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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第三話 失われた真実

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プロローグ:悪夢の狭間(はざま)

 どうして気がつかなかったのだろう。

 彼女に想いを寄せることが、自分を追い詰める最大の要素であったことを。


 彼の身体中を駆け巡り、荒れ狂う()

 激しい痛みは熱を(はら)み、既に痛覚が麻痺しているのかもしれない。息苦しさの中で、ただ負の感情が肥大する。


 ()は悪意をもって彼の記憶を辿り、どこまでも後悔を増幅させた。

 容赦なく、彼を追い詰める。

 悪夢に苛まれ、彼を満たしてきた想いまでが悪意に呑まれる。


(――彼女に出会わなければ、良かった)


 全てを忘れて、なかったことに出来れば、こんなふうに苛まれることはなかったのだ。

 何も知らぬまま、与えられた宿命だけを見つめていられた。

 世を滅ぼす(わざわい)

 それだけで良かったのだ。ずっと受け入れて生きてきた。何もいらない。安らぎも至福も求めない。


(私が生きることに、意味などない)


 あるのは、世の(わざわい)となる悪しき宿命(さだめ)だけ。祝福されない誕生。

 何もかもが(よろこ)びとは程遠い。


(そんなものを求めていたなんて、――滑稽だ)


 はじめから、役回りは決まっている。

 世界を脅かす危険因子。存在意味など持ち得ない。自分が生き続けることに、一片の価値もない。

 あるはずがないと、彼は強く自身を罵る。これまでの自分があまりに滑稽で失笑が漏れた。


 出会い、彼女に与えられた全て。

 ほんのひととき、彼に渇望していた何かを与えてくれたのかもしれない。

 満たされた日々。


 けれど、真実は全てを覆す。

 与えられた全てが、彼を破滅へ導く序章と成り果てた。

 至福は瞬く間に、絶望へと形を変える。


 はじめから、全てが自分を追い詰める仕組みでしかなかったのだ。

 与えられた滅びの宿命を全うするために。


(――彼女に出会わなければ良かった)


 ()に苛まれた想いは、どこまでも彼の絶望を肥大させる。

 後悔、絶望、破滅。


(――違う)


 悪意だけが膨張する心の闇に、強く反駁(はんばく)する光があった。今にも呑まれて失われてしまいそうな、かすかな輝き。彼はその輝きに向かって、手を伸ばした。


「―――っ……」


 瞬間、持ち上げた腕に痛みが迸り、彼は悪夢から引き戻される。

 渦巻く悪意が断ち切られると、彼は視界の中に見慣れた輪郭(かたち)を見つけた。まだ頭が朦朧(もうろう)としているのか、像が揺らめいてはっきりとはしない。

 けれど、見間違えるはずがない輪郭(かたち)


「――朱桜(すおう)


 わずかに覚醒し、彼はさきほどの光の先に彼女がいたことを知る。もう一度、触れようとして、腕を動かすと更に激しい痛みが(ほとばし)った。

 それでも彼は目の前に在る気配に触れようと、懸命に手を伸ばす。


 悪意に呑まれた想いが、美しい輝きを取り戻した。闇を照らす光。

 出会ったことを、後悔などしていない。


(――どんな運命でも、出会えて良かった)


 彼女と出会えて。

 満たされた日々の中で、手に入れられた想い。自分の生まれてきた意味は、記憶の中に在る。いつか()しき(わざわい)として討たれる時が来ても、想い出だけは色褪せることがない。

 だから、決して彼女に裏切られたとは思わない。

 それが自分の宿命(さだめ)を形にするためだけの経緯(いきさつ)だったとは思わない。


 今も色褪せず、彼女への想いだけが輝いている。

 何度も目の前の彼女に呼びかけると、自分の手を握る彼女の気配に触れた。

 (てのひら)から、ひやりと心地の良い刺激が熱を帯びた身体を貫く。少しだけ熱が拭われ、呼吸が楽になった気がした。


 揺らめく視界の中で、彼女の黒髪が鮮明に飛び込んできた。美しい朱――金色(こんじき)が見事に呑まれている。身体を這う痛みよりも、ずっと胸が痛んだ。

 蘇るのは、最後に見た光景。

 引き裂かれた山吹の(ひとえ)。彼女の白い肌を傷つける無数の傷跡、痣。

 何があったのかと問うことが(はばか)られるほど、乱れた姿。


 そして。

 金色(こんじき)の長い髪と、輝く黄金色(こがねいろ)の瞳。

 彼は一瞬で全てを悟ってしまった。自分に与えられた宿命が、どのように完結するのかを。

 彼女に与えられた役回りは、自分を滅ぼす相称(そうしょう)(つばさ)


