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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第三話 失われた真実

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第二章:1 碧宇(へきう)との再会

 彼方(かなた)は深夜の校内をひたひたと彷徨(さまよ)っていた。窓から差し込む月明かりが、煌々と廊下を照らしてくれる。視界は適度に保たれているが、月光の描き出す濃い影が背後から迫り来るようで、彼は何度も歩みを止めて振り返ってしまう。


「ものっすごく、怖いんだけど」


 わざと声に出しながら、彼方(かなた)は少しでも恐ろしさから気を紛らわせようと、大きく頭を振る。

 視界の果てが暗闇に呑まれて行く光景は、どんなに努力しても慣れることが出来ない。全ての輪郭(かたち)を闇色に染め替える影が、やがてその内から、ひときわ鮮やかな闇――()を生み出してしまうのではないかという恐れを抱かせる。


 天界にあろうと、この異界にあろうと、向こう側が闇に溶け込んで見通しが効かない光景が恐ろしいことは変わらない。これまでに刷り込まれてきた()に対する恐れは、異界に渡ったからと言って簡単に変えられる物でもない。

 どんな状況にあっても、目の前に広がる暗闇は恐れを刺激する。


「絶対にこちらの世界へ渡っている筈なんだよね」


 少しでも場を賑やかにしようと、彼方はとりとめのない独り言を続ける。


「僕の見間違いだったのかな。噂どおり、単なる部員の霊だったら――」


 彼方は新たな推測に身震いをしてしまう。


「それはものすごく嫌だ。なんか不気味そうだし、気持ち悪い気がする」


 しんとした廊下に自分の独り言だけが響いている。幾分恐ろしさを和らげる効果は得ているが、彼方は段々と虚しくなって来た。


(――天界の者なら、僕に気がつかない筈はないのに)


 独り言の虚しさに負けて胸の内で呟くが、それはそれで、やはり音のない暗がりが怖い。


「僕のやっていることって単なる無駄なのかな。当てずっぽうに探し回っても駄目か」


 再び声に出して呟いてみるが、彼方の探している人影は一向に見つけられない。

 その人影は、既に学院内でも偶然目にした生徒がいるのだろう。目撃談に余計な尾ひれがついて、ありふれた噂となって囁かれている。


 この世に未練を残した生徒の霊が、校内を徘徊しているという噂。

 彼方にとっては、その噂が演劇部であろうが陸上部であろうが何でも良い。重要なのは、噂の火種となった存在なのだ。


 彼方(かなた)も今朝、誰もいない早朝の教室で、窓際からちらりと彼らの姿を捉えた。向こう側に(そび)える別館の校舎に、色鮮やかな衣装が閃くのを見た。校内にあっては不自然な光景だったが、彼方の目には懐かしくさえ映る。


「あれは、僕の見間違いじゃない」


 ない筈だと言い聞かせて、彼方は改めて暗がりに目を凝らした。今朝見た光景を辿って、彼は別館を彷徨(さまよ)っている。各クラスの教室が順番に並んでいる校舎とは違い、別館は音楽室や理科室、視聴覚(しちょうかく)室などと言った特異な教室の棟だった。

 生徒として通っている彼方にとっても、見慣れた教室とは違い、馴染みが薄い場所である。


「なんだか想像以上に広く感じるのは、気のせいかな」


 一階の端までたどり着いてしまい、彼方は大きな溜息をついて二階へと続く階段を見上げた。月明かりの届かない階段の踊り場は真っ暗で、彼方は思わず引き返そうかと足が止まってしまう。


「歌でも歌うべきかな」


 (すく)む思いを奮い立たせて、彼方は一段目に足を掛ける。明かりのない踊り場の闇を蹴散らすように一目散に駆け上がろうとした時、ひやりとした空気の流れが肌に触れた。


 彼方はぞっと全身が総毛立つ。その場から身動きせずに、自身の鼓動を感じながら踊り場を見上げた。

 耳の痛くなるような静寂の中に。


 するりと不似合いな衣擦(きぬず)れの音がした。

 踊り場の闇の中から、ぼうっと白い影が現れる。月明かりの届かない踊り場の暗がりを抜けて、引き摺るような衣装の裾が閃いた。


 彼方が息を呑んで見守っていると、現れた人影はするすると動き、月明かりに照らされた段差まで降りてきた。


「――翡翠(ひすい)か」


 彼方が人影を見分ける前に、聞きなれた声が響いた。緊迫した恐れが一瞬にして晴れる。彼方は思わず声をあげた。


「兄上っ」

「やはり、おまえか。ようやく機会を得た」


 見慣れた碧国(へきこく)の衣装を身に(まと)い、碧宇(へきう)がゆっくりと階段を下りてくる。校内には不似合いな姿だが、彼方にとっては親しみのある兄の姿だった。


「どうして、ここに?」


 これまでの緊張が解けて、彼方は兄の元へ駆け上がろうとした。

 けれど。

 ひやりと、再び肌に触れる流れ。

 言いようのない違和感が漂っている。それは碧宇がここに現れたという事とは別の何か。彼方は再び高まってゆく緊張感に身を硬くした。そんな弟を見下ろしながら降りてくる碧宇にも、彼方の警戒が伝わったようだった。


