第十一話 お母さんの秘密
呼吸を整える。剣を肩に乗せるように構え、何もない空をじっと見据えた。
深呼吸。大きく息を吸って、吐き、また吸って、吐く。何度かそうこうしていて、自己の意識と呼吸とがピタリと重なり合った時、右足を大きく前に踏み込んだ。と同時に、構えた剣を振り下ろす。
風を切る音。たった一度の振りで、それが数度聞こえた。
その動作を終えるのとほぼ同時に、わたしは横からそれを眺めていたザックの顔を見た。ザックは神妙な面持ちでそれを見守っていたけれど、やがて、大きく頷いた。
「……うん、五回。間違いなく五回聞こえた」
「……まじ?」
「大マジ」
と、いうことは……。
……一度の斬撃で複数回斬りつける技、瞬連斬。わたしは……アニュエ・バースは、八歳にして前世のわたしの記録に追いついたのだ。
* * *
激しく打ち合う木剣が、木剣らしからぬ音で鳴いている。まるで金属で打ち合っているかのような音。しかしながら、それは確かに店で売っているただの木剣だ。
この一年で少し背が伸びたザック。伸びたのは背だけでなく、魔法や剣の腕も上達している。
特に剣の才能は素晴らしいもので、わたしが加減すればという条件付きで、まともに打ち合うことができるようになった。去年は打ち合うどころか鍔迫り合いをすることもなかったのに。
魔法に関しては『こちら』流。つまり、詠唱とやらで精霊とやらに協力を仰ぐ魔法。わたしもこの詠唱式魔法には不慣れなので威力とかはともかくとして熟練度はザックと同程度。やっぱり、こっちのやり方でも使えた方が便利だと思う。
大振りの攻撃でザックと打ち合い、そしてその反発力でお互いに距離をとる。ザックは突撃してくることなく、左手を剣の柄から離してその平をわたしに向けた。
「風の精霊よ、我が呼びかけに応じ、刃となりてかの者を切り刻め!」
魔法か。甘いな、熟練度はともかく、威力はわたしの方が上だ。
「風の精霊よ……我が身を守れ」
ザックから放たれた『風の刃』は、わたしの前に現れた『風の盾』に弾かれる。詠唱云々は置いておいて、魔法に慣れているわたしの魔法を、ザックが破壊できるはずもない。
「くそっ……簡略詠唱で出せる硬さかよ!」
「あんたとは歴が違うのよ、歴が」
文句を言うザック。だがしかし。貴様程度の魔法でわたしの魔法を崩せると思うな。
今度はこっちの番だ。
「地の精霊よ、隆起せよ」
「っ……! 風の精霊よ、翔べ!」
わたしが手のひらをかざすと、ザックの足元の地面が大きく隆起する。それを察知し、ザックはザックで魔法を使って跳ねるが、残念。今のザックでは簡略詠唱で正確に魔法を練れるほどの感覚を養えていない。空中に跳ねたはいいものの、そこで身動きが取れなくなる。
空中では、飛ぶ斬撃も躱せまい。
「烏落とし」
お得意の飛ぶ斬撃が、空中のザックを撃ち落とした。
「せこくね?」
「せこくない」
何を言うか。これは訓練の賜物。せこいなんて言われたらやってられん。
ザックはお弁当を食べながらぶつぶつと文句を言っている。はっは、わたしに勝とうなんて百万年早いわ。邪神より強くなってから出直すんだな。
わたしもわたしで、朝作ってきたサンドイッチの袋を開く。やっぱり時間が経つとちょっと固くなるよなぁ、パン。こればっかりは我慢しないといけないけど、できればふわふわのやつがいい。まあいいか。
クラーケン事件から一年。わたしとザックはあいも変わらず裏山で訓練に励んでいた。さっきも言った通り、ここ一年でザックは鬼のように成長し、前は使えなかった魔法もああやって使えるようになった。まだまだ練習は必要だろうけど、同年代だと負け無しじゃないか。いや、この村だと大人でもザックには勝てないと思う。そもそも魔法使いがいないしね、この村。田舎すぎて。
お弁当を食べながら、やはり最近の訓練内容に不満があるのかザックはフォークでビシィっとわたしを指してきた。
「簡略詠唱であそこまで正確に操作できるってよ……やっぱせこくね?」
「やっぱせこくない。練習の成果だもん」
簡略詠唱。つまり、簡略化された詠唱。意味はそのまんま。
【ネヴェルカナン】において、魔法を発動するためにはマナを用いて『言葉』を発し、その言葉でエーテルを書き換える必要がある。この世界風に言うなら、精霊にお願いするってこと。
