第二十四話 みんなが、わたしを追い詰めるんだ
「アニュエ、朝ご飯持ってきたよ」
そう、お姉ちゃんに名前を呼ばれたことで、意識が還ってきた気がした。
知らぬ間に、目の前にはお姉ちゃんがいて、朝ご飯の乗ったトレーを二つ持っていた。
お姉ちゃんはその一つを自分の机に。もう一つをわたしの机の上に置いてくれた。
「大丈夫? 気分は?」
「……大丈夫」
「そっか」
お姉ちゃんは自分の机に座って、ご飯を食べ始めた。パンとスクランブルエッグ、それからベーコン。わたしも重い体を持ち上げて、席に着いた。
パンを一口齧り、スクランブルエッグを掬って口に入れ、ベーコンを一枚放り込む。味はちゃんとあるはずなのに、最近、何を食べても同じ味しかしない。木の枝を齧ってるみたいな……そんな味。
ご飯を食べながらも、気を抜いたら意識がどこかへ行ってしまいそうで怖かった。わたしが、わたしでなくなってしまいそうで。
「……アニュエ。今日はどうするの?」
「図書館に……行ってくる。調べ物があるから……」
「分かった……あまり遅くならないようにね」
ご飯を食べ終えて、荷物も何も持たずに、部屋を出た。後ろから刺さるお姉ちゃんの視線が痛くて、一刻も早く、この場を離れたかった。
……この一週間、何だかぼぅっとしてる時間が増えたような気がする。原因は分かってる。そんなもの、自分が一番分かってる。
分かってるけど、解りたくはなかった。理解してしまえば、一瞬で、世界そのものが憎くなってしまいそうで。
今日もまた、この場所に来た。リットモールでは一番大きな図書館。グラメルテ国立図書館だ。重い扉を開いて中に入ると、また、同じ顔がわたしを出迎える。
「あっ、バースさん……おはようございます」
受付の呼びかけにも反応せずに、わたしは本棚へ向かった。端の方から、それらしき本を片っ端から引っ張り出し、上の段の本は魔法で引っ張り出して、何冊も、何十冊も持ったまま、机に向かう。
歴史の本、魔法の本、地理の本、小説、英雄図鑑……どれも、あの人に関係してそうなものばかりだ。そればかりを選んで、読み漁っては次の本を読み、全て読み終わったらまた新しい本を読み漁る。わたしが欲しい情報はこれっぽっちも無くて、だから、日に日にこの作業が鬱陶しくなっていた。
(どの本も……同じようなことばかり)
あの人の活躍、あの人の経歴、あの人の魔法。同じようなことを、何度も何度も。
何度も……何度も、何度も、何度も何度も何度も。何度も繰り返し読んで、また読んで、また読んで……。
もう、疲れてしまった。どれだけ探したって、そんなものは見つかりっこない。あの人に繋がりそうな何かも……何も。
思えば、最初から疑うべきだった。
あの時、あの村を焼いたのは、明らかに人為的な……魔法の炎。村に魔法使いはいなかった。だから、外から来た誰かに村を焼かれたのだとずっと思っていた。
けど、あの村にはいたんだ。炎の魔法使いが。二つ名まで持っているような、凄腕の魔法使い。あの人が。
お父さんだってそうだ。わたしが最期に見たのは、何かに祈るように天を仰ぐお父さんの姿。
けど、普通に考えて……首に刃を当てられている状況で、そんなことをするだろうか。わたしなら、たとえ死ぬとしても、最期まで抗ってから死ぬ。
あの時は……お母さんも死んで、村も滅んで、何もかもを諦めたから祈っていたんだと思っていた。既に死んだお母さんの元へ行くために、天を仰いでいたんだと思っていた。
でも、自分に刃を向けている相手が、その最愛の人だったら。何か事情があったとして、村を『滅ぼさざるを得ない』状況なのだったとして。
そんな状況なら……自分が、死なないといけないのだとしたら。わたしも、お父さんと同じことをすると思う。
だから、探しているんだ。あの人が、何故、村を滅ぼしたのか。その理由に繋がる手掛かりを。
あの人の過去の活躍や経歴を調べれば、何か分かるかもしれないと思った。けど、どれだけ調べたって同じで……もう、全てを投げ出したくなった。それって、逃げることと……同じなのかな。
だとしたら……もう、逃げたって、いいんじゃないかな。だって、わたし……。
「この先を知るのが……怖いっ……」
あの人が……お母さんが村を滅ぼしたのだとして。そこに理由なんてなかったら? わたしたちが信じていたお母さんの愛情が、全部偽物だったとしたら?
