第五十四話 炎
「お母、さん……!」
現れた。幻覚ではない。向かいの建物の屋根の上に、確かにお母さんはいた。
おじいちゃんが作った、エレメリアルドライバという特殊な武具。あの赤いフードの能力は高い隠蔽性能。どういうわけだか顔を判別することができないのは、それすなわち、あれが本物の『花姫』の武具だという証だろう。
お母さんはまだ、こちらには気付いていない。わたしは屋上の壁の内側にいるから、向こうから姿は見えないのだろう。
それに、顔の向きから考えて、恐らくお母さんのターゲットは帝国の使節館。わたしなど、眼中にないはずだ。
なんとか、間に合った。お母さんが町を滅ぼすよりも前に、お母さんを見つけることができた。だけど、これからどうする? 今すぐ飛び出して、お母さんを説得するか?
わたしの話を、聞いてくれるのかな。お母さんにもお母さんなりの理由があるはず。わたしがなにか言っても、説得はできないかもしれない。
(でも……もうなにもできずに家族を失うのはごめんだっ……!)
できるのか、じゃない。やるんだ。話を聞かないならぶん殴ってでも止めてやる。それが娘としての責任だろう。
すっ、と、お母さんが鎌を頭上に掲げる。すると、鎌の上部にだんだんと炎が渦巻いていく。
炎はやがて大きな球体になると、お母さんの頭上で、空間を歪めながらめらめらと燃え盛っていた。
……凄まじい火力だ。景色が歪んで見える。それなりに距離は離れているのに、ここまで熱気が伝わってきた。
地上にいる人たちもそれに気付いたのか、頭上を見上げては驚きの声や悲鳴をあげている。いきなり大きな炎の球が現れたんだから当然の反応だ。
まずい。まさか、あれを使節館にぶっ放すつもりか。そんなことをしたら、衝撃でこの周辺が吹き飛ぶぞ。
「心の準備もまだだってのに……!」
わたしは、構わずに飛び出した。壁に飛び乗り、全力で蹴った。
お母さんに近付くにつれ、暑さが増していく。鎌が、ほんの少し動いた。
「させるかぁぁっっ!!」
魔法で大量の水を生成し、それを加工して巨大な水の剣を作り出した。お母さんはそこで、ようやくわたしの存在に気が付いたようだ。
すぐさま目標を変更しようと動くが、もう遅い。わたしはもう、射程圏内だ。
壁を蹴った勢いをそのままに、わたしは炎の球体を水の大剣で切り裂いた。圧縮された水が瞬時に弾け、炎を包み込む。これだけの量の水をぶつけたんだ。さすがに消えてくれ。
わたしはというと、なにも考えずに突っ込んだせいで受け身を取れず、そのまま屋根の上に転がった。起き上がって顔を上げれば、完全には鎮火していないものの、炎はかなり勢力を弱めていた。あれじゃ精々肉を焼くのが限度だろう。
「良かった……なんとかなって」
ひとまず、お母さんの先制攻撃を止めることはできた。あそこで見張っていなければ、今の炎で町は半壊状態になっていただろう。
わたしは膝を支えながら立ち上がり、服についた埃を払った。表情こそ分からないものの、その動きから、お母さんは酷く驚いているように見えた。
「……久しぶり、お母さん」
「……っ!」
そう言うと、お母さんの表情が驚愕に染まった。……ような気がした。たぶん。
まだ少し残っていた炎は、魔法の制御をやめたからか完全に消え失せ、天に掲げられていたあの鎌も既に下ろされていた。
鎌を持つその手が、わなわなと震えている。邪魔をされた怒りからか、それとも、突然目の前にわたしが現れたことによる驚きか。できれば、前者ではあってほしくないな。
「お母さん……なんだよね」
お母さんは黙ったままだった。沈黙は肯定、と捉えていいのか。いや、こいつがお母さんでないなら、わたしを見て驚くこともないだろう。
わたしはお母さんに向けて、一歩、また一歩と足を進めた。もうほんの数歩で、手が届く。
と、いう場所まで来たところで、お母さんが動いた。鎌を持っていない方の手がゆっくりと動き、フードにかけられたのだ。
そのまま、フードが下ろされていく。黒い靄が晴れるように、だんだんと表情が明らかになっていった。
フードの能力が消え、表情が全て明らかになり現れたのは……わたしの記憶となんら変わりのない、いや……少し痩せたお母さんだった。
「……アニュエ」
「やっぱり、お母さんだったんだ」
いつぶり、かな。お母さんに名前を呼ばれたのは。それほど前のことでもないのに、随分と懐かしいような気もする。
……あれ。おかしいな。名前を呼ばれたのに、なんか泣けてくるや。なんで……。
「お母、さんっ……」
「だめ、来ないで」
歩み寄ろうとするわたしに向けて、お母さんは手を突き出した。
……お母さん?
