第十五話 旅商人との出会い
この世界に生まれて初めて、一人で旅をする。つい十何年か前まではそんなことが当たり前だったのに、それが、今は何だかとても虚しく感じた。
旅のお供は、ある歳の誕生日にもらった木剣。小さい方の木剣は村と同時に燃え尽きてしまったが、大きな方は無事。左腰に携えられたそれは、まだ新品のように綺麗な姿を保っている。
わたしが今目指しているのは、リットモールでは一番大きな国、【グラメルテ】。その首都である【ノーブリス】だ。グラメルテはリットモール統一魔法学園を有する国で、村から見れば、丁度大陸の反対側にある。つまり、端から端まで、大陸を横断しなくちゃならないってことだ。
途中には村や町が点々としていて、そこを経由しながらノーブリスに向かう。商人の馬車に相乗りさせてもらう選択肢もあったけど、今は生憎、お金も無ければ金目のものも持っていない。護衛役を引き受けようにもこの見た目だ。徒歩で向かう他無かった。
……お姉ちゃん、元気にしてるかな。
あの襲撃からもう一週間。もう向こうにも知らせが届いてる頃かな。ザックが親戚のもとへ行ったことでその町では噂が広まってるだろうし、噂程度なら耳にしているかもしれない。
だとしたら、どんな風に過ごしてるだろう。心配……は、流石にしてくれてるよね。
「……考えても、意味ないか」
そんなこと、会えば分かる。まだ先は長いけど、一刻も早く、ノーブリスに行かないと。わたしには、その責任があるんだから。
……ふと、後ろの方から音がした。ごと、ごと、ごと。多分、馬車が走る音だと思う。
真ん中を歩いてたら邪魔か。避けないと。
そう思って、端の方へ寄った。車輪の音はだんだんと近付いてきて、そしてわたしを追い抜くと、それと同時に……停車した。
……? なんで停まった……?
「ねえ、そこの女の子」
御者席にいた女の人が、傍にいたわたしの方を見てそう言った。状況的に考えて、わたしのことを呼んでるとしか考えられないけど。
けど……誰だ?
「なに?」
「キミ、えらくボロボロだけど……何かあった?」
「ボロボロ……?」
女の人に言われ、そこで暫く振りに自分の姿を俯瞰した。
確かに……着ていた服は何度かの獣との戦いでボロボロになり、とれない汚れで汚く見えた。一応、水の魔法で体も服も綺麗にはしているけど、はたから見たら奴隷か何かにでも見えるだろう。
「……体は綺麗だから大丈夫」
「いや、そういう話じゃなくて……」
呆れたように、女の人は言う。
「どこ向かってるの? 良かったら乗ってく?」
荷台の方を指差し、そう問いかけてくる。でも、ぶっちゃけ怪しさ満点だ。わたしみたいに小さくて若い女は、どんな世界でも価値が高い。別に自分のことを美少女だと言っているわけじゃない。『価値が高い』から、その分誘拐の被害も多いって話だ。
この女の人もその類なのかも。わたしを騙して乗せて、どこかに売り払って……まあ、騙されてたところで戦えば済む話なんだけど。そんじょそこらの人間に負けるほど弱くはないから。
「……お金無いから。それに、正直怪しい」
「怪しいって、ナハハ……奴隷商とか? 違う違う、私はただの野菜売り。見る?」
女の人は笑って、荷台から野菜の入った籠を取り出した。その中から赤い実を一つ取り出すと、わたしの方へと投げた。
くいくいと、顎でその身を差す。まさか……食べろってこと?