それを知るのが、たまらなく怖い。だったらいっそのこと、あの事件の犯人はお母さんだけど、そこにはやむを得ない事情があって、村を滅ぼさざるを得なかった。あの時逃げたのは、わたしを愛していたから。
そんな風に考えて、今すぐここから逃げ出した方が……きっと、楽になれる。
それでもこうしてここに来ているのは……やっぱり、怖くたって何だって、真実を知りたいという気持ちが、少なからずあったからだ。
もう、わたし……どうしたらいいんだろう。分からなく、なってきちゃった……。
「……大丈夫ですか、アニュエさん」
「……?」
後ろから声をかけられた。この声は……知ってる声だ。
「……ジス?」
「はい。頼れる先輩のジス・ベルクマンですよ」
後ろにいたのは……私服姿のジスだった。
ジスは優しく微笑みながら、わたしの両肩に手を置いた。でも、何でここに……この時間って学園の授業のはずじゃ。
「ジス、授業は……?」
「えへへー。疲れたので仮病使っちゃいました」
使っちゃいましたって、そんな軽く……。
そのまま、ジスはわたしの体を、椅子ごと大きく後ろに引き抜いた。その状態で、わたしは……担がれた。
結構、力がある。わたしが軽いからか、それとも。ジスはわたしを担いだままの状態で、何も言わず、出口へと歩き出した。
「ちょっ、ジスっ……!?」
「受付さん、ちょっとこの子借りていきますね。あ、知り合いなので。誘拐とかじゃないです」
「えっ、あっ、はいっ!」
出口から外へ出て、眩しい陽の光の下、わたしを担いだままでどこかへ向かうジス。正直……恥ずかしいから、早く下ろしてほしい。
わたしを下ろしてくれたのは、図書館からほど近いところにある小さな公園。ベンチに座るようにわたしを下ろすと、疲れたのか、肩を回す。
「……何か、用?」
そう問うと、ジスはにへらと笑いながら頭を掻いた。
「用とかじゃないですよ。気分転換に本でも読もうかと図書館に行ったら、真っ暗な顔した女の子がいたので」
「……お姉ちゃんに頼まれたの」
「何の話ですか? 私があそこに行ったのは偶々ですよ」
また白々しい嘘を……どうせ、お姉ちゃんに様子でも見てきてくれとか頼まれたんだろう。
はっきり言って……余計なお世話だ。
わたしは一人で大丈夫だ。お姉ちゃんもジスも、爆弾魔事件で忙しいんだ。わたしになんて構ってないで、そっちに集中してくれたらいい。
「……本が読みたいなら、行きなよ。わたしはここにいる」
「いえ、気分じゃなくなったので。私もここでのんびりします」
そう言ってわたしの隣に座ると、ほっと一息ついて空を見上げた。ほんとに何をしにきたのか……ここにきたって、何も得なんてしないでしょ。
感情には、白い感情と黒い感情があると思う。嬉しさとか喜びの白と、悲しさとか寂しさの黒。
白い感情は、黒い感情に比べて、脆く、儚いような、そんな感じがする。いつだってそうだ。嬉しいとか楽しいとか、そういう感情は一瞬で消えてしまう。その後に訪れる黒い感情が、その後もずっと、そこに居座るのだ。
わたしは今まさに、そんな状況なんだと、自分でも分かってる。自覚はあるんだ。黒い感情に囚われているんだなって。村のことがあって。お母さんのことがあって。
でも、こんなの……どうやって立ち直れって言うんだよ。
「知ってます? 二〇年前、この町を救った英雄のこと」
不意に、ジスがそう口にした。
「……お母さんのこと?」
「はい。煉獄の花姫、ラタニア・オッグフィールド様です」
知っていた。本にも載っていたから。
二〇年前。この町で起きた大規模な魔物の侵攻を、たった一人で鎮圧した英雄。まだ十四歳の学生ながら町を救った彼女を、人々は後にこう呼んだ。『煉獄の花姫』、と。
お母さんの……最初の活躍だ。
この町に来てから、もう何度も繰り返し読んだ。お母さんはこの町を救って、各地で事件を解決し、そして突然……姿を消した。多分、お父さんと結婚したからだろう。
