模擬試合だとか、自分が優位にある野生の獣相手の戦いだ。自分が不利にある、自分を本気で殺そうとしてくる相手と戦うのは……これが、初めてだ。
(……っ、怖いっ……)
私は、ここで死ぬのか。スライムはゆっくりと、私のそばにやってくる。或いは、私がそう感じているだけで、本当はもっと機敏な動きをしているのかもしれない。
死ぬのか……私、死んじゃうのかな。こんな訳の分からない敵に、殺されるのか。
アニュエ、ママ……二人ともまだ戦っているのに、私だけこんな風に諦めかけてる。情けない。情けないったらありゃしない。
…………ん…………
…………って…………
声が、聞こえた。死の間際、感覚が加速し、遅くなった世界で、声が聞こえた。
初めは曖昧に。耳を澄ませば澄ますほど、それは鮮明に聞こえてきた。
(私に……何を、言ってるの……?)
半分、死を覚悟したような状態。聞こえてきたのは、二人の声だった。
……お姉ちゃん……
……オリビア、立って……
アニュエと、それからママの声。
二人が呼んでる。私を。立てって、そう言ってる。
痛い。立とうとしてるけど、立てないんだ。胸の傷はまだ残ってるし、足だって刺されたばかりだ。立てないんだ、もう。痛くて、痛くて、立ち上がれないんだ。
アニュエ、ごめん。助けにきたのに、情けないお姉ちゃんで。
「お姉ちゃんっ!!」
また、アニュエの声が聞こえた。
首を動かせば、遠くにアニュエの姿が見えた。ぼろぼろで、まだ傷も治りきっていないアニュエが。
アニュエは……あんな傷で、まだ……戦ってるんだ。
傷を治す前のアニュエは、あれよりもっと酷かった。全身に細かい傷が沢山あって、私が治した他にも、骨が折れた痕があった。きっと、自分で直したんだろう。
アニュエは、まだ十一歳なのに……あんな傷に耐えて、今でも戦ってるのか。
(……アニュ、エ……)
どくんと、心臓が大きく脈打った。戦士の鼓動が蘇ってきた。
そうだ、何を寝ぼけたことを言っているのか……アニュエはきっと、今までだって……ずっと戦って、傷付いて、それでここまで来たんだ。私とは比べ物にならないくらい沢山の傷を負って、それでも挫けずに立ち上がってきたんだ。
それなのに、私が……お姉ちゃんである私が、こんな傷二つ程度で挫けて、どうするんだっ……!
「負けっ……るかぁぁぁっっ!!」
心臓を狙い剣を振り下ろそうとしていたスライム目掛け、全力で剣を振るった。構えも何もない出鱈目な一撃だったが、それはスライムの足を斬り裂き、バランスを崩すには丁度良かった。
動ける程度に足と肩を治癒し、即座に立ち上がる。バックステップでスライムと距離をとると、アニュエとお母さん、二人の姿が目に入った。二人は、戦っている相手の攻撃を受けながらも、今にもこちらに飛びかかってきそうな勢いだ。
(ごめん、二人とも……心配かけて)
「私は大丈夫っ! こっちは一人でやれるからっ!」
もう大丈夫。妹と体調不良の母親が戦ってるんだ。姉として、長女として、私が頑張らなくてどうする。
斬り落とされたスライムの足は既に再生していて、また剣を構えている。今度こそ負けない。方法は分からないけど、こいつはここで仕留めてみせる。
「……?」
ふと、スライムの体に異変が起きていることに気が付いた。
人型を保っていたはずのスライムの体の節々が、時折、不自然に崩れるのだ。すぐにまた元通りになるけど、何だか、様子が変だった。
新しい攻撃? その予備動作? それにしては、まるで無意味な動きに見える。本当に、崩れかけているような。
あの叩き潰す攻撃が効かなかったことに関係してるのか? いや、よく分からないけど今がチャンスだ。一気に畳みかける。
「猛き炎、刃に宿りて焼き払え——ブレイズエッジッ!」
剣に炎を纏う。私は痛みなど忘れ、スライムに立ち向かっていった。
* * *
「舞え、紅蓮の花」
短い詠唱を終えると、周囲に炎でできた花弁が現れる。これは、私の魔法における起句。現れた花弁に、さらに詠唱を重ねることで特性を追加していく。
千刃となりて、ならば花弁はその姿を剣に変え、舞いながら敵を切り刻む。先程使ったブレイズエッジという魔法はそれだ。
「ちっ、邪魔な炎め……!」
無論、ただそれだけでも、相手の動きを阻害するには十分だ。花弁の一枚一枚が私の魔法で生み出された炎。触れれば軽い火傷では済まされない。
だが、この男……クレイン・ダートフォートという男には、少々、相性の悪いところがある。
「吹き飛ばせ、ヴァローナッ!」
「っ……!」
奴が風を巻き起こす大剣、暴風剣ヴァローナを振るうと、発生した強力な風で炎が掻き消される。ただ吹いた程度の風で消えることはないが、奴の起こした暴風ならば、花弁は掻き消されてしまう。
あの剣……やはり、何度見ても強力な武器だ。鍔の部分には大きな緑色の石。私のこの鎌と同じ、エレメリアルドライバと呼ばれる特殊な武具だ。
生半可な火力では、あの風で消えてしまう。奴もアニュエとの戦闘で消耗しているはずなのに、それでもまだこれほどの余力を残していたとは。