毒入りとかそういう話は抜きにして……わたし、野菜はそんなに好きじゃないんだけどな。
しかし、女の人のあまりのしつこさから、わたしはその赤い実に、小さく一口だけかぶりついた。
——甘い。でも、ダメ。これは野菜特有の甘さで……やっぱり苦手だ。
顔をしかめたわたしを見て、女の人は大きな声で笑った。
「ごめんごめん。野菜、嫌いだった?」
「……好きではない」
「そっかそっか。でもこの辺、獣も多いし、キミみたいな子が一人で歩くのは危ないよ。どこ行くの?」
「……ノーブリス」
そう言うや否や、今までで一番大きな声で驚かれた。
「ノーブリス!? こんなとこから歩いて行くつもり!?」
「ここまでも歩いてきたし……大丈夫」
村から見れば、歩いてきた距離はまだほんの少し。ノーブリスまで後何日かかるのか予想も出来ない。けどもっと長い道のりを旅したことだってあるし、問題無い。獣だって、狩れば貴重な食料だ。
またも呆れたように、今度は頭を抱えた。大きなため息をこぼしながら、女の人は御者席から手を伸ばした。
「乗ってけ乗ってけ。ノーブリスまでは行かないけど、その少し手前の町までは行くから。乗せてってあげる」
「いやだから、お金無いって……」
「いらんいらん! ただ、狭いからちょっと我慢してね?」
手を取ろうとしないわたしを見て、女の人は御者席から降りると、半ば強引にわたしの手を取って狭っ苦しい荷台へと押し込んだ。
抵抗することも出来たけど……何だかもう、それも面倒になっていた。別に襲われてもいつだって反撃出来るし……いいか。本当に何事もなくノーブリスの近くまで行けるなら、それはそれで儲けものだ。
「キミ、名前は?」
馬車が再び走り出してからすぐに、女の人はそう言った。
「……そういう時は自分から名乗るもんじゃん」
「ナハハ、ごめんごめん。私はケルティ・ネルソン。さっきも言ったけど、野菜売りだよ」
ちょっとばかり無礼すぎるわたしを咎めることもなく、ケルティはそう名乗った。
野菜売り……育てた野菜を大きな町まで行ってから売っているのか。荷台の中には結構パンパンに野菜が詰まっているし、そこそこ大きな農家の出なのかも。
野菜、かぁ……何だかこうしてると、お父さんを思い出すなぁ……。
お父さんも農家だったから、野菜とか果物は育ててたし、卵を産ませるための鳥も飼っていた。時たまお父さんの仕事を手伝ったりもしてたけど……それが、今では酷く懐かしい。
「どうしたの? 大丈夫……?」
「……何でもない」
少しぼーっとしてたか。いけない。しっかりしないと。
「わたしはアニュエ・バース。よろしく、ケルティ」
「うん。よろしくね、アニュエちゃん」
『ところで……』と、ケルティが切り出した。
「アニュエちゃん、どこから来たの? 何でノーブリスに?」
「……それは……」
本当のことを言うべきか、迷った。無関係のケルティに何か話して解決する問題でもない。言う必要は無い。
でも、かと言って誤魔化す必要も無い。同情を誘うつもりはなかったけど、正直……誤魔化しても本当のことを話しても、結果は同じだ。事態は何も変わらない。
……そうだ。この近辺の村や町で同じようなことが起きていないか、情報を集めるという意味でなら、本当のことを話しておくべきなのかもしれない。
わたしは荷台から横広の御者席へ移動し、ケルティの隣に座った。
「……わたしはヴェガ村から来た。ノーブリスには姉がいるの」
「…………っ!」
そうとだけ言えば、ケルティはすぐに理解したようだった。さっきまで明るかった表情が一瞬で青く、暗くなり、途端に言葉にならないカタコトの音を発し始めた。
触れてはいけない領域に踏み込んでしまったのか。そんな風に考えているのかもしれない。そんなに気にしなくていいのに。
でも、そうか。やっぱり、話はもう広まってたのか。
「あっ、ぅっ……ごめん、アニュエちゃん……」
「謝らなくていいよ。別に悪いことはしてない」
「でも……」
謝らなくていいと言ってるのに……変なところ真面目だな、この人。悪い人ではなさそうだけど。
「本当のことを話したのは、聞きたいことがあったから。同情してもらいたいからじゃない」
「聞きたいこと?」
「うん」
わたしがケルティに聞きたかったことは、主に二つ。
「この近くで、ヴェガ村と似たような事件って起きてない? それと……赤いフードを被った奴の目撃情報とか」
