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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第三話 失われた真実

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第一章:5 理性と感情

 ぐったりと力の抜けた身体(からだ)を、(はるか)は咄嗟に抱きとめた。腕に寄り掛かる無防備な重さは、彼の記憶と何一つ変わらない。

 自分に詫びる言葉も、涙も。


主上(しゅじょう)、お目覚めですか。幾度となく同じ体験を見守っていても、やはり心配しました。特に彼女はぴったりと主上の傍にはりついて離れませんでしたから。安心して気が緩んだのでしょうね」


 聞きなれた麟華(りんか)の声が遥を追憶から連れ戻す。彼の守護(しゅご)である彼女は、寝台まで歩み寄ってきて、気を失った朱里(あかり)を取り上げようと腕を伸ばした。


「――水を……」


 麟華の手が朱里に触れる前に、遥はそう呟いていた。動きを止めた守護を仰いで、もう一度言い直した。


「麟華、水を持ってきてくれないか」


 彼女は主の真意に正しくたどり着いたようで、優しげな笑みを浮かべる。


「かしこまりました」


 朱里を連れて行くことはせず、麟華は素早く踵をかえすと客間から姿を消した。遥は腕の中に残された朱里を眺めて、頬を塗らしている涙を指先で拭った。


「どうして……」


 彼女の身体をさらに強く引き寄せて、存在を確かめるように抱きしめる。

 目を閉じて、動かずに。


(どうして、彼女の想いを手に入れるのが、私ではなかったのだろう)


 今更考えても仕方のないことが、胸に渦巻いた。

 鬼門(きもん)に飛び込んで、禁術を発した彼女。追いかけて懸命に腕を伸ばしても、届かなかった(てのひら)の先。それでも、見失うことだけは避けたかった。


 守護を失う覚悟で、彼は黒麒麟(くろきりん)天落(てんらく)する彼女を追わせたのだ。

 異界で黒麒麟に保護された彼女は、(すで)に見分けることが出来ない姿に変貌を遂げていた。殻に閉じこもった彼女――赤子を見た時、彼は見失わなかった幸運を噛み締めた。


 けれど、今となっては。

 あの時に見失っていても、時が来れば、必ず彼女を見つけ出すことが出来たのだろうと思う。

 天落(てんらく)(ほう)に身を委ねながらも、日を追うごとに彼女の殻は朱桜(すおう)の姿を形作っていく。


 まるで禁術に身を投じる前の彼女が、目の前に現れたかのように。

 鮮明に。

 殻はこちらの世界に相応しい適応を果たし、天界の気配は微塵も感じられない。それでも、ひとときを彼女と共に過ごした彼には、見間違うことのない姿形。


 胸が詰まるほど、愛しい。

 満たされた思い出に在る彼女に等しく。

 彼はゆっくりと閉じていた目を開く。視界に入った彼女の黒髪が、まるで全ての未練を打ち砕くかのように事実を示した。


 固く編まれた長い髪は、これからの闇を表しているような見事な漆黒に染まっている。

 彼は自嘲するように浅く笑って、朱里の体を抱く腕から力を抜いた。


「まだ、()の名残に酔っているのか、私は」


 過去の至福に縋ることはしない。全ての未練は断ち切ると決めた。

 今はただ、彼女の幸せのためだけに。

 ここに在る。

 彼女は相称の翼。

 その幸せは黄帝と共に在るのだ。


 遥は大きく息をつくと、両腕で朱里を抱き上げながら寝台を出た。まだ全快とは言えないが、気分は悪くない。休んでいた客間から廊下に出ると、丁度帰宅した麒一(きいち)の姿が玄関に見えた。彼は遥が呼びかける前に気付いたようで、素早く遥の前まで参上した。


()(きみ)、お目覚めですか。心配いたしました」

「ああ、色々と迷惑をかけて悪かった。麒一、朱里を部屋で休ませてやりたいのだが」

「では、私がお連れいたします」


 朱里を麒一に預けると、彼は不思議そうに遥を見た。


「しかし、彼女は一体どうしたのですか」


 遥が答える前に、背後から騒がしい足音と共に麟華の甲高い声が響く。


「麒一ったら、どこまで気が効かないのかしら」


 ずかずかと二人の前まで歩み出て、麟華は麒一を睨んだ。


「朱里はほっとして気が緩んだだけよ。せっかく主上が二人の時間を惜しんでおられたのに」

「我が君が?」


 麟華には答えず、麒一は哀しそうに遥を見た。遥はやれやれと吐息をつく。


「おまえの言いたいことは判っているよ。……ただの気の迷いだ」

「我が君、迷ってしまうような意志で臨むのであれば、今すぐに(あん)()へお戻りになられた方がいい。彼女もあなたも、過去に縛られて苦しむだけです」

「――わかっている」


 短く答えると、麟華が「暗いっ」と咆えた。


「麒一は根が暗すぎるのよ。朱里が主上を好きになれば、何かが変えられるかもしれないじゃないの」

「そんなことは、夢物語だ」

「どうしてよ」


 麟華が問うと、麒一は恐ろしい形相で睨む。


「私には麟華の考え方が理解できない。朱里が我が君に心を移す? 相称の翼が黄帝を裏切るということが何を意味するのか判っているのか。そんなことになれば、我々の生まれた世界は間違いなく滅びる。そして我が君は、文字通りこの世の凶兆となる。なぜ、守護でありながら、そんなことが判らない?」