……やはり、あの時仕留めておくべきだった。あの時、消耗を恐れずに追いかけ、仕留めていればこんなことにはならなかったのに。
「どうした、花姫……まだ、本調子ではないように見えるな」
「それはあなたも同じ。条件は対等よ」
強がっているように見えた。奴の傷は決して軽いものではない。一歩間違えば命を落とすほどのものだ。
けれど、どうやら私が本調子ではないことも、奴には見抜かれているようだった。
「……お互い、歳を取ったものだ。この程度でへばるようになるとは」
「世間話ならあの世でしてくれる? 今は時間がないの」
「そうか。それは失礼した」
この男は脅威だ。しかし、今この場においては、この男よりもさらに脅威となる者が存在している。
あの仮面を付けた人間……あれは、人の力を超えた存在だ。本来なら、誰かが太刀打ちできるようなものではない。
ただ、アニュエからはあの仮面と似た雰囲気を感じた。私にはよく分からない。けれど、きっと、似たような力を持っている。
あんなボロボロの状態のアニュエを、いつまでも一人で戦わせておくわけにはいかない。それに加え、オリビアはあの正体不明の黒い影と戦っている。今はなんとか持ち堪えたようだけど、いつまで耐えられるかは分からない。
早く。早く、娘たちのもとへ。
「舞え、紅蓮の花っ……」
「その魔法はもう見飽きたぞ、花姫っ!」
起句を唱え、花弁が召喚されるとほぼ同時に、クレインがヴァローナを振るった。嵐の如き激しい突風が、召喚された花弁を次々に吹き消していく。
まだだ。生半可な力ではこの男には通用しない。もっと上位の魔法で、更なる火力を引き出さねば。
「猛る千刃、狂う穿槍、怒れる天弓……花よ花、集いて廻り、力となれっ……」
詠唱を一つ終えるたび、次第に吹き飛ばされる花弁の数が減っていく。ヴァローナの生み出す風より、炎の火力が勝ってきている。
召喚された花たちは、次々にその姿を変えていく。
あるものは剣に。
あるものは槍に。
あるものは弓に。
まるで、無数の兵を従えているかのよう。かつて、グラメルテの首都、ノーブリスに無数の魔物が現れた際、これを撃破するために編み出した魔法。一対一の戦闘ではもちろん、一対多の戦闘でも圧倒的な火力と殲滅力を誇る、私が有する魔法の中でもトップクラスの性能を誇るその魔法の名を、兵を従えているような姿から、こう名付けた。
「……レッドレギオン」
剣が、槍が、矢が、その全てがクレインに襲いかかる。風でいくつか弾き飛ばすことには成功しているが、その圧倒的な火力の前に、最早ヴァローナの生み出す風は何の意味もなしていなかった。
それに加え、奴はアニュエとの戦闘でかなり消耗している。全盛期の奴ならばまだしも、今の奴にはこれを防ぐだけの力はないはずだ。
(早く、倒れて……!)
問題は、私にもある。これを長時間維持するだけの魔力は、今の私にはない。まだ仮面との戦闘も控えている。できれば、早々に倒れてほしかった。
「く、そっ……私が、こんなところでっ……」
クレインの苦しむ声が聞こえる。やがてヴァローナの風が弱まり、奴は膝をついた。剣を杖にして体を支えているが、もう限界だろう。
「これで……終わりよっ!」
一層力を込める。魔法が勢いを増し、クレインを覆い尽くしてしまった。
戦闘が可能なくらいの魔力を残し、魔法を解除する。その跡には、地に伏せるクレインの姿があった。
騎士の鎧は原型を留めていなかったが、流石はエレメリアルドライバといったところか。暴風剣ヴァローナは傷まみれになりながらも、いまだそこに鎮座していた。
私はそんなクレインに歩み寄り、その首元に鎌を当てる。
「長かった……あの日……『アーストン』であなたを殺さなかったあの日を、これほど悔やんだことはないわ」
かつて、リットモールの北にあった小さな国、アーストン。今はもう滅び、地図にも載っていない国。
私がこの男を仕留め損なったのは、そのアーストン国内の小さな村。この男が作り出した生物兵器のせいで、滅びの道を歩んでしまった村。
この長い因縁に、ようやくケリをつけることができる。ようやく、この男を殺すことができる。
「ぐっ……がっ……」
「終わりよ、クレイン・ダートフォート」
鎌を持つ手に、汗が滲んだ。あとほんの少し刃を近づけてやれば、この男の首に鮮血が浮かぶだろう。
息を大きく吸って、止める。目を見開き、いざ、クレインの首を刎ねようと、力を込めた。
……その時だった。
「……あぐっ……」
胸が痛んだ。精神的に、ではなく、物理的な痛み。不定期で訪れる発作のようなものだ。なんて、タイミングが悪い。
手が震える。首を刎ねるどころの話ではない。全身から力が抜けて、鎌を取りこぼし、その場に崩れ落ちた。あと少しでこの男を殺せるというのに、何故、今。
唯一幸運だったのは、クレインもまた、同じように動けないこと。私たちは互いにとどめを刺せないまま、その場で動けなくなってしまったのだ。
「アニュ、エ……オリ、ビア……今、行く、からね……」
早く、二人のところへ駆け付けないと。そうは思っていても、体が言うことを聞かない。
ああ、私はどうしていつも……こう、無力なのだろう。