もしもわたしたちの村と同じような事件が起きているなら、それはあの赤いフードの奴の仕業な可能性がある。近くの村や町が炎の魔法を使う魔法使いに滅ぼされた……そんな話があるかどうか。
もう一つは、その犯人である赤いフードの目撃情報が無いかどうか。
と言っても、どちらにもそんなに期待はしていない。わたしだって馬鹿じゃないし、ここまで来る途中に町の人たちの噂に耳を傾けたりはしていた。そんな中で同じような事件が起きたとかいう話は聞かなかったし、何より、『赤いフードの魔法使い』というだけでは情報が少なすぎる。それ自体、特別珍しいというわけでもない。
ケルティの返答は、わたしが予想していた通りだった。似たような事件は起きていないし、赤いフードはありふれすぎて心当たりはない。そのうち絵でも描いて見せたら見つかるかもしれないな。
「そっか。ありがと」
「ごめん、力になれなくて……」
「だから、謝らなくていいって」
わたしを連れ込んだ時のあの強引さは何処へやら……なんか調子狂うなぁ。
話題を変えれば、ケルティの調子も戻るかな。わたしもこの調子でやられると気が滅入ってくる。ただでさえ半分鬱になってるっていうのに。これ以上暗くなるのはごめんだ。
「そうだ。ノーブリスの少し手前の町、だっけ。なんて名前なの?」
「え? ああ……【グローグ】っていう鉱山都市だよ。ノーブリスと同じ、グラメルテの町」
グローグ……なるほど。そこももうグラメルテの国内なんだ。グラメルテ自体大きな国でもないし、それなら本当にノーブリスのすぐ近くだ。
「そっか。そこからノーブリスまでだとどのくらい?」
「馬車なら一日で行ける距離だけど……」
「当てもないし、歩いていくよ」
残念ながらそこまで馬車に乗り慣れてるわけでもないから、馬車で一日の距離がどのくらいかは分からない。だけど、そんなに遠くないってことは分かった。
馬車で一日なら、歩いていけばどのくらいかかるだろう。馬には休息が必要だとして、その分わたしが休まずに歩けば……もしかすると、同じ一日で行けるかもしれない。ここからずっと歩きっぱなしは流石に無理だけど、グローグまで馬車で行って、そこから一日休まずに歩くくらいなら問題ない。
そうなると問題は、そのグローグまでどのくらいかかるか、だな。
不意に、何だか視線を感じた。他でもない、ケルティから。
「……アニュエちゃん。一日、どれくらい歩いてきたの?」
一日でどのくらい……と言われても困るな。別に数えながら歩いてきたわけじゃないし。それなりに歩いているとは思うけど、正確に何キロとまでは言えない。
それに、初めのうちはザックと一緒でペースも遅かった。別れてから上げたけど、実際どのくらい違ったんだろう。
「んー……分かんない。でも、村を出てから今日で五日目……かな」
「五日目で……ここまで来たの? それ、起きてる間、ずっと歩いてるんじゃ……」
ケルティは酷く驚いた様子だった。その通りだ。視界が奪われるほど辺りが真っ暗になると眠り、朝早くに起きてまた歩く。何度か途中の村や町にも寄ったりしたけど、起きている間はずっと歩いていたと言っても過言ではない。
様子を見る限り、かなり速いペースだったのか。
ただ、わたしだって歩くのが好きで歩いてるわけじゃない。これが、何の目的も、当てもない旅ならもっとゆっくりしてただろう。
でも、今回はわけが違うんだ。
「急がなきゃいけないの。お姉ちゃんに、みんなのことを話さないと」
そこまで言って……気付いた。話を変えたつもりだったのに、結局ここに着地してしまった。
「……ごめん、ケルティ。明るい話に変えようと思ったけど、無理。どう頑張っても暗くなっちゃう」
「……狭いけど、少し眠ったら? そうすれば、気分も楽になるかも」
「うん……そうする」
会ってまだ一時間と経っていないけど、何となく、この人は信用してもいい気がした。悪い人じゃない。これで悪人なら……とんでもない奴だ。
狭い御者席から、狭い荷台へと移る。籠を寄せて隙間を作り、そこに横になった。
「中に毛布があるから。必要なら使って」
「ありがと……おやすみ」
そう言えば、誰かのいるところで寝るのって、久し振りな気がする……。
そんな風に考えながら、毛布にくるまった。すぐに、眠った。




