第五十六話 前半戦
「ただいまぁ。アニュエちゃん、ご飯買ってきたよ」
「あ、ありがとう、二人とも」
お母さんを背負って宿に戻ってくると、部屋には既にケルティがいた。騒ぎが起こったら宿で待機って伝えてたから。
わたしはお母さんの様子を見ているから離れられない。ケルティとお姉ちゃんに食材の買い出しを頼んで、丁度、今帰ってきたところだ。
お母さんは依然として目を覚まさない。顔色も悪いままだ。治癒魔法は傷を塞いではくれるが、失った血の補充まではできない。体力の回復もできない。このまま安静にしていればじきに良くなるだろうけど……不安だ。
それに、倒れる前にお母さんがしつこく言っていた、『指一本触れるな』という忠告も気になる。わたしとお姉ちゃんは治療の関係で触れてしまっているが、ケルティや宿の人には触れないように伝えてある。
(今のところ……触ったからなにかあるってわけでもなさそう)
理由は分からないが、触れ合うと不都合があるんだろう。極力それには従っていこうと思う。
「はい、アニュエ」
横に並んだお姉ちゃんが、何か黄色い飲み物の入ったコップを差し出してくる。甘い匂いがする。
「ありがと、お姉ちゃん」
受け取ってちびりと少しだけ飲んでみると、どうやらリンガの実を絞ったジュースのようだった。疲れた体には甘いものを、というお姉ちゃんなりの気遣いだろう。ありがたくいただく。
「ママの様子、どう?」
「あんまり変わらない。目覚めないのは体力を消耗してるからだと思うけど、この状態じゃ食べ物で回復することもできないし」
時間と共に回復するのを待つか、栄養のある飲み物を管か何かで飲ませて、少しでも回復してもらうか。倒れる前から痩せこけて病的な感じがしたし、一日二日では回復しないかもしれない。
せっかく……せっかく、また会えたと思ったのに。どうしてこうなったんだ?
お母さんは屋根の上で、誰かを警戒しているようだった。お母さんが町に現れたタイミングから考えても、あの騎士……クレインが関わっていることは間違いない。
もしくは、調停者。クレインと調停者には関わりがある。お母さんもそれを知っていたのかもしれない。
全て明らかにするには、お母さんが目覚めるか、それともクレインを捕まえて吐かせるか。ただ、クレインが帝国の騎士だってのが足を引っ張ってる。帝国本体を動かさせるわけにもいかないし。
(けど、あいつ……また会おうって言ってたな)
ということは、向こう側も決着をつける意思はあるということ。お母さんが生きていることもそのうち嗅ぎつけるだろうし、案外、向こうから仕掛けてくれるかもしれない。
「……お母さん」
顔色は悪いが、眠るお母さんの表情は安らかだ。ほんとに、眠ってるだけみたい。
「二人とも、ご飯の準備できたよ。冷める前に食べちゃおう?」
「うん、分かった」
考えていても仕方ない。今はどうにかして、クレインと接触する方法を考えなくちゃ。
……そう思っていたのも、ほんの僅かな間だけだった。
翌日、お姉ちゃんには部屋でお母さんの看病を続けてもらい、ケルティには自由行動を。わたし一人で使節館を見張っている時だった。
どうにかして忍び込めないか。中に入ればクレインと接触することも可能だろう。そんな風に、いつもの屋上から使節館を眺めていた。
そんな時、背後に人の気配を感じた。この家の住人か……いや、この気配の殺し方は一般人じゃない。相当な手練れだ。
振り返る前から、なんとなく、後ろにいるのが誰なのか予想が付いてしまった。柄に手をかけ、立ち上がって振り返ると……やはりそこには、わたしの予想通りの人間が立っていた。
「……クレイン」
「やはりここだったか。妙な視線を感じるとは思っていたが」
あの男だ。昨日の今日で、もう接触してきやがった。まさかこんなに早く来るなんてね。
けど……好都合だ。このままこいつを誘き出して、人気のないところで殺す。帝国の人間に悟られないように。
こいつはお母さんを殺そうとしていた。お母さんが生きていると知れば、必ずまた命を狙ってくるだろう。それだけは許しちゃいけない。
ここで戦いになるかと警戒していると、そんなわたしを見て、クレインは呆れたようにため息をこぼした。
「そう力むな。今日は戦いに来たわけではない」
「は……? じゃあなに、楽しくお話でもしましょうってか?」
「殺すならもっと上手くやる。わざわざ姿を現したんだ。話くらいは聞け」
