第三十六話 故郷を目指して
さらに翌日。早朝、ぱっちりと目が覚めたわたしは、手ぶらのまま寮を出る。荷物は昨日のうちに、ケルティの荷馬車に積み込んである。ケルティの馬は久し振りに会ったというのに、わたしのことを覚えていたのか、一目見た瞬間鳴いていた。
お姉ちゃんは……あれ、もういないや。こんな朝早くにどこに行ったんだろう。授業……じゃないよね。こんな時間からやってるはずがないし。
おかしいな……昨日、なにも言ってなかったんだけどな。お別れの挨拶は済ませてあるけど、やっぱり、最後の最後に一声かけておきたかった。
まあ、いないものは仕方ない。別れを惜しんでちゃ、いつまで経っても出発できないし。早くケルティと合流しよう。
寮を後にして、学園を立ち去ろうとした時だった。学園の入り口に、遠くからでも分かる、見覚えのあるシルエットがあった。一つ、二つ、三つ。そのうちの一つは、わたしの姿を認めると、入り口からわたしに向けて、大きく手を振った。
「アニュエさーん!」
そう叫んだ彼女の頭を、隣にいた人が小突く。そりゃあ、こんな朝早くに叫んでたら怒られるわな。近所迷惑考えろ。
「おはよ、ジス」
「おはようございます、アニュエさん」
バカみたいに叫んでいたのは、学院会副会長補佐の一人、ジスだ。いつもよりも少し目の開きが悪いのは、まだ眠いからだろうか。
「おはよう、アニュエちゃん」
「天気に恵まれたな」
もう二人は、副会長のモーガンさんと、会長さん。二人は眠くなさそうだ。幹部だし、早起きするのに慣れてるのかもしれない
それにしても、なんでこの三人がここにいるんだろう。いや、多分、別れの挨拶なんだろうけど、昨日のうちに済ませてるんだよな。わざわざ見送りにこなくてもよかったのに。眠いだろうし。
「いやぁ。私は元々、ここでお見送りするつもりだったんですよ? それで来たら、もうお二人が……」
「僕は二番目でしたね。ね、会長?」
「えっ。それ何時から待ってたの……?」
わたし、正確な時間までは伝えてなかったから、相当早起きしたってことか……? その根性すごいな……。
会長さんは、そんな風に言われるもんだから、少しだけ照れたように頭を掻いた。
「いや。昨日も言ったことなんだがな。君に感謝しておきたかったんだ」
「ああ……爆弾魔事件のこと?」
「そうだ。君があの時、犯人を捕まえてくれていなかったら……私たちは生きてはいなかっただろう。そのことを、君がいなくなるその瞬間まで、感謝しておきたくてな」
「ええ。協力に、心からの感謝を」
会長さんとモーガンさんが、揃って頭を下げる。二人とも、学園側の尋問で、『黒贄法陣』の効果は聞いている。あと少し遅ければ死んでいた、というのも確かな事実だ。
「いやいや、そんな。わたしだって、色々と収穫があったわけだし」
わたしとしては、そこまで感謝されるのも違うっていうか。というより、わたしがもっと早く気付いていれば、もっと早くに終結していたというか。
『調停者』っていう新しい敵のことも分かったし、そこまで言われるほどのこともしてないっていうか、なんというか。
だからとにかく、なにが言いたいかって、恥ずかしいから頭を上げてほしいんだってば。
そう伝えると、二人は笑いながら頭を上げた。
「まあ、私とモーガン副会長の用というのはそれだけだ。本当に感謝している」
「私は、その……伝えたいことがありまして。昨日は恥ずかしくて言えなかったんですけど……」
今度はジスが前に出た。昨日挨拶をした時は、『頑張ってくださいねぇ』とか、『怪我はしないように』とか、そういうことを言われた気がする。伝えるのが恥ずかしい内容ってなんだ?
