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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第一話 天落の地

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第6章:1 黒麒麟1

 朱里(あかり)(はるか)の横たわる寝台に身を寄せて、祈るように手を組み合わせている。寝台に張り付いたまま離れない朱里の肩を、姉である麟華(りんか)が軽く叩いた。


「朱里、みっともない顔になっているわよ」


 差し出されたハンカチを受け取ると、朱里は再び激しく涙が込み上げてきた。声を詰まらせる妹の頭を、麟華は慰めるようにクシャリと掻きまわした。


「だって、私のせいだもん。先生がこんな目にあうなんて、考えてなかった」


 朱里は濡れた瞳で寝台を見る。

 遥は血を吐いて昏倒してから、まるで屍のように動かなくなった。呼吸すらしていなかったのだ。あまりの出来事に恐慌を来たした朱里の前で、彼は内側から何かに攻められているかのように、びくりと体を震わせる。同時に苦しげな呼吸が再開すると、触れるだけで感じられるほどの高熱に見舞われた。


 兄である麒一(きいち)が、すぐに彼を自宅まで運び込んで客室の寝台で休ませる。朱里は何が起きたのか判らないまま、遥の傍らで様子を見守ることしか出来ない。遥の容態は依然として変わらず、今も寝台の上で苦しげな呼吸を繰り返している。


「麟華、こんなに熱があるのに、本当にお医者様を呼ばなくても大丈夫なの?」

「大丈夫よ」


 麟華は困ったように笑って朱里の頭を撫でる。朱里が気持ちを立て直そうと涙を拭っていると、新たに室内にやってくる人の気配がした。


「気休めを言うのは、どうかと思うけど」


 兄の麒一と並んで、留学生であり級友である彼方(かなた)が入ってくる。朱里は混乱していたせいで、彼方が邸宅までついて来たことに気付いていなかった。

 彼方はいつも通りの屈託のない調子で、恐ろしいことを口にした。


()を呑んで大丈夫な筈がないよ。身の内を食い破られて、精神(こころ)は悪夢の中を迷い続ける。普通の者なら即死だよね。仮に一命を取り留めたとしても、正気を保っている筈がない」

「そんな、――嘘でしょう?」


 朱里は彼方から麒一と麟華へ目を向ける。


「先生はこのまま死んでしまうの?ねぇ、麟華、麒一ちゃん」


 震える手で双子に縋りつくように手を伸ばすと、兄の麒一が両手で朱里の手を取った。慰めるように握り締めて、寂しそうに笑う。


「我が君……、黒沢(くろさわ)先生は死んだりしない」


 遥のことを我が君と表現する麒一に引っ掛かりを覚えたが、今は遥の無事を確かめることが先だった。朱里は食い入るように麒一の顔を見つめて、山のように聞きたいことから一言を選んだ。


「本当に?」

「本当だよ、朱里。例え体をバラバラに切り刻まれても、心の臓を貫かれても、この方は死ぬことが許されない。我が君を滅ぼすことのできる力は、この世に一つだけ」

「ソウショウの翼だね」


 麒一の台詞を奪い取るようにして、彼方の明るい声が明かした。朱里には二人の語ることが判らない。彼方は朱里の中に芽生えた多くの困惑に気付かないまま、双子を見た。


「ここに主を守護(しゅご)するという黒麒麟(くろきりん)が揃っている。今までの成り行きからして、この副担任がアンジュの(あるじ)であることは間違いないよね」

「――否定はしません」

「麒一っ」


 麟華は兄を責めるように厳しい声を出した。麒一は動じる様子も見せずに、艶やかな漆黒の瞳に麟華を映す。


「私達は守護。()(きみ)を守るためには手段を選ばない」

「正体を明かすことで主上(しゅじょう)を護る?何を考えているの?それに、朱里は何も知らないのよ」

「幸せな兄妹ごっこがいつまでも続くわけではないよ。麟華、我が君もそれは承知しておられただろう。事態は私達が望まずとも動き出す。……おそらく我が君がこちらに渡ったのも、それ故だ」


 穏やかに麟華に考えを述べてから、麒一は目の前の彼方と向かい合った。


「あなたはヘキの第二王子とお見受けする。テンラクの地に訪れてまで、我が君に何用か」


 麒一は無表情のまま続けた。


「返答によっては、ここで魂魄(いのち)を失うものと覚悟して頂きたい」


 いつもの優しい麒一ではない。朱里には何をどのように受け止めればいいのか判らない。混乱した頭で何を感じたのか。自覚のないままに、朱里はただ物騒な台詞を吐く麒一に向かって叫んだ。


