第五十八話 集いし者たち
「んなっ……!?」
突如として現れた黒い影。そいつはわたしたち二人の攻撃をその身で受け止めると、まるでスライムのように弾き飛ばしてしまった。
「こいつ、あの時のっ……!」
その黒い影には見覚えがある。爆弾魔騒ぎで、最後に犯人に纏わりついたあの黒いスライムだ。
こいつがいるということは、つまり……。
「これはっ……調停者、お前かっ!」
叫んだのはわたしではない。クレインだ。
その叫びに呼応するかのように、スライムの隣の空間に黒いモヤが発生した。モヤは楕円形の渦のようになり、その奥から、白い仮面がにゅるりと姿を現した。
調停者。やっぱりこいつか。
(……まずいな)
調停者はクレイン側の人間だ。あの黒いスライムが纏わりついた人間の強さは、前回で痛感した。全力の状態ならまだしも、今のこのぼろぼろの状態では勝ち目はないだろう。
そう思っていたが、クレインは予想外の言葉を口にした。
「何故今になって……邪魔をするな。私とて、プライドの一つや二つはあるんだ」
奴は、調停者の助力を拒んだ。調停者の入れ知恵であんな武器を使ってたくせに、プライドだなんだと語るのは片腹痛いが……好都合だ。二人同時にかかってこないのなら、まだチャンスはある。
調停者は口を開かない。仮面をしているから、表情も窺えない。なにを考えているのかが、よく分からない。
ぴくりと、黒いスライムが動いた。ひとりでに変形し、そして、人の形となる。大きさは、大人一人分くらいだろう。
『……従え、クレイン・ダートフォート』
「断る。邪魔はさせんぞ、調停者」
初めて聞いた調停者の声は、仮面でこもって、男とも女とも取れるような声だった。どこか聞いたことのあるような不思議な声に気を取られていると、突然、人の形となって待機していた黒スライムの腕が、わたしに向かって伸びてきた。
反応は、ぎりぎり間に合った。斬り落とすことができるのは、前回の戦闘でも経験している。面で潰さなければ破壊できないが、今は姿勢が悪い。退くのが先決だ。
不思議と、追撃はなかった。様子見の一撃……試しに不意打ちを仕掛けてみた。そんな感じに見える。
「お前っ……邪魔をするなと言っている!」
『お前に主導権はない。これ以上無駄な問答を続けるようなら、お前から始末する』
「くっ……」
おい負けるな。そこで折れるなよ。調停者とスライムとクレインで、相手はわたし一人。三対一か? さすがに分が悪すぎるだろう。
どうする。全員まとめて倒してしまいたいのは山々だけど、わたしの体力にだって限りがある。やれてクレイン一人。その後、残った片方を道連れにする程度。
やるか。このまま、こいつらを引き連れて町に帰るわけにもいかない。そもそも、町まで逃げ切れるかどうかも怪しいところだ。
クレインは虫の息。スライムも対処の仕方は分かっている。砂粒くらいの勝機はあるか。覚悟を決めるしかない。
剣を構えると、渋々といった感じで、クレインも臨戦態勢に入った。調停者に動きはなく、スライムはただゆらゆらと揺れている。
先手必勝。先にクレインから仕留める。一人減らせばかなり変わるはずだ。
「シッ……!
加速し、クレインに斬りかかる。その剣を、スライムが受け止めた。片手で。
「なっ……がっ……!?」
腹に強い衝撃を感じる。蹴られたんだ、スライムに。
一度距離を取り、態勢を整え直す。そこに、剣のようなものを携えたスライムが襲いかかってきた。
それを下段から迎え打つ。こいつ……手から剣みたいなものが生えてる。この前はそんなもの使ってなかったのに。
熟練の達人のように、剣による様々な攻撃を仕掛けてくるスライム。なんだか、前回よりも人間らしい動きが増えている。前はもっと、『獣』のような動きだったのに。
少しの予感が確信に変わったのは、スライムのその『構え』を見た時だった。どこか、見覚えのある構え。スライムが距離を詰め、振るった剣が、わたしからだと少しぶれて見えた。
「まじっ、でっ……!」
軽くいなそうと考えていたが、予定変更。全力で受け止める。そこへ、五回連続で衝撃がきた。
こいつ……嘘だろ。嫌な予感はしたけど、そういうことか?
(前回の戦いで学習したってことか……!)
今の技は、明らかに『瞬連斬』だった。こいつがこの技を覚えられる機会なんて、前回戦ったあの時しかない。
戦いながら学習してる……だとしたら、戦いを長引かせるのは得策じゃない。戦えば戦うほど、こいつが強くなってしまう。
思わぬ誤算は、その激しい攻撃のせいで、クレインが手出しできていなかったことだ。奴のマナも枯渇寸前。今はスライムとわたしの一騎打ち状態。
だけど、こいつへの勝ち筋が見えない。大きな魔法はマナの消費が激しい。手足ならともかく、全身を叩き潰すのはまだ難しい。
かと言って、このまま打ち合っていても防御のためのマナが枯渇する。
(なにか……なにか一手があれば……!)