それは……そうか。お母さんを不意打ちで攻撃したようなやつだ。本気で殺すつもりならここには来ないだろう。
かと言って、話を聞いてやる義理もない。今ここで叩き斬ってやってもいいが……。
「花姫は生きているのか? 致命傷だったはずだが」
わたしの気持ちなど無視して、クレインは話し始めた。
……どう答えるのが正解だ? 死んだと答えるべきか、それとも答えを濁すべきか。
わざわざそんなことを聞いてくるってことは、こいつ自身、やっぱりお母さんの生死については分かっていないってことだ。カマをかけてるだけって可能性も考えられるけど。
「……死んだよ。助けられなかった」
考えた結果、死んだと、嘘をつくことにした。またお母さんを狙われたら、今度は助けられないかもしれない。
しかし、クレインはまるで、最初から答えが分かっていたかのように笑ってみせた。
「嘘だな。昨日の様子からして、もし本当に死んだのだとしたら、お前は後のことなど考えずに私を殺しに来たはずだ」
「んぐっ……」
……否定できない。確かにお母さんが死んでいたら、わたしは迷わずに使節館をぶっ壊しに行っていただろう。敵にそこまで理解されるのも嫌な感じだ。
「生きてたらなんだ……またお母さんを狙うの? それとも、狙いはお母さんの装備か?」
「いや、今となってはもう、花姫の生死などどうでもいい。それよりももっと良いものを見つけたからな」
「良いもの?」
お母さんのことなどどうでもいい。そう言い放ったクレインは、ゆっくりと、わたしを指差した。
おいおい、良いものってお前……。
「娘。私と来い。共に世界を、この手中に収めようではないか」
……なんだ、その使い古されたセリフは。こいつ、わたしに寝返れって言うのか?
「……は? なにそれ、もしかして口説いてるつもり?」
「ああ、そうだ。私はお前を口説いている」
躊躇うこともなく言い放つその姿に、ちょっと引いてしまった。
……今気付いた。こいつ、きっと『関わっちゃいけない』類の人間だ。
「昨日の戦いではっきりした。お前はまだ、力を隠している。昨日のあれは、被害を抑えるために手加減した力なのだろう?」
「どうだか。あれで本気かもよ?」
なにか気味の悪い感情を含めた笑いを、クレインはこぼした。
「当初は花姫の力を手に入れるつもりだったが……気が変わった。お前は、あの花姫よりも強大な力を宿している。手に入れるのであれば、お前の方が良い」
「なに自分勝手なこと言ってんの。あんなことしといて、許すと思ってるわけ?」
「いや。これでもう少し御しやすい性格なら、文句は無かったのだが」
誰がお前なんかと手を組むか。このクソ野郎が。
……だけど、一つはっきりしたことがある。
こいつの目的は、お母さんの力を手に入れること。それがお母さん本人なのか、お母さんの装備なのかは分からないが、とにかく、『煉獄の花姫』の絶大な力を欲していたことが分かった。
そして、今度はわたしのことを狙っている。今ここで始末しないと、今後もつきまとわれることになるだろう。
交渉は決裂だ。剣を抜き、その切先をクレインに向けた。
「……残念だけど、ここでくたばれクソ野郎」
「そうか……まあいい。ならば、死体だけでも持ち帰るとしよう」
びりびりと、クレインから殺意が向けられる。この世界に来て、一番強烈な殺意だ。ここまでのものは、前世でも数えるくらいしか味わったことがない。
こいつ、やっぱり強い。学園で戦ったあの黒スライムより強いかも。
クレインから向けられた殺意を受け、わたしはそのまま戦う……わけもなく、魔法で瞬時に加速して、町の外へ向けて飛び跳ねた。
「こんな町中で戦うかバーーーカ!!!」
奴の狙いはわたしなんだろう。なら、わたし自身が町から離れれば付いてくるはず。いや、付いてこい。
「……やれやれ。お転婆な娘だ」
わたしの思惑通り、クレインも魔法で加速しながら追いかけてきた。町の人にはちょこちょこ目撃されているけど、この速度なら顔までは見られていないはず。
後は、援軍が来ないくらい遠くまでクレインを誘き寄せて戦うだけだ。
(……この辺でいいか)
町から随分と離れ、人が通った跡のない草原までクレインを誘き寄せた。わたしの後をぴったりと付いてきた奴は、わたしと同じタイミングで地面に降下した。