まさか拒絶されるなんて思ってもいなかったから、わたしはたじろいでしまった。初めは思わず拒絶しただけなのかと思ったけど……違う。お母さんは、はっきりとした意思で、わたしを拒絶している。
「なんで……久しぶりに会えたのに? お母さん、なんで……わたしを、家族を、拒むの……?」
「違うの、アニュエ。違うのよ……」
そう言ったお母さんの表情は、とても苦しそうだった。なにか、重い事情を抱えているような……そんな風に。
「お母さん、話してよ……どうして、こんなことをしてるの……?」
「それはっ……」
お母さんは口を噤んだ。そんなお母さんに畳み掛けるように、わたしは問いかけ続けた。
「村を滅ぼしたのは、ほんとにお母さんなの? さっきのだって……なんで、この町を壊そうとしたのっ?」
「違うっ!」
突然、お母さんが叫んだ。今まで聞いたことのないような怒声に、足が竦む。
かと思えば、今度は涙を流し始めるお母さん。わたしの知っている強くて優しいお母さんじゃない。この人は……なんで、こんなに弱々しく見えてしまうんだろう。
「ごめっ、ごめんなさい、アニュエ……でもっ、私はっ……」
「アニュエっ!」
今度は、後ろから違う叫び声が聞こえた。この声は、お姉ちゃんだ。
振り返ると、お姉ちゃんが屋根の上を飛び回って駆け付けてきていた。騒ぎを聞き付けてきたんだろう。お姉ちゃんはわたしの目の前にいるお母さんの姿を見つけると、顔を歪めながら加速した。
「……ママ?」
「オリビアっ……なんで、ここに……」
息を切らしながら立ち尽くすお姉ちゃんと、まさかお姉ちゃんまでいるとは思っていなかったのか、さらに驚いて表情を崩すお母さん。
「ま……ママ、なの……?」
「だめ、オリビア、だめなのっ……」
わたしと同じように近付こうとするお姉ちゃんと、わたしの時と同じように拒絶するお母さん。わたしだから拒絶したんじゃない。お姉ちゃんまでダメなのか。
理由がまるきり分からない。村を滅ぼした罪悪感? わたしたちに合わせる顔がないとか、そういう話か?