この状況を打開するなにか。その一手でもあれば変わるってのに。
……と。
「……すまないな、娘」
「しまっ……」
そばに、クレインがいた。攻め込んでこないから油断していた。同時に、スライムも攻撃を仕掛けてきた。
躱せない。どちらか一方なら相殺できるが、両方は無理だ。魔法で防ぐか? 失敗した後が怖い。
くそっ、仕方ない。こうなったら、ダメージ覚悟で自分の体を吹き飛ばすしか……。
「アニュエ、下がってっ!!」
声が、聞こえた。顔を見なくても分かる。それはお姉ちゃんの声だった。
考えるよりも先に、体が動いた。前方に風を起こして、自分自身の体を大きく後方へと吹き飛ばす。なんとか受け身を取って見れば、後ろからなにか高速で動くものが駆け抜け、わたしの前へ出た。
「私の妹に……何してくれてんのよっ!!」
そう言って、お姉ちゃんが手を振るう。
「舞い踊る花、集いて渦巻く炎となれ——焼き尽くせ、ファイアトーネードッッ!!」
詠唱の後に、巨大な炎の竜巻が発生する。竜巻は周囲の風を吸い込みながら更に巨大化し、クレインたちを飲み込んだ。
その一撃で仕留められれば話は早かったんだが……クレインはともかく、スライムはその程度では死なない。時間稼ぎにしかならないだろう。
ただ、態勢を整え直すには、その時間稼ぎでも十分すぎるほどだった。
「アニュエ、大丈夫っ!?」
「お、お姉ちゃん、なんでっ……」
お姉ちゃんが思わず抱きついてくる。手からは優しい光が溢れ、全身の傷が塞がっていく。治癒魔法だ、ありがたい。これで戦いに集中できる。
……だけど、なんでここが分かったんだろう。町から音が聞こえるような範囲ではないのに。
「町に来た商人さんが言ってたの。この辺りから妙な音が聞こえたって。もしかしてと思って来てみて正解だったよ」
「しょ、商人さん……?」
この辺りに商人の通る道なんてあったか……? それも、そんな都合良く……。
いや、この際そんなことはどうだっていい。お姉ちゃんが来てくれたことで、かなり状況が良くなった。まだ人数の不利はあるけど、勝ち目が見えてきたぞ。
「それに、私だけじゃないよ」
「え?」
お姉ちゃんが、そっと後ろを指さした。そこには、もう一人、強力な助っ人がいた。
「あ、あぁっ……」
赤いフードに、大きな鎌。顔色は少し良くなって、昔とちっとも変わらない笑顔を向けてくれる人が、そこにいた。
「……アニュエ、ここまでよく頑張ったわね」
お母さんだ。お母さんが、来てくれた。
「お、おかぁ、さん……」
「ほら、泣かないの。まだ戦いは終わってないわよ?」
飛びつきたくなるのを、涙を、必死に堪えた。
そうだ。まだ戦いは終わっちゃいない。炎が収まってきたそこには、大きな球体となったスライムがいた。どうやらクレインと調停者を包み、守っていたらしい。
でも、やれる。お母さんとお姉ちゃんが来てくれたんだ。わたしたち家族なら、きっとやれるはずだ。
「くっ……そうか……花姫、お前が来たか……!」
「ええ。あの時は不覚を取ったけれど、二度はないわ。決着を付けましょう、クレイン・ダートフォート」
「調停者、お前もここで仕留める!」
『……』
それぞれが、それぞれの武器を構えた。人数は互角。スライムの弱点はわたしが知っている。勝てない戦いじゃない。
いや、勝つんだ。これが最後の戦い。勝って、この忌々しい復讐劇を終わらせるんだ。
先に動いたのはあの黒いスライムだ。奴は手負いのわたしを始末しようと考えたのか、真っ直ぐにわたしのもとへ向かってくる。
それを……お姉ちゃんが防いだ。スライムの重い一撃を、いとも容易く受け止めていた。
「姉を無視して妹を襲うなんて……感心しないねっ!」
お姉ちゃんはスライムを弾き飛ばすと、すぐさま魔法の詠唱に入る。
「猛き炎、刃に宿りて焼き払えっ、ブレイズエッジッ!」
お姉ちゃんが指で剣をなぞると、その軌跡に合わせて剣身に炎が纏わりついていく。生成した炎を刃に纏う魔法か。あれなら高熱で切れ味も上がるだろう。それなりの業物でなくちゃ耐えられないだろうが、お姉ちゃんが使っている剣は確か、そこそこの代物だったはず。
炎を纏った剣は、スライムの体を簡単に斬り裂くことができた。それだけでとどめは刺せないが、体が分断されればその分、奴の動きも鈍くなる。
「お姉ちゃん、そいつの体、潰さないとまた再生するよっ!」
「分かった!」
お姉ちゃんがスライムを抑えてくれている。だったら、わたしは……。
「んぐっ!?」
——危ない。目の前を、小さな風の砲弾が通過した。気付いて避けていなかったら、即死とまではいかずとも、それなりのダメージになっていただろう。