ここなら、周りの被害も気にせず、全力で戦える。殺した後も、暫くは騎士たちに嗅ぎ付けられないだろう。
問題があるとすれば、わたしがほんとにこいつを殺せるのかってところだけど……いや、問題ない。お母さんをあんな目にあわせた罪は、その命をもって償ってもらう。
「ここなら満足に戦えそうか?」
「そうだね。ここなら遠慮せずに戦える」
普通に会話をしているけど、クレインからは尋常じゃないほど強烈な殺気が放たれている。気を抜けば呑み込まれてしまいそうなほど。いつ攻撃を仕掛けてくるか分かったもんじゃない。
それでも表情は冷静なもんだから恐ろしい。こいつ、平気な顔をして人を殺せるタイプの人間だ。
二人の間の空気が、二人分の殺意で重くなっていた。肌に突き刺さるような痛みさえ感じる。
……先に仕掛けてきたのは、クレインだった。
「っ!!」
音もなく飛んできたそれを、抜刀してそのまま斬り上げる。昨日と同じ、高密度な風の砲弾だ。
見ると、昨日のあれと同じ杖が、クレインの両手に握られていた。今日は二刀流ならぬ二杖流か。厄介なことをする。
「流石だ。この速度の魔法を、いとも容易く斬り捨てるとは」
「慣れてるもんでね。もっと速い奴だって斬ってきたんだ」
色んなやつと戦ってきたからな。その中には、目に見えないほど速い動きで翻弄してくる奴もいた。そんな奴らとばかり戦ってきた。ただ速いだけの魔法なんざ、落ち着いていれば簡単に対処できる。
「そうか。ならばこれはどうだ?」
今度は二本の杖の先端がこちらに向けられる。大量のエーテルが書き換えられるのを感じた。
速さでダメなら数で、か。なんて安直な考えだ。
——事象書き換え。暴風の壁。
数えられないほど大量に放たれた風の砲弾は、真っ直ぐわたしへと飛来すると、わたしの眼前に展開された嵐を連想させる風の壁に防がれた。別に、全部剣で防ぐ必要はないんだよな。
「ほう……詠唱も無しにそのような魔法を行使するとはな。奴の言っていたことは正しかったか」
魔法を防がれたクレインは、慌てることもなく、落ち着いた様子でそう言った。
奴、か……調停者のことだろうな。
「なに、負け惜しみ?」
「いや? まだまだいくぞ、娘」
再び、同じように無数の砲弾が放たれた。何度やっても同じだってのに。
前方に暴風の壁を展開し、魔法を防ごうとした。しかし、風の砲弾は壁にぶつかる直前になって急に方向を変え、真上へ向かって上昇した。
「ちっ……」
小賢しい真似を。直線だけじゃなかったか。
上昇した砲弾は、そのままわたしの方へ飛来する……かと思われたが、今度はわたしの斜め上、丁度頭上の辺り目掛けて飛んだ。
無数の砲弾が、わたしの頭上に集結する。なにか嫌な予感がした。
……その予感は的中。風の砲弾はそのまま降り注ぐのではなく、空中でさらに分裂し、それこそ雨のようになって降り注ぎ始めた。
「鬱陶しいっ!」
事象書き換え、氷壁。
左手を振って、その軌跡に分厚い氷の壁を生成する。分裂した分威力は落ち、風の雨たちは氷の壁に防がれて消滅した。
……その隙を狙ってか、前方から高威力の砲弾が放たれた。こいつ、さっきからちくちく、ちくちくとうざったい攻撃ばかり……。
こんなもんが効くと思ってんのか。隙でもないし。
「……で、曲芸大会はこれで終わり?」
前方の砲弾も、空から降り注ぐ雨も全て防いだ。ここにきてようやく、クレインは焦った表情を見せた。
「……まさか、全て防がれるとはな。想像以上だ」
「まさか、あんなものが当たると思われてたなんてね。なめてるな、お前」
こちとら前世は邪神を倒した剣聖だぞ。こんな攻撃防げなくてどうする。まあ、そんなこと、こいつは知らないんだけどさ。
「じゃあ……次はわたしの番ってことでいいんだね?」
攻撃が止んだってことは、次はわたしのターンってこと。
風魔法、ブースト、加速。一気にケリをつける。
地面を蹴ると同時に、なにかが爆発したような音がした。地面が爆ぜたか。瞬時にクレインとの距離を詰めると、右下から剣を振り抜く。
金属と金属がぶつかり合うような音がする。クレインはわたしの連撃を杖で受け止めているが、じりじりと、少しずつ後退していく。
「ぬっ、ぐっ……!」
昨日は暗かったし狭かったから全力で戦えなかったが、今日は違う。これだけ開けた場所なら、剣だって全力で振れる。
「はぁっ!」
下から斬り上げ、クレインの右手にある杖を弾き飛ばす。このまま、斬り伏せる!