そしてその言葉が『詠唱』なわけだけど……この詠唱は、指示が詳しければ詳しいほどに良い。ここは書き換え式と同じ。
たとえば、さっきザックの使った風の刃で敵を切りつける魔法。あれは『風の精霊』に対して『自分の呼びかけに応じ』、そして『風を刃』へと形状変化させ、『敵を切り刻め』という指示を与えている。ここまで詳しく唱えれば、魔法が全く違う効果を発揮することはまずない。あるとするなら刃の形状とかくらいだろう。
対するわたしは、『風の精霊』に対し、『わたしの身を守れ』としか命令していない。『守る方法』の一切を指示していないし、何なら『何から身を守れ』とも指示していない。指示自体が曖昧なのだ。
こういう曖昧な詠唱を『簡略詠唱』と呼ぶ。書き換え式だって同じだ。書き換える内容を簡略化して速度を上げるやり方がある。それと同じ。
この簡略詠唱の長所は早く唱えられる点と、『相手に何をするか悟られにくい』点。細かく指示すればするほど、相手に攻撃の内容が伝わってしまう。割と大きなメリットだ。
じゃあ、早く唱えれるからいいじゃん……となればいいんだけど、勿論短所だってある。操作がしづらいところだ。わたしみたいに書き換え式の魔法を経験していて、尚且つ剣聖ちゃんと呼ばれる(自称)ほどの魔法使いなら魔法の操作にも慣れていて、ある程度は脳内で処理できるけど、ザックは違う。ザックは魔法自体に触れて日が浅い。詠唱無しで魔法を細かく制御できるほどのキャパシティがない。
最後の『翔べ』という魔法で翔んだ後に動けなかったのはそのせいだ。翔んだはいいものの、その先の制御ができずに静止した。
……まあ、簡単に言えば一長一短ってわけだ。
ザックは相変わらずブーブーと口を尖らせている。そんなに文句あるなら練習しろ。話はそれからだ。
「ちっ……まだまだ勝てそうにないな」
「え、何、勝つ気でいるわけ?」
「当たり前だろ。負けてばっかでムカつく」
「なんか前も聞いたなぁ、それ」
一年くらい前に。まだ後数年は聞くことになりそうだ。
と、わたしがそう返すとムキになったのか、お弁当を置いて剣を抜き、ザックは立ち上がった。剣先を天高く掲げる。馬鹿か?
「見てろよ、アニュエ。すぐに追いついてやる。俺だってすぐに五連撃打てるようになってやるよ」
「まだ二連が限界なくせに。何年先になるんだろうね」
一〇年後? 二〇年後かな?
「と、飛ぶ斬撃だって……」
「糸だって切れないじゃん」
「……」
「泣かないでよ……」
おいおい、こんな調子で大丈夫? ちょっと心配になってきたんだけど……。
ちょっ……号泣し始めちゃったよ……。
* * *
そういえば最近、何だかお姉ちゃんの元気がないように思える。なんだろう、思い悩んでる、みたいな……。
だからこそっと、お姉ちゃんの勉強を覗き見してみた。勉強中の後ろ姿に特に変な様子はない、けど……たまに大きなため息をついてる。どうしたんだろう。お腹痛いのかな。
「どうしたの、アニュエ?」
「ふぁにゃっ!?」
ぉぉおっほぉぉ!? ってなんだお母さんか。びっくりさせないでよ。
「そ、そんなにびっくりした? ごめんね、様子がおかしかったから」
「んーん。様子がおかしいのはわたしよりお姉ちゃんだよ」
「オリビアの?」
お母さんも扉の隙間から中の様子を窺う。そして首を傾げた。
「そんなにおかしい?」
「ん。最近元気無いように見えるの」
「確かに……言われてみればそう見えるけど」
家族の前では普段通り振舞っているから分かりづらい。でも一人になるとため息ばかり。やっぱり何か悩んでるのかもしれない。
……これはまさか、恋か!?
いやいやいや、まさかそんな。お姉ちゃんに限ってそんな……清純派っていうのは嘘だったの!?
で、でも、もしそうだとしたら相手は誰なの……お姉ちゃんと親しい男友達……? わたし、お姉ちゃんの交友関係までは詳しくないし……まさかザックとかじゃないよね!?
「お姉ちゃんダメっ、ザックはやめといたほうがいいっ!」
「アニュエ、何を言っているの?」
これはあれだ……お姉ちゃんの元気が無い理由を探らなくては。本当に恋なのだとしたら大変だ。十一歳の子供にまだ恋は早いと思う。ぶっちゃけ。そういうのはもう少し大人になってからすべきだ。
というわけで……突撃!