「ええ、実に理論的なご意見でいらっしゃるわ。だけど、そんなふうに簡単に割り切れないのではなくて? そもそも、どうして彼女は黄帝の元から逃避しなければならなかったの? その理由が明らかにならない限り、私はどんな夢でも見られるわよ」


 睨み合う双子を前にして、遥は二人の間に手を翳す。


「二人とも、やめないか。麟華、私は朱桜を苦しめる結末を望まない。仮に朱里が心変わりをしても、その恋心は錯覚でしかないだろう。禁術が解ければ、彼女は必ず黄帝への想いを取り戻す。……私が浅はかだった」


 未練に引き摺られた行動を反省すると、麟華は何も言わずに顔を伏せた。

 自分の守護として生まれた黒麒麟。幼い頃から傍に仕え、自身のささえとなってくれる。


 麒一は理性。

 麟華は感情。


 いつからだろう。

 二人の属性が、(あるじ)相容(あいい)れない想いをそのまま映していることがあると感じるようになったのは。


 麟華の語る望み――未練はたしかに遥の中にあった。

 けれど、感情だけに流されることはできない。麒一の語る事実が正しいのだ。


「とにかく、お前達に聞きたいことがある」


 主の声に頷いて、麟華が邸宅内にある座敷へと遥を促した。麒一は朱里を部屋で休ませてから、同じように座敷へ現れた。三人で座卓を囲むと、まるで久しぶりに顔を合わせた兄妹のような絵になる。遥は守護を前に、寛いだ様子で問いかけた。


「私が()している間に、何か変わったことは?」


 双子は顔を見合わせて、どちらが経緯(いきさつ)を説明するのかを決めたらしい。麒一が口を開く。


「色々と変化がありました」


 落ち着いた口調で、麒一は(あるじ)が倒れてからの経緯を詳細に語る。遥は黙って聞いていたが、一通り話が終わると、さすがに深い溜息が漏れた。


「そうか。朱里におまえ達の素性がばれてしまったのか。――あの時の成り行きを考えれば、無理もないな」

「はい。いずれは明らかになる事実です。それよりも、問題は天界から放たれた追手です。目的は明らかではありませんが、姿を見せれば、我が君の素性はすぐにばれてしまうでしょう。我々の眼に彼らが映るのと同じです」


「そうだな。追手を蹴散らすのは容易だが、彼らの目的と、誰の差し金であるかは掴む必要がある。――(へき)の第二王子だけが別行動を取っているようだが」


 遥が麟華を見ると、彼女は頷いた。


「本人もそう訴えていました。敵意は感じられず、無邪気な方です。信じるに値するかは判りませんが。主上もご存知のように、彼だけが生徒として紛れ込んでいるのも事実です」


 遥は思い当たる事実を見つけて、その名を口に出した。


「私を迎えたように、あの王子には天宮(あまみや)が関わっているのかもしれない」

「では、天宮――、東吾(とうご)にでも話を聞いてみますか」


 麒一の語る人物は、遥の前にも何度か姿を現したことがある。

 異界に堕天した先守(さきもり)――天宮。その天宮の(めい)を受けて、自分達と接触をはかる男である。


 黒沢(くろさわ)(はるか)と名乗る講師の役回りも、こちらで過ごすために天宮が与えてくれた立場だった。朱桜(すおう)が天落をはかった時も、天宮の遣いが姿を現し、彼女に天宮(あまみや)朱里(あかり)としての立場を与えた。遥には天宮にどのような意図があるのかは分からない。これまでは互いの利害が一致していたようなので、抗う必要を感じなかった。


 現在、天宮の使者として表れる東吾自身はただの人間であるようだが、何事にも動じず恐れない。得体が知れず不気味な存在ではあった。

 遥は麒一の提案に対して、首を横に振った。


「無駄だろう。彼らは我々に関わることは一切口にしない。それに、こちらの世界を巻き込むことは、極力避けた方が良い」

「では、いかがなさいますか?」


 麒一の問いに、遥は「何も」と答えた。


「こちらから先制をかける必要はないだろう。全ての追手が朱桜(すおう)を苦しめるとは限らない。私達はこれまでと変わらず彼女を(まも)るだけで良い」

「――かしこまりました」


 従う意志を表明する守護に、遥はただ頷いて見せた。

 金域(こんいき)の玉座に在る黄帝。その御前から逃亡を謀った黄后(こうごう)となるべき翼扶(つばさ)

 朱桜が自身の立場を理解していないとは思えない。天帝の御世(みよ)を築く、その立場を。


 どんなに考えても、彼にはそれを放棄しなければならなかった理由が判らない。

 愛すべき黄帝の元を離れてまで、彼女が訴えなければならない事。

 彼女の愛した黄帝なら知っているのだろう。

 それなのに。

 なぜ、黄帝は相称の翼を救うことができずにいるのか。


(――その御身(おんみ)に、何かあったのかもしれない)


 黄帝を脅かす策略。

 世の仕組みからは考えにくいが、在り得ないとは言えないだろう。

 遥は考えても無駄だと思考を打ち切った。今は受身でいることしか出来ないのだ。

 真実には、遠く手が届かない。

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