お父さんと結婚して、お姉ちゃんが生まれて……争いから遠ざかりたかったんだと思う。だから姿を消した。
「私がこの町の出身だってことは、話しましたよね」
「……言ってたね」
「母もこの町の生まれなんです。祖母も」
聞いてもいないのに、ジスは懐かしむように語り始めた。ぼぅっとしながら、片耳だけ傾けた。
「当時、まだ結婚していなかった私の母と、一緒に暮らしていた祖母は……二〇年前の魔物の侵攻で、命を落としかけました」
「避難しようとしていた母たちの目の前に魔物が現れて、大きな口を開け、涎を垂らして、生温かい息を吹きかけてくるんです」
想像は容易にできる。突然変異した獣のような姿をした魔物たちは、見た目だけで言えば伝説上で描かれる『悪魔』のようで、恐ろしい。
「そんな時に現れたのが、ラタニア様だったそうです」
「ラタニア様は、既に町に入り込んでいた魔物を一掃すると、町の外にいた魔物を大規模な魔法で焼き払い、空から迫る魔物を撃ち落としたのちに、もう一度母たちのところへ戻ってきたみたいで」
「まだ十四歳の小さな少女が……まるで天使のようにも見えた、と。そう何度も聞かされました」
そうだ。お母さんは二〇年前にノーブリスで起きたという魔物の侵攻を、たった一人で食い止めた。いや、お母さんのあまりの暴れっぷりに、他の人間が手を出せなかったと言った方が正しい。
結果として救われたこの町は、お母さんを英雄として讃えるようになった。煉獄の花姫と呼ばれるようになったのは、そのもう少し後だ。
その侵攻での死者は……ゼロ。誰も、死ななかった。
お母さんは……わたしたちが思っていたよりも、もっとずっと強かった。とんでもないことをしでかす英雄だったんだ。お母さんに関連する本を読めば、どの本も、お母さんを讃えるものばかり。
だからこそ、尚更分からなかった。そんなお母さんが、何故……村を滅ぼしたのか。
「だから私、ラタニア様のファンなんです。憧れてたんですよ、煉獄の花姫に」
「……そっか。じゃあ、残念だったね」
そんな憧れが、実は悪人だったかもしれないなんて……。
「アニュエさんは、本当にそう思ってるんですか?」
「何を……?」
「お母さんの愛情が、偽物だったって」
——その言葉を聞いた瞬間、わたしは我を忘れて、ジスの頬を叩いていた。
立ち上がって、まるで分かったような口を利くジスにイラついて。
「あんたにっ……何が分かんのっ!?」
「分かりませんよ、アニュエさんのことが!」
そうしたら……わたしも、ジスに頬を殴られた。思い切り、殴られた。
「あなたが真っ先に信じてあげなくてどうするんです!? お母さんの愛情がっ、これまでの日々がっ、本物だったって!」
「信じたいよ! わたしだって信じたいっ……けどっ……!」
……そんなの、わたしが一番分かってるんだよ……お母さんを信じたい。わたしたちの知ってるお母さんは、悪人なんかじゃないって。
けど……仕方ないじゃん……だって、こんなことになったんだもん……!
何か事情があったんだって。そうやって信じられたら簡単だ。でも、どうしたって疑っちゃうじゃんかっ!
「もうっ、ほっといてよ……!」
突き放すように、ベンチに崩れ落ちた。来てくれたジスにそんな態度を取るのは最低だってことくらい、分かってる。分かってるけど……今は一人になりたかった。
「……見損ないました。先輩だって、苦しい中頑張ってるのに、あなたときたらっ……」
そんなわたし目掛けて、ジスはそう言葉を投げた。顔は見えない。けど、涙をすするような音が聞こえた。
走り去る音。ジスが行ってしまう。心配してくれたのに、そんな彼女を突き放して、拒絶した。
……もう、どうすればいいって言うんだよ……わたしに、何を求めてるんだよ、みんな……!