「アニュエ、何してるの……? ママまで……」
「あっ」
流石に騒がしくしすぎて見つかった。いけないいけない。まあ結果オーライ。聞き出しやすくなったと考えよう。前向きに。オーライオーライ。
よし。
「お姉ちゃん……ちょっとお話しよ。三人で」
「……お話?」
「いーからいーから」
「あ、ちょっと……」
お姉ちゃんを連れ出し、お母さんと三人で庭へ。ベンチに並んで座って準備オーケー。
ふぅ。それじゃあまず何から聞こう。
「ど、どうしたの、二人とも……何かあった?」
「何かあったのはお姉ちゃんの方じゃない? 最近、元気無いよね」
「私は気付かなかったけど……そうなの、オリビア?」
お姉ちゃんは俯いて何も言わない。ふぅむ、ただこうしてるだけじゃ埒があかないな。どうしようか。
「お姉ちゃん。確かに気持ちは分かるけど……」
「え……?」
わたしがそう言うと、初めてそれらしい反応を見せた。目を丸くして、きょとんとしている。
「まだ、わたしたちに恋は早いと思うの。そういうのはもう少し大人になってからすべきだと思わない?」
「えっ」
「相手が誰なのかは知らないけど、応援したい気持ちも勿論あるけどっ……でもまだ早いよっ!」
「何言ってるの、アニュエ?」
「あっ、違う?」
「うん」
あれ、違ったか。恋じゃなかった。良かったのかそうでもないのか。力説したわたしが馬鹿みたいだ。恋なんてわたしたちにはまだ早いからね。
「オリビア……何か悩んでることがあるなら話してみて? 私たちで力になれることもあるかもしれないわ」
「ママ……」
なんかわたしの時と反応が違う。何故だ。わたしのやり方が間違っていたと? そう仰る?
お姉ちゃんは一瞬思い詰めたような顔をして、すぐに何か決意を固めたのか、キッと目を見開いた。
「……魔法のことだよ、ママ、アニュエ」
「魔法のこと?」
おっと、そうきたか。そういえばそうか。勉強してて思い悩むことなんて勉強の内容くらいだ。どうして先にそっちに気が付かなかったんだろう。魔法の学校に行くための勉強をしてるんだから、魔法で思い詰めるのも当然。馬鹿か、わたしは。
けど……何で悩んでるんだろう? 前に一度、お姉ちゃんの魔法を見せてもらった時は、特に問題無く使えていたような気がするけど。
「魔法がどうかしたの、オリビア」
「うん。私……水と氷の魔法が苦手みたいなの」
「水と、氷……?」
前に見せてもらった魔法は確か……風。お姉ちゃんの水や氷の魔法は見たことがない。
わたしたちが首を傾げていると、実際に見た方が早いだろうと、お姉ちゃんは詠唱を始めた。
「水の精霊よ。我が呼びかけに応じ、小さき水球となりて現れよ」
水の球を作り出す魔法。お姉ちゃんの人差し指の先に現れたのは本当に小さな……コインほどの大きさの水の球。しかも揺らぎまくって安定性も無いし、作るのが限界って風に見える。
今のは水の球を作る魔法か。『小さき』っていう詠唱が入っているからあの大きさはまだ分かるとして……それ以外が確かに酷いな。安定性が無さすぎる。こんなに小さな水の球を作るだけで精一杯なんて話はあんまり耳にしたことがない。苦手って言っても、普通は練習すればもう少しマシになるものなんだけど。
お姉ちゃんの様子を見る限り、練習して『これ』なんだろう。
「どう? 今の……酷いでしょ」
制御を解くと水の球は落下して地面を小さく濡らす。それから、お姉ちゃんは酷く落ち込んだように見えた。音を付けるとしたら……『しょぼーん』かな?
何というか……かける言葉が見つからない、というか。
得意な魔法っていうのに個人差があるっていうのはまあ常識的な話、ただ風の魔法があそこまで綺麗に使えるのに水の魔法に関しては制御が絶望的だなんて、そんなことある? 相性とかそういう話を超えてる気がする。
「私……才能無いのかな」
「お姉ちゃん……」
違う……と、否定したかったけど安易にすることもできない。最早才能が無いとしか言いようがなかった。励ますことは簡単だけど、その責任を取ることは難しい。
二人して俯いていた時、話を切り出したのは、何とお母さんだった。
「……二人とも、村の皆には内緒よ?」
「え?」
お母さんは指をそっと唇に当て、そして立ち上がった。
右の手のひらを腰くらいの高さで天に向け、何やら詠唱を始める。
「この手に舞うは紅蓮の花、炎の精霊よ、我に従え」
詠唱が終わると同時に舞い始めたのは、真っ赤な花弁。火花を撒き散らしながら舞うそれは、『炎で出来た花弁』だった。
どこか神秘的で、危なっかしく、それでいて美しい。色んな感情が混ざり合うような感じがしたけれど、上手く言い表せない。
それはお姉ちゃんも同じで、わたしと同じ、ぽかんと口を開いてただその花弁を眺めていた。
……え、嘘。あれ!? お母さん、魔法は苦手だって言ってなかったっけ!?