「——二〇年前。私の母と祖母は英雄……ラタニア様に命を救ってくださいました」
ジスは突然、そんな風に語り出した。内容は……以前にも一度、聞いたことがある。わたしがここにきて一週間くらい経った時か。最高に凹んでいた頃だ。
あの時、ジスは言っていた。『魔物』の大規模な侵攻によって、死が目前まで迫っていたジスのお母さんとおばあちゃんを、お母さんが助けたんだって。だから、ジスは『煉獄の花姫』が大好きなんだって。
「そして、今度は私が……私たちが、あなたに命を救ってもらったんです」
真っ直ぐと、わたしの目を見つめながら、ジスはそう言った。なにを言いたいのかは、なんとなく予想がついた。
「私にとって……アニュエさん。あなたは、『英雄』なんです。ラタニア様に比べれば、その功績は小さなものかもしれない。でも、少なくとも私にとっては、紛れもない『英雄』なんです。……それを、どうしても伝えたくて」
「ジス……」
『英雄』。前世では何度もそう呼ばれたことがあった。右から左に聞き流して、特に心を動かされることなんてなかったけど。
でも……なんでだろう。今こんなにも、心の底から『嬉しい』と思っているのは、なんでなんだろう。
抱きついてきたジスを、思わずギュッと抱きしめ返した。なんだか、やっぱり……ジスって、憎めないキャラだよなぁ。
「どうかご無事で。帰ってきたら……『英雄の間』にアニュエさんの絵を飾りましょう!」
「それは勘弁」
訂正。さっきの感動を返せこら。
思い切り剥がしたジスをぽいっとする。そんでもって、三人に向き直った。
「みんな……ありがと。そんなに感謝されるのって、あんまし慣れてないからさ……その、小っ恥ずかしいんだけどね」
前世の時は、人の感謝なんて気にしてなかったからな。今にして思うとなかなかにヤバい性格してたと思う。こんなに素直になったのは、あの両親に育てられたからだろうな。
なんというか……恥ずかしいな。大したことしてないっちゃしてないし、そこまで感謝されるほどのこと……ではあるか。人命かかってたもんね。
なんだけど、当然、邪神イヴリースなんかと比べるとそうでもないし、そんなことで感謝されるのって、なんだかものすごく背中が痒くなってくる。
「あ、そうだ。お姉ちゃん見てない? やっぱり、最後に一度だけ、お別れの挨拶がしたいんだけど、もう部屋にいなくて」
そんな恥ずかしさを誤魔化すように、そう切り出した。そんなに朝早くからここにいたなら、もしかしたらお姉ちゃんを見かけているかもしれない。三人とこんな風に話していたら、やっぱり、最後に話したくなってきたんだ。
口を開いたのは、モーガンさんだ。
「それなら、町を出るまでには会えるでしょう。きっと、ね」
会長さんとジスも頷く。
「……? 分かった。なら、このまま向かうよ」
よく分からないけど、もしかすると、町の入り口で待っているのかもしれない。三人がこう言うんだから、わたしはこのままそっちへ向かうとしよう。
「それじゃあ、みんな。またね」
きっと、全て解決したらまたここに戻ってくる。永遠のお別れってわけじゃないし、『またね』って言って締めくくっておく。
ほら。わたしはくたばる可能性あるけど、ジスなんて生命力強そうだし。今回みたいなことがなければ、ここは大丈夫だろうし。
三人に大きく手を振って、学園を後にする。ここにいたのは、ほんの二週間程度のことだったけど……色々あって、忘れられない思い出になったな。ほんとに。
……それから、学園を離れていく。この町に来た時は、なんてでっかい町なんだ、って思ったけど、二週間もいたらそんな感情も薄れてしまった。慣れってのは怖いね。都会だなぁとは思うけど、それ以上のことを感じない。ま、【リットモール】自体、田舎大陸だから、もし【グランバレー】とかに出たらもっと感動するんだろうけどね。
町を暫く歩いて、漸く出口。ケルティはジョセフを撫でながらそこで待っていて、わたしが声を掛けるより先に、わたしのことを見つけたようだった。そんなケルティに駆け寄る。
「お待たせ、ケルティ」
「ううん。お別れはできた?」
「できた……って言いたいところなんだけどね」
最後に、お姉ちゃんにも会いたかった。それだけが心残りだ。三人は、ここに来るまでには会えるだろうって言ってたけど、結局会えなかったし……。
そんな時、ふと、なにか違和感のようなものに襲われた。その違和感は……あれ?
「……って、なんか荷物多くない? わたしのやつ以外、全部ケルティの?」
馬車にはえらく大量の荷物が積まれていた。総量からわたしが昨日積み込んだ分を引いた分が、ケルティの分だとして……ケルティ、荷物多すぎない? もしかして売り物?
「ああ、それはね……」
「私のだよ、アニュエ」
ケルティが言うより前に、聞き覚えのある声がした。場所の影から現れたのは、紛れもない……お姉ちゃんだった。
「お、お姉ちゃんっ!?」
「うん。お姉ちゃんだよ、アニュエ」
おおおおぉお姉ちゃんっ!? なんでここに!? いや、ここにいるのはいい、三人もそんなことを言ってたし、ここで待ってたってこともあるし……で、でも……?
「えっ、おね、わたしのって……?」
思わずケルティの方を見ると、ケルティはやれやれといった感じで口をすぼめた。
「私も、付いていくことにしたの。真実探しの旅ってやつに」
「ゔぇっ!?」
変な声が出た。なんで? なんで???
