第七章:2 最悪の憶測
「どうして?」
「そう考えると、辻褄を合わせるには都合の良い推測が立ちます」
彼方はゆっくりと腕を動かして見た。鉛のような重さが幾分和らいでいる。寝台に腕を突くようにして身を起こしてみた。真っ直ぐに奏と向き合う。少し表情が固くなるのが判った。奏は彼方の心中を見抜いたのか、困ったように微笑んだ。
「その様子では、彼方もそれを考えてみたのでしょう?」
「――闇呪の翼扶……」
彼方にも容易に描くことの出来る筋道がある。竦んでしまう彼方を励ますように、奏が的確に言葉にした。
「素直に考えれば、導き出される答えは一つです。彼と最後に縁を結んだ緋国の姫宮。闇呪の君がその姫宮を愛していた可能性は、決して低くはないと思います」
「……でも、そうだとしても。彼が心を捧げた翼扶は、闇呪の想いに応えなかったということだよね」
奏は目を伏せるようにして頷いた。彼方の眉間に皺が寄る。
「闇呪の君と縁を結んだ六の君こそが、彼を滅ぼす相称の翼となりました。皮肉なことに彼の想いは届かず、最悪の終焉に向かい始めたのかもしれません。ですが、闇呪の君がその事実を知って、どう捉えるのかは私達には判りません」
「そんなのっ、憎むに決まっているよ。姫宮も黄帝もこの世の全てを呪いたくなる位に。だから――」
「だから、彼が相称の翼を奪った。そしていずれ世の禍となる。彼方は未だにそう考えてしまうのですか」
全てを見抜いているかのように、奏の灰褐色の瞳が語りかけてくる。彼方は深く頭を垂れて、「判らない」と呟いた。
「僕には、もう良く判らない。副担任に悪意や恐れを感じないんだ。だけど、兄上や紅蓮の宮に対しては、恐ろしいと感じてしまう。彼らの方がずっと得体が知れない。ここに来てから色んな事が覆されて、僕にはよく判らない。だけど、そう思うことが副担任の狙いなのかもしれないし」
彼方が素直に吐露すると、束の間、室内に沈黙が満ちた。奏が自然にその沈黙を破る。
「彼方、私はいずれ闇呪の君に仁を以って忠誠を誓うかもしれません」
「――え?」
「私は彼にそれほどの恩を受けました」
「それって、白露のことで?」
「ええ。けれど、私の望みが彼の歩む未来に在るとは思えない。そう願いたいのに、成り行きがそうではない。だから、立ち止まってしまうのです。これほど恩義を感じながら躊躇っている私は、恥ずかしいくらいに卑怯です」
「だけど、そんな、闇呪に忠誠を誓うなんて、いくら白露を救ってくれたとしても、――僕は正気の沙汰とは思えないけど」
奏は自嘲するように笑った。
「哀しいことですが、私にとって忠義が必ず正義の元にあるとは限りません」
「え?」
「正義であるかどうかよりも、自分が信じられるかどうか、自身が満たされるかどうか。私の忠義はそういう処に生まれるのだと。そう感じています」
静かに、けれど強い響きが込められた声だった。彼方は懸命に辿ろうとするが、奏の思いを理解することができない。今まで見たこともない形を突きつけられた気がした。そんなふうに考えたことがなかったのだ。答える術を持たない。言葉を失った彼方を眺めて、奏はまるで無駄な寄り道をしてしまったというように、「話を戻しましょう」と言った。
「彼方も感じたように、闇呪の君が非情なだけの暴君ではないとすると。――相称の翼に関わる真実を知った今でも、六の君を愛しているのかもしれません」
「だから、彼は影脈を使える?」
「推測に過ぎませんが、そう考えると辻褄が合います」
「それは、そうだけど……」
「都合よく考えることはいくらでもできます。例えば、闇呪の君がその天宮の娘に恩義を感じるのも、もしかすると翼扶に関して、何か世話になったからなのかもしれません」
「どうかな。全部繋がると言えば繋がるけれど。でも、緋国の姫宮が闇呪の翼扶だとすると、彼が影脈を開くのは不自然じゃないかな。だって、黄帝の翼扶である姫宮が、どうして闇呪を呼ぶのか説明がつかない。こじつけようと思えばいくらでもこじつけられるけど、やっぱり強引な気がする」
「そうですね」
奏はあっさりと考えに線引きをする。彼方は再びばたりと寝台に倒れこんだ。
何もかもが腑に落ちない。
都合よく筋道を合わせるだけなら、考え方は幾通りもあるのだ。闇呪が翼扶に関わらず脈を開くことができるなら、それが一番理に適っているのかもしれない。全ての憶測が意味を失う。彼方は自分を励ますように、溜息をついた。
彼が開いた影脈の先に何があるのか。
それは自分たちと同じように、かけがえのない翼扶にだけ繋がる脈なのだろうか。
彼が愛し、心を捧げた誰か。
――君が私の護るべき者の仇となるなら、その時は容赦しない。
ふと闇呪である副担任の言葉が蘇る。彼方は首を回して、椅子に掛けたまま動かない奏を見つめた。闇呪に対する奏の思い入れに、少なからず動揺したのは事実だ。
けれど。
正義であることよりも、自分が信じられるかどうか。満たされるのかどうか。
その思いは、闇呪の選んだ生き様にも繋がっているのではないだろうか。
(同じなのかもしれない)
正義から程遠い行いであったとしても、彼は突き進んでいく。
闇呪が護ろうとしている誰か。
それが――。
彼方の背筋に不安が這い上がる。
もしそれが、縁を結んだ緋国の姫宮――相称の翼であったのなら。
彼方は唇を噛んで考えることを放棄した。本当は真実から目を逸らしたくて、副担任と朱里に絆を感じていたいのかもしれない。
そんな錯覚に縋っていたいのかもしれない。