少しして、お母さんが手を握ると、炎の花弁は消え去った。元から何も無かったみたいに。
「……ね?」
「ね? じゃなくて」
おかしいなぁ……お母さん、昔聞いた時は苦手だって言ってたのに。あの時見せてくれたのも……。
……あ。
『ねー、おかあさん』
『なーに?』
『おかあさんってまほうつかえる?』
『魔法? 簡単なものなら使えるけど……私はセンス無かったから』
そう言ってお母さんは詠唱し、人差し指の先に小さな水の球を浮かせた。
……あー?
「お母さんまさか……水の魔法が苦手だったりする?」
「アニュエちゃん、ご名答。もしかして、昔使って見せたの思い出した?」
もしかしてもクソもなくその通りだ。してやられた。
前提条件が違ってた。わたしはてっきり、『お母さんは魔法全般苦手』という前提条件があって、それで『お姉ちゃんには魔法の才能がある』ものだと思ってた。
でも違ったんだ。実のところ、お母さんは『炎に特化した』……紛れも無い、『魔法使い』だった。
それでいて、水の魔法が苦手……多分、氷の魔法も。お姉ちゃんのあれは才能の有無とかじゃなく、『遺伝』だ。
魔法使いの才能には遺伝性がある。親が魔法使いとして優秀ならその子供も優秀なことが多くて、親がそうでなくても先祖のどこかしらに優秀な奴がいたら先祖返りで優秀な子が生まれたりする。勿論そうでないパターンもあるけれど。
お母さんは炎に特化した魔法使い。お姉ちゃんは特にその恩恵を大きく受けていたから、水の魔法が苦手だった。
因みにわたしには影響無かった。水の魔法も氷の魔法もバンバン使える。でも特別炎が得意というわけでもない。ただ、エーテルやマナに関しての成長が早かったのには影響あったのかも。
ってお姉ちゃん、現実に戻ってこーい。
「……驚いた。お母さん、魔法使えたんだ……」
「実は少し有名な魔法使いだったとかそうでもなかったとか。まあ、昔の話よ」
これは完全に名の知れた魔法使いだったやつ。だって、さっきみたいな繊細な魔法が使えたんだもの。炎で花びらを作るなんて結構な高等技術だよ。
「二つ名とかあったんじゃないの?」
そう聞くと、ウンウンと悩んで、
「……秘密」
……可愛くはぐらかされた。えぇ、気になる……。
と、丁度その時。脇の方からお父さんの顔だけが現れた。休憩か?
「母さんの二つ名は『煉獄の花姫』っていうんだぞ、かっこいいだろ」
「あなた!?」
「お父さん、グッジョブ」
グッと親指を立てて消えゆくお父さんを見送った。たまには良い仕事するじゃん。
それにしても、『煉獄の花姫』……道理で怒ったら鬼のような顔になるわけだ。煉獄だもん、煉獄。『煉獄』と『花』と『姫』が共存する言葉なんて他にないよ。
……おほん。と、お母さんがわざとらしく咳払いをした。
「ともかく。オリビア、それは遺伝の可能性が高いから。炎の魔法は使ってみた?」
「ううん……家の中だと危ないから」
「そう。なら見ててあげるから使ってみなさい」
諭すように言い、お姉ちゃんは言われるがままに炎の詠唱を始めた。
詠唱文は『小さき炎の球』と『現れよ』。水の時と同じ。
しかし、結果は大きく違った。
水の時はコインほどの大きさだった。だと言うのに……同じ詠唱文なのに、今度は握り拳くらいの大きさ。安定性も段違い。驚いたな……まあ一番驚いてるのはお姉ちゃんだけど。
「ママ……!」
「大丈夫よ。試験は一つが優れていても評価されるから」
ほー。まあ確かにわたしみたいなオールラウンダーも珍しいからなぁ。あそこまで炎が優秀ならそれはそれで評価されるのか。というか詳しいな。実はその学校の出身だったり?
……いや、あり得なくもないな。お母さん、一体何者だったんだろ。今度お父さんに聞いてみよっと。
参照:五話