「私も、朝来てびっくりしたよ。大量の荷物持ったオリビアちゃんが、そこで待ち伏せしてたんだもん」
「すみません、ネルソンさん。昨日だとバレちゃうかと思って」
ははは、と小さく笑うお姉ちゃん。いや『ははは』じゃねーんだわ。付いてくるってなに、どういうこと?
そもそも、お姉ちゃんは学生だ。学生としてここを長期的に離れるわけにはいかない。前回のことは、仕方がなかった。故郷が滅んだとあっては、家族を探すために学園を休んだとしても、学園側も強くは言えないだろう。期間も短かったし。
だけど、今回は違う。長期の旅になる。それに、お姉ちゃんは学院会の副会長だ。流石に、それはまずい。
「お、お姉ちゃん、学園は……?」
「学園は……」
それから、お姉ちゃんが事の経緯の説明を始めた。勘の良い人なら分かるかとは思うけど、やっぱり原因は『あの二人』だ。
遡る事二日前。わたしがキンツノグマを狂ったように狩り続けていた日だ。放課後、学院会室で仕事をしていたお姉ちゃんに、会長さんがこんな質問を投げかけた。
『時に、バース副会長』
『はい?』
突然、バスティ会長に声をかけられる。
『君は、アニュエ君の旅に付いていきたいとは思わないのか?』
内容は、そんなことだった。
アニュエの旅に付いていきたい、か……考えたことがないわけじゃない。こんな状況だ。もしかしたらお母さんが犯人かもしれなくて、アニュエはその真実を探ろうとしてる。付いていきたくないと言えば、嘘になる。
『……そりゃあ、付いていきたいとは思います。でも、止められたんです』
『止められた?』
『はい。折角入学できたのに、それを棒に振るなんて勿体ない。無駄にしたら許さない、って』
いつだったか。真実を探る旅をすると言ったアニュエに、私も付いていくと言ったことがある。だけど、アニュエにそれを止められた。理由はさっき言った通り。
……いや、多分、他にも色んな理由がある。アニュエは昔から、どこか不思議な子だった。理由はそれだけじゃないと思うんだ。
危険だから、というのもある。お母さんが村を滅ぼした理由は分からないけど、現状、お母さんか、或いはお母さんの後ろには、私たちとは明確に敵対する存在がいる。
旅に付いていけば、そんな敵とも戦うことになるだろう。最悪、私は死んでしまうかもしれない。アニュエは、それを避けたかったんだと思う。
ここにいれば、今回のようなことがない限り、一先ずは安全だ。アニュエに付いていくよりもずっと。ここに、なにがなんでも居てほしかったんだろうな。
『姉思いの妹ですね、アニュエちゃんは』
『ええ、本当に』
モーガンがそうこぼした。そう、アニュエは姉思い……ううん、家族思いな子。それから、大切な人を大事にしてくれる。心の優しい子。ちょっとおちゃらけたところもあるけどね。
だから……アニュエがここにいろと言うのなら、私はここにいる。そう思ってた。
恐らくは、会長もそれを分かっていたんだろう。机の中から何か、一枚の紙切れを取り出した。
『……ならば、無駄にならないなら許されるのだな?』
『え? ま、まあ、どうでしょう……』
危険だからって理由もあるから、許されるかどうかは分からないけど……でも、どういう?
会長は取り出した紙切れを、私に手渡してくれた。
『……これは』
『もしかしたら、必要になるかもしれないと思ってな。押し通したものだ』
それは『申請書』。頭にはでかでかと、『休学申請書』と書かれていた。
申請者は会長、それからモーガン。対象者は私で、期間は一年。その間、出席をせずとも欠席扱いにはならず、一年の間に復学した場合は、また元通りの扱いで通うことができる。
……でも、何故? この学園に休学制度があることは知っていたけど、条件が厳しくて、余程のことがなければ通らないと聞いたことがある。通らなければ、それは全て欠席だって。だからこそ、『休学』という手は使えないと思って、諦めていた。
押し通した……二人が、また? アニュエを寮に住まわせてくれ時みたいに?