いや、そんな様子には見えない。もっとちゃんとした理由があるように見える。
「お母さん、お願いだよ。全部……話してよ。事情も分からないのに拒まれたんじゃ……わたしたち、悲しいよ」
「アニュエ……」
「ママ……私たち、ママを探してここまで来たんだよ……ずっと、旅をしてきたんだよ……」
「オリビア……」
お母さんは悩んでいた。泣き崩れそうになりながら、拒もうとしながら。
拒むなら拒むで、いい。それ相応の理由があるのなら、辛いけど、わたしはそれでも構わない。けれど、理由が分からないことだけは許せない。理由もなくわたしたちを拒み続けるって言うなら、たとえお母さんでも許さない。
「ねえ、お母さん……わたしたち、強くなったんだよ。旅もできるようになったの。きっと今なら、お母さんの力になれる。だから、話して」
最後の一押しだ。そこまで言って……お母さんは、折れたようだった。
鎌を取りこぼし、膝から崩れ落ちるお母さん。見れば、一時は乾いたかと思った涙が、再び流れ出していた。
「……ごめんね、二人とも……辛い思いをさせて、ごめんね……」
「……辛そうなのは、お母さんだよ」
わたしも、そりゃお姉ちゃんだって辛い。突然、家族と故郷を失ったんだから。
でもそれ以上に、お母さんは辛い思いをしているはずだ。理由がどうであれ、お父さんを手にかけて、村を滅ぼして……辛くないはずがない。
ひとしきり泣いた後、お母さんは鎌を支えにして立ち上がった。
「先に身を隠しましょう。ここは、奴に見つかってしまうから」
あいつ、というのが誰かは分からなかった。だけど、大体の予想はついた。これだけ騒ぎになったんだ。すぐに出てくるだろう。わたしたちはお母さんの言う通りに、一度、身を隠すことにした。
人通りのない路地に逃げ込んだわたしたちは、少しかけて息を整えた。やがて話す準備が整ったのか、お母さんは振り返って、わたしたちの顔を順番に眺めた。
「話すわ、全部。けど、約束して。全てが片付くまで、お母さんには指一本触れないって」
……どういう意味だ? それはつまり……その、『物理的に』触るなってことか?
まさか、さっきわたしたちを拒んだのも、わたしたちが近付いたから……触れないようにしていた?
「それは、どういう……」
「お願いよ、アニュエ、オリビア」
何故か、と問おうとすると、お母さんは首を横に振った。そこだけは話せないらしい。
……仕方ない。理由は分からないけど、余程のことなんだろう。それに、全てが片付くまでってことは、片付いた後はいいってことでしょ。
わたしはお姉ちゃんと顔を見合わせ、二人揃って頷いた。
「分かったよ、お母さん。全部片付いたら、抱き付いてもいいってことだよね?」
「……ええ。それまで、我慢できる?」
ほんとは今すぐにでも抱き着きたいところだけど……我慢するか。終わった後、存分に甘えよう。
再びお姉ちゃんと二人で頷くと、お母さんは小さく咳払いをする。どうやら、全てを話してくれるらしい。
「あの日、私は……」
そう言って話し始めたお母さんの口から、真っ赤な液体が滴り落ちた。わたしは初め、それがなんなのかが分からなかったけど……一瞬脳がフリーズしたのち、お母さんの口から流れた『血』なのだということに気が付いた。
一つ気が付くと、他にも余計なことに気が回ってしまう。たとえば、お母さんの胸元に空いた『風穴』だとか、そこから噴き出す鮮血だとか。
「……え?」
訳が分からなかった。今、なにが起きた? お母さんは……なんで、血を吐いているんだ?
「ま、ママ……?」
隣から、お姉ちゃんの声が聞こえる。頭の中にぼんやりとこだましたその声が鳴り止む頃に、お母さんの体がぐらりと揺らいで、前のめりに倒れた。
「……はぁ。彼の英雄も、愛する娘の前では無防備、か。悲しいな」
そんな声が聞こえた。倒れたお母さんの後ろからだ。位置的に考えて、そいつが何かしたんだろう。
「……お前は」
知っている。そいつは村が滅んだあの日に村にいて、昨日この町に来た。恐らくは、全ての元凶。
妙な形の武器を手にして、気怠そうにしながらため息をこぼしている男。
「どうもありがとう。君たちのおかげでそれを始末できた。本当にありがとう」
帝国の上級騎士の、あの男だ。
その顔を見た瞬間、わたしの中で、なにかが引きちぎれる音がした。この感覚は知っている。村を滅ぼした時に、お母さんに抱いたのと同じ感情だ。
どす黒く、理性では制御できない感情。いや、制御なんてしたくもない。思う存分、暴れさせてやりたい。
「……お前はぁぁあっっ!!」
怒りに身を任せ、わたしは男に斬りかかった。