 どんな力で傷つけられようと、彼が魂魄(いのち)を失うことは出来なかった。

 けれど。

 愛した朱桜(すおう)こそが、――相称の翼。

 瞬間、全ての疑問は氷解した。

 どうして自分が天帝に滅ぼされるのか、何よりも理解できたのだ。どのように討たれて滅ぶのかが。


 わかってしまった。


 なぜなら、彼女は彼が真名(まな)を捧げた、ただ一人の姫宮。

 生涯、心から彼女に忠誠を誓う。彼が手に入れた生きる意味。


 独りよがりな想いだと判ってはいたのだ。それでも、彼は迷わず真名を捧げた。

 見返りを求めていたわけではない。もとより(わざわい)となる自分が愛される自信はなかった。ただ、手に入れた想いを彼女に伝えたかったのだ。

 彼は目の前の黒髪に、ただ心を痛めた。


(――どうして)


 彼女の比翼(ひよく)にはなれなかった。彼女は黄帝を愛した。

 衝撃を受けなかったとは言えない。けれど、怨む気にはなれなかった。

 ()坩堝(るつぼ)で彼女は泣きながら叫んでいた。


――ごめんなさいっ、……ごめんなさい。


 彼女の身に何が起きたのかは判らなかった。涙を零して、ひたすら訴えるように詫びる。


――ごめんなさい。


(どうして、謝る必要があるだろう)


 縁を結んだといっても、形だけのことなのだ。后となることを彼女が望んだ筈がない。自分に関わらず自由に過ごせばよいと牽制したのは、こちらの方である。

 何も詫びることなどありはしないだろう。


 相称の翼。人々に祝福されるべき真実。


――ごめんなさい。


 自分に何を伝えたかったのか、わからない。

 彼女は鬼門に飛び込んで、禁術を望んだ。


――莫迦な、……朱桜っ!


 鬼門へ伸ばした彼の手は、むなしく彼女の残像を掻いた。

 禁術、天落(てんらく)(ほう)

 愛した者に与えられた真名を(いん)として発動し、異界へ輪廻(りんね)する。魂魄(いのち)()によって形作られた殻に閉じ込められ、姿形はひどく歪められる。異界の者に変貌を遂げるとも言われていた。


 成功例はないに等しく、幻の法術とも言われる。失敗すれば、後にはただ黒き(むくろ)が残るだけだった。

 彼女の犯した禁術は成功した。相称の翼であったからなのか、理由は定かではないが、異界の赤子として生きていた。

 彼は霞む目で、凝らすように目の前の彼女を見つめた。


朱桜(すおう)、……どうして?」


 どうして、嘆く必要があるのか。

 問いかけながらも、彼には容易(たやす)く彼女の想いを辿ることが出来た。

 (わざわい)を滅ぼす。彼女には与えられた運命が快諾できないのだろう。


 慈悲深い黄后。

 異界へ逃避した彼女の想いは、わからない。謎はとけない。天界には彼女の愛する黄帝が在るのだ。いくら慈悲深くとも、黄帝への愛に勝る想いはないのだ。何らかの思惑が秘められている可能性があるだろう。


 けれど、泣きながら彼に詫び続けた彼女には、伝えておかなければならない。

 もし彼女が自身の役回りを嘆いているのなら。


朱桜(すおう)。……迷わず私を討ちなさい。ためらう必要はない」


 黄帝への想いを後ろめたく感じる必要はない。


「私には判っている。……君は相称の翼。愛しい者を守るために、与えられた力がある」


 彼は心から伝えられる。

 例え全てが自分を滅ぼす運命に(つな)がっていても、――変わらない。

 これまでの想いは色褪せない。


「それでも変わらない。君を愛している。……だから、その手で終わりにしてほしい」


 誰よりも彼女の幸せを願っている。

 天帝(てんてい)御世(みよ)は、世界に輝きをもたらすだろう。彼女が幸せになるためになら、どんな運命も受け入れられる。

 どのような思惑が彼女を巻き込んでいても、無事に黄帝の元へ戻るまで、(まも)り続けてみせる。

 彼女は自身の翼扶(つばさ)。心を捧げた姫宮。

 何があっても、変わらない。


 彼女を護ることが、自分の生きる意味になる。

 禁術を解き、彼女が黄后へ戻る方法はある。有効であるのかは分からないが、希望は失われていない。

 天落(てんらく)(ほう)を解く、唯一の方法。


 術を発動させた印――愛しい者の真名(まな)を、もう一度唱えること。

 それで術は解けると言われている。

 相称の翼にとっては、黄帝の真名が印になる。

 彼女が黄帝の真名を口にすれば、全てが元に戻る筈なのだ。


 天界にどのような思惑が蔓延しているのかは定かではない。けれど、彼女が金域(こんいき)から逃亡を謀ったことは事実なのだ。もしかすると、自分に助けを求めていたのかもしれない。あるいは、巻き込むことを詫びていたのかもしれなかった。


 全ての真実は、(やみ)の中。

 判っているのは、彼女が相称の翼であるということ。

 だから。

 いつかその手で討たれる日まで。


「……私は、……そのために君を護る」


 彼の望みはただ一つ。

 自分が彼女に与えられたように。

 彼女にも手に入れてほしかったのだ。

 満たされた、豊かな日々を。

 そして、――誰よりも幸せな日々を。


「―――……」


 彼女が何かを呟いた気がしたが、彼には聞き取ることが出来なかった。込み上げてきた熱が意識を奪う。吸い込まれるように、(やみ)に捕らわれる。

 彼は再び目を閉じた。

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