『それをどうするかは、バース副会長自身で決めるといい。……ああ、学院会のことは気にするな。どこかのベルクマンが代理をしてくれるだろう』
『そうですね。どこかのベルクマンなら、なんだかんだ言って、バースさんの代わりも務まるでしょうし』
私の隣にいたジスが、その言葉を聞いた瞬間に顔を青くしていた。だけど、次の瞬間には気合を入れたのか、両手を拳にしていた。
『わ、私、頑張ります! 先輩の席、守っておきますから!』
『ジス……』
気付けば、会長も、モーガンも、サディール君も。皆、優しい目をしていた。
これをどうするかは、私が決める……なら、やることは決まってる。
『……ありがとうございますっ!』
「と、いう感じ」
「あの二人、ほんとに権力ありすぎじゃない……?」
つまりは、その休学申請書があるから、一年間は学園を休んでも問題ないと。これでわたしも、学園のことをダシにして、お姉ちゃんを留め置くことはできなくなったわけだ。
勘の良いお姉ちゃんのことだから、たぶん、気付いてるだろう。わたしがお姉ちゃんを付いてこさせない理由が別にあるってこと。
それでもここにいるってことは、つまり、そういうことだ。
「……だから、私も付いていく。アニュエと一緒に。真実を知りたいの」
お姉ちゃんの瞳は力強かった。決意は強くて、揺らぎはしないだろうなって、そんな感じがした。
それでも、わたしは……お姉ちゃんには、付いてきてほしくなかった。だって危ないもん。お母さんがどういう状況かも分からなくて、更には『調停者』なんていう敵まで現れて。わたしがあんなにボロボロになるような相手だ。普通の人じゃまず死んでしまうと思う。
「……危ないかもしれないよ。どんな敵が現れるか分からないし」
「私、そこそこ強いから」
お姉ちゃんは、力こぶを作るような動きをとった。服を着ているから、もちろん、分からないけど。
「お母さんと……戦わなくちゃならないかもしれないんだよ?」
「……戦う時が来たなら、私も戦う。それが、娘としての務めだと思ってるから」
「でもっ……」
「私はっ!」
突然、お姉ちゃんが声を荒げる。あの時と同じ……グローグを出発してすぐの時みたいに。
「……もうっ、私の知らないところで家族を失うのは、嫌なのっ……!」
「お姉、ちゃん……」
「たった一人なんだよ……もう、私にはアニュエしかいないのに……もう、失いたくないのっ……」
ぐしゃっとした泣き顔で、そんなことを吐きこぼすお姉ちゃん。そう言われて、なにも言い返すことはできなかった。
そうだ。そうだよ。お姉ちゃんからすれば、自分の知らない間に家族が死んでしまったんだ。お母さんを除けば、もうわたし一人。わたしまで、お姉ちゃんの知らないところで、知らないうちに死んでしまって。それで、その知らせだけを聞いたら……。
……わたしだったら、後悔、するのかな。しないのかな。たぶん、するだろう。家族の死に目に、一度も立ち会えなかったんだから。
「……そうだよね。知らないところで家族を失うのは、辛いもんね」
お姉ちゃんを連れていくことを躊躇っていた。わたしだってこれ以上、家族を失いたくない。お姉ちゃんまで死んでしまったら、今度こそ、わたしはわたしでなくなってしまうと思う。
でも、それよりもっと辛い思いをさせるくらいなら。
だったら……なにがなんでも、わたしがお姉ちゃんを守ってみせる。
「分かった。一緒に行こう、お姉ちゃん。一緒に」
「アニュエ……」
「ほんとは危ないから反対なんだけどね」
そう言うと、お姉ちゃんは泣いたまま抱きついてきた。ああ、ああ、もう……割と泣き虫だなあ、お姉ちゃん。
「ごめん、ケルティ。そういうことだから、一人、増えていい?」
「もちろん。その方が、賑やかで楽しいしね」
元から断るつもりもなかったんだろう。ケルティは笑顔でそう答えた。
「よろしくお願いします、ネルソンさん」
わたしから離れたお姉ちゃんがケルティのことをそう呼ぶと、ケルティは、ノンノンと指を横に振る。
「旅に付いてくるなら、『ケルティ』ね。堅苦しいのは嫌だからさ」
「……ありがとう、ケルティさん」
この二人が上手くやれるかどうかは分からない。けど、まあ、たぶん大丈夫だろう。ケルティもお姉ちゃんも、そんなに細かいことを気にするタイプじゃないし。わたしと上手くやれてるし、問題ないと思う。
話がまとまり、お姉ちゃんも泣き止んだ。もう、ほんとのほんとに、この町でのやり残しはない。これで心置きなく町を出ることができる。
「……それじゃあ、出発しますか」
三人で頷いて、馬車に乗り込む。御者席にはケルティ。少し手狭になってしまった荷台には、わたしと、それからお姉ちゃん。女ばかりの旅になってしまうけど、そこは二人、手練れが乗ってるからなにも問題はない。
前の方で、ジョセフがヒヒィンと大きくて良い声で鳴く。こいつ、案外女好きだからな。可愛い女の子が三人も乗ってて嬉しいのかもしれん。
そして……パシィンという手綱の音と共に、馬車がゆっくりと動き出す。次の目的地は……そう。
「次の目的地は……おじいちゃんの故郷、【バッツァ】!」
なにか楽しくて、思わず、そう叫んだ。
第1部・2章『爆弾魔事件』、完。
次回、アニュエレポート・3更新。
次々回、第1部・3章『赤の集落』、開始。