今の攻撃はクレインの……いやしかし、クレインは今まさに、お母さんと激戦を繰り広げている。恐らく、流れ弾がたまたま飛来しただけだろう。
クレインはいつの間にか、あの暴風剣ヴァローナという大剣を回収していた。手負いではあるが、傷はある程度魔法で回復したんだろう。
その状態でも、お母さんとは互角に見えた。お母さんが本調子じゃないってこともあるが、やっぱりあいつは危険な男だ。
「舞え、紅蓮の花」
鎌でクレインの攻撃を相殺しながら、お母さんがそう唱えた。
すると、どうだろうか。お母さんとクレインを覆い囲むように、無数の赤い花弁が現れた。ダンスでも踊っているかのように、ゆらゆらと舞っている。
「くっ……!」
「千刃となりて我に従え——ブレイズエッジ」
今度は、その花弁の一枚一枚が、小さな剣のような形状に変化する。魔法の名前、なんてものは特に定まってないけど……それが同じなのは、お姉ちゃんが、お母さんの魔法を自己流にアレンジしたってところか。
二人を囲むように浮かぶ、無数の炎の剣。なるほど。さっきの花弁といい子の炎といい、まさに『煉獄の花姫』って感じだな。
「アニュエ、あの仮面をお願い。私は、この男と決着を付けないといけないの」
「うん……お母さん、気を付けてね」
二人が戦ってくれている。残るは……調停者。呑気に傍観しているこいつだけだ。
わたしは調停者の前に立ち、そして、切先を奴に向ける。
「わたしたちも……決着を付けよう、調停者」
『……いいだろう』
初めて、調停者が好戦的になった。武器を取る様子もない。拳を構える様子でもない。こいつは……どうやって戦うつもりだ?
焦るな。まずは戦士なのか、それとも魔法使いなのか、その分析だ。マナは極力温存しておきたい。だったら……。
剣を大きく振りかぶり、気を研ぎ澄ませ、放つ。調停者とは距離があるが関係ない。この斬撃は、離れた敵を狙うのに編み出したんだから。
烏落とし、二連嘴撃。
一度で複数回斬りつける瞬連斬と、飛ぶ斬撃である烏落としを組み合わせた技。一度で二発放たれた飛ぶ斬撃が弧を描き、まるで嘴のように敵に喰らいかかる。
さあ、どう対処する。素手か? それとも魔法か?
『……くだらない』
そう言って奴は地面を蹴った。なにをしたのかと思えば、落ちていた木の棒を蹴り上げて拾うためだった。
木の棒……というか、木の枝だ。振り回すだけですぐに折れてしまいそうな、細い木の枝。
おいおい、まさか……そんなことできるわけないでしょ?
奴はその木の枝を、わたしの斬撃に合わせて——振るった。本来なら細い枝なんて障害にもなり得なくて、そのまま本体を斬り裂くはずなのに……わたしが放った飛ぶ斬撃は、奴が羽虫を叩くように振るったか細い木の枝で、掻き消されてしまった。
「……う、嘘でしょ……」
『実にくだらない。その程度の存在だったとは』
どこかがっかりしたように肩を落とす調停者。
肩を落としたいのはわたしの方だ。あんな……あんなもので、わたしの攻撃が弾かれたのか?
『最早……あれを育てる必要もない。今ここで引導を渡してやろう』
そう言って、小枝を持つ調停者の右腕が消えた。かと思えば、次の瞬間にはまた元通りになっていた。
速過ぎて、目で追えなかった。このわたしが、目で追えないほどの速度で、奴は小枝を振るったんだ。
頬に、少しの違和感がある。今の一瞬の攻撃が擦ったのか。わざと外したのかそうでないのかは分からない。ただ一つ言えるのは、現状、こいつが今のわたしよりも圧倒的に強いってことだけだ。
『……どうした。まさか、今の一撃が見えなかったと? だとしたら落ちぶれたな』
「落ちぶれた……? それ、どういう意味……?」
その言い方じゃ、まるで……まるで、前世のわたしを知ってるみたいじゃないか。
「お前……何者なんだ?」
『予言の少女を殺す者。それ以上を知る必要はない』
会話が成り立たない。こいつ、頭のパーツ何個か抜け落ちてるな。
倒して吐かせようにも、この戦力差で敵うか……? 奴のあの速度、わたしで追えないんだったらお姉ちゃんやお母さんだって厳しいだろう。二人のところへ行かせるわけにはいかない。
……よし。覚悟決めろ。集中しろ。わたしならやれる。もう家族を失いたくないんだろ。だったら、こいつはここで倒さなきゃならない存在だ。
剣を握れ。強く握れ。今のわたしが頼れる最高の相棒だ。剣を信じろ。なによりも信じろ。きっとなんとかなる。なんとかしてみせる。
「……はぁっ!」
動かれる前に動け。わたしは、調停者に向かって駆けた。