上段からの一撃。これは入った。杖で伏せごうにも間に合わない。そう思った。
けれど……防御が間に合わないと判断したのか、クレインは剣の腹に杖の先端を向け、圧縮した風の砲弾をぶつけた。
さすがのわたしでも、それは予想していなかった。なんとか柄から手を離さずにはいたが、そのせいでわたしの体も大きく横に吹き飛んでしまった。
受け身を取り、姿勢を整えて剣を構えると……クレインは既に、わたしに杖を向けていた。
「はっ……! 剣の腹に風の魔法とか、そんな無茶苦茶なことすんなよ……!」
「無茶苦茶なのはどっちだ……今のは流石に、死ぬかと思ったぞ」
「殺す気でやってんだ。さっさと死ねよ」
剣が折れなかったのは幸い。念のために保護していて良かったな。
くそ……簡単に殺されてくれるかと思ったけど、意外とやるな。なんというか……この世界に来て戦ったのって、ザックやアラン、野生の獣とかだけど、その中で一番、『戦い慣れている』感じがする。
「……駄目だな、使い慣れていない道具というのは。それが通用する相手ではなかったか」
「は……?」
そう言って、クレインは杖を捨てた。……武器を捨てた? 使い慣れてない武器って……じゃあ、こいつが普段使ってる武器はなんだ?
騎士の格好をしてはいるが、他に武器を携えているようには見えない。
「娘よ、光栄に思え。これを抜くのは、私が真に強者と認めた相手にのみ。そして……後悔しろ。今の一撃で仕留めきれなかったことをな」
クレインが虚空に向かって手を伸ばす。その手の先に、風が渦を巻いて収束していく。
……なんだ? なにをしてる?
風はどんどん勢いを増して、小さな竜巻のようになっていた。なにがなんだかよく分からんが、放っておくのはまずそうだ。
これを隙だと判断し、斬りかかる。しかし、その一撃は……見えない壁によって防がれた。
「んなっ……!」
「ふんっ!」
虚空から現れたなにかを振るうクレイン。まるで巨大なハンマーで叩きつけられたような衝撃に襲われ、わたしは大きく吹き飛んでしまった。
「くそっ、なんだっ……!?」
一体私は、今、なににやられたんだ? 魔法か? いや、それにしてはあまりにも物理的な衝撃だった。
クレインの周囲に、風が渦巻いている。その手には、さっきまでは握られていなかった大きな武器が握られていた。
あれは……大剣だ。クレインの体よりも大きな剣を、奴は手にしていた。
「暴風剣ヴァローナ……私の、エレメリアルドライバだ」
エレメリアルドライバ。精霊石とやらを組み込んだ、特殊な力を持つ武具。
そうか。こいつから感じられたどこか余裕を帯びたような雰囲気は……この武器のせいか。
「さあ、後半戦だ。存分にやり合おうではないか、娘」
「くそっ、さっさとくたばればいいのに……!」
巨大な剣を構えたクレイン。奴から感じられる殺意が、圧倒的なまでに膨れ上がっている。これは……苦戦しそうだ。