「おいおい。せっかく愛すべきお兄様に巡りあえたというのに、その態度はないだろう」


 今までと変わらない砕けた様子で、碧宇は笑顔を見せる。彼方には何がこんなにも引っ掛かっているのか、恐れの正体がわからない。


「兄上は、気がつかない?……なにかが、変なんだ」

「何かって?」


 碧宇はわざとらしく辺りを見回す。彼方も兄の視線につられて辺りを振り返った。視界から完全に碧宇の姿が消えたところで、彼方は背中に何かが押し当てられるのを感じた。

 わずかな一点に触れた圧力。

 振り返らずとも、背後から何か鋭利なもので突かれているのだと分かる。


「――兄上?」


 兄と向き合おうとすると、背中に触れている切っ先にぐいと力が入った。彼方は咄嗟に動きを止める。これ以上力を加えられると、押し当てられた先端が彼方の肌を突き破ってしまいそうだった。間違いなく兄の碧宇が抜刀したのだと悟る。兄の思惑が分からず、彼方は背を向けたまま立ち尽くしていることしか出来ない。

 碧宇の剣先は、なぜか弟であるはずの彼方を捉えているのだ。


「兄上、どういうことだよ」

「――おまえの魂魄(いのち)をもらう」


 唐突に、起伏のない声で碧宇が語った。


「おまえはいずれ我が(あるじ)(あだ)となる」

「仇って……」


 彼方ははっとした。碧宇は黄帝に対して真名(まな)を献上したのだ。兄が忠誠を誓う主に辿りついて、思わず声を高くした。


「それって、僕が謀反(むほん)を起こすってこと? 兄上も本気でそう考えているの?」


 碧宇からは答えがない。背後から伝う冷ややかな流れに、彼方はぎくりと身動きを止めた。更に密度を増した違和感は、覚えのある嫌悪感へと塗り替えられていく。


「とにかく、兄上」


 彼方は兄と向かい合うために、身を翻した。


「――っ」


 兄の顔を見る前に、左肩に痛みが走る。切りつけられたのだと自覚する前に、ひゅっと風を切る音がした。彼方は肩を押さえたまま、咄嗟に横へ跳んだ。



「兄上、何をっ……」


 言い終わらないうちに、碧宇は再び剣を構える。


「おまえと馴れ合っている暇はない。逃れようとするなら、全力で斬る」


 彼方にもなじみの在る、兄の美しい剣。それが今は自分に向かって容赦なく振り下ろされようとしている。

 碧宇の手にある、翠嵐剣(すいらんのつるぎ)

 碧宇が本気で振り下ろせば、大地を割くほどの威力を発揮するだろう。逃げ回るだけでは、校舎が半壊してしまう。


 だからといって、彼方が自身の礼神(らいじん)をもって剣を防御しても、大変な重傷を負うことは間違いがない。彼方には剣に集約される兄の圧倒的な力を受け止めるほどの力がないのだ。


「ちょっと待ってよ。僕が黄帝を敵に回すと、本気でそう思っているの?」

「おまえの問いに答える必要はない。主命に勝るものはない」


 彼方は息を呑んで兄を睨んだ。

 真名を捧げる忠誠は絶対なのだ。それは彼方にも分かる。けれど、碧宇の中に在った弟への愛着は、これほど容易(たやす)く失われてしまうのだろうか。


 幼い頃から共に過ごした記憶。

 彼方が碧宇の立場に在ったとしても、これほど非情にはなりきれないだろう。一体、この短期間に兄に何が起きたのか。


 肩から滲み出る血で、傷口を押さえている(てのひら)が濡れている。けれど、傷の痛みよりも、肌で感じる嫌悪感の方が強烈だった。

 どこか覚えのある感覚。


 ()に対する恐れに似ている。


 彼方は月明かりの届かない階段の踊り場に、何かが淀んでいるのではないかと目を凝らす。碧宇の背後で密度を増している闇。彼方は窮地に陥った焦りが、単なる暗がりを()に見せてしまうのだと、弱気になっている自分を叱責した。

 碧宇は何かを惜しむように目を細めて、浅く笑う。


 彼方はぞっと戦慄しながら、血に濡れた手で虚空を掻く。指先に触れた柄を強く握り締めて、すらりと剣を抜いた。

 自身の碧波剣(へきはのつるぎ)では、兄の剣を受け止めきれないのは明らかである。それでも彼方には、そうする以外に打つ手がない。


「――兄上」


 彼方は強く剣の柄を握り締めた。碧宇が翠嵐剣(すいらんのつるぎ)を高く振り上げる。頂上でぴたりと動きをとめた剣先が寸分違わず彼方を捉える。

 ごうっと風をきって、刀剣が振り下ろされた。彼方は手にした剣を構えるが、衝撃の激しさを思って固く目を閉じた。

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