「やめて、麒一ちゃん。さっきから何を言っているのよ」


 酷薄な兄を見ていることに耐えられない。全てが悪夢のようだった。麟華が慰めるように肩を抱いてくれる。その温もりだけが救いだった。

 朱里は堪えようとしたが、再びぼろぼろと涙が溢れ出る。


「怖いよ。……やめてよ」


 しゃくりあげて訴えると、麒一の殺気立った厳しさが緩んだ気がした。


「……朱里」

「うーん、僕にもよく判らないな。三人の素性はともかく、委員長ってこっちの人でしょ?」


 麒一の迫力にも怯まず、彼方は場違いなくらい能天気である。朱里は濡れた瞳で彼方を見た。


「委員長を傷つけるつもりはなかったんだけど。僕のせいだよね、ごめんなさい」


 何に対してか、彼方は朱里にぺこりと頭を下げた。彼方は人懐こい様子で、敵意を露にしている麒一に尋ねた。


「委員長はサキモリの一族じゃないの?」


 彼方の問いかけは、双子を緊張させるだけの意味を持っているらしい。自分を抱く麟華の腕に力が込められる。麒一は抑揚のない声で答えた。


「――私達にはよく判りません」


 彼方は眉根を寄せて「どっちにしても、信じられない」と呟いた。


「理事長の娘でしょ?なのに、何も知らないの?」

「おそらく」


 彼方は大きな溜息をついてから、再び朱里を見た。


黒麒麟(くろきりん)と兄妹ごっこか。委員長はずっと信じてきたわけだ。それをぶち壊した僕はかなりの悪者だよね」


 兄妹ごっこという言葉が胸に詰まる。嫌な思いが込み上げてきたが、朱里は頑なに呑みこんだ。


「えーと、ここは委員長のお兄さんとお姉さんに代わって、僕が簡単に説明してあげる。そこで寝込んでいる副担任とこの双子の兄妹は、僕の住んでいる国の人間なんだ」

「どういうこと?」


 聞き返す声が震えた。嫌な事実が明かされることを既に予感しているからだ。


「僕の国というか世界だね。委員長の知らない世界があって、この学院はその世界に通じている場所なんだ。僕達の世界ではテンラクの地と言われている」

「テンラクの地?」

「そう。天から落ちるという意味で、天落の地。その場所を護るサキモリの一族が天宮」

「防人? 昔の兵士のこと?」

「違うよ。サキモリはこっちの概念にはないものだから。字を当てるなら先守(さきもり)。ここの理事長がそうだね。昔、カンに一人の先読みがいた。彼は世界の行く末を案じて堕天を望んだと言い伝えられている。先守(さきもり)は、先途を見守るという意味合いじゃないかな。真相は僕も知らないけど。委員長のお父さんなら知っているかもね」


 朱里は目の前でおとぎ話をしている彼方を見上げたまま、込み上げる不安に耐えていた。ふざけているとしか思えない内容だが、遥に出会ってからの多くの体験を思うと絵空事だと笑い飛ばせない。全てが朱里の知らない異世界に通じている。


 (にわ)かに信じろと突きつけられても、戸惑うばかりだった。

 成り行きに付いていけない朱里の心理に気付いたのか、彼方は「だから」と言って頭を掻いた。


「要するに少し変わった国があって、この学院がその国と繋がっているってこと。副担任や委員長の兄妹も、関わりがあるって、そういうことなの」


 彼方は細かい説明を投げ出したようだ。大雑把にまとめてしまった。

 朱里は深く息を吐いて兄である麒一を仰ぐ。自分の肩を抱いている麟華の手に、そっと掌を重ねた。


「じゃあ、麒一ちゃんと麟華は、私の兄姉じゃなかったの?」


 麟華の腕から彼女の動揺が伝わってくる。幼い頃からずっと傍らに感じていた気配。二人のことを信じて、無邪気に慕っていたのは自分の一人芝居だったのだろうか。

 二人には二人の事情があったのだろう。これまでに与えられた想いが失われるわけでもない。朱里は必死に言い聞かせようとしたが、麒一が酷薄に言い放った兄妹ごっこという言葉が突き刺さっている。


「たしかに、朱里は私達の妹ではないわ」

「私達は、我が君の命を受けて朱里を護っていた」


 真っ黒な鎖が朱里の心に巻きついた。息苦しさを感じて身動きすると、麟華は更に腕に力を込めて朱里を抱きしめた。


「けれどね、朱里」


 穏やかな麒一の声が、迷わず告げる。


「私達の関係はそれ以上のものだと思っている。朱里が我が君と出会ってから築いてきた私達の絆は、兄妹の絆にも勝るものだと思っている。だから私達は朱里を認めた」


 心を捉えていた黒い鎖が砕ける。麒一の言葉と麟華の温もりが朱里の不安を拭った。兄妹という形にできる関係がほしい訳ではない。これまでの想いを偽りにしない気持ちが欲しかったのだ。

 双子は迷わず朱里に与えてくれた。もう二人に何かを望む必要はない。

 それだけで、これからも変わらず二人を慕っていられる。


「うん。私も同じ気持ちだよ。ありがとう。麒一ちゃん、麟華」


 心からそう伝えると、麟華は苦しいくらいに腕に力を込めた。


「もうっ、この子は。どうしてこんなに可愛いのかしら」

「ち、ちょっと、麟華。く、くるし……」


 朱里がじたばたと身動きすると、ようやく麒一が笑顔を取り戻した。朱里はそれを見て心の底から安堵する。傍らで様子を見守っていた彼方が「はー、よかった」と胸を撫で下ろしていた。


「僕のせいでせっかく芽生えた家族愛が壊れたらどうしようかと思った」


 彼方は悪びれた様子もなくそんな感想を漏らして、朱里に人懐こい笑顔を向ける。


「ここでもう一つ委員長に朗報。そこで寝込んでいる副担任は回復するよ」


 朱里は寝台で浅い呼吸を繰り返している遥を見る。その苦しげな様子を見るたびに、胸が詰まる。


「彼が黒麒麟……、この双子の(あるじ)なら助かる筈だから」

「本当に?」


 彼方は大きく頷いた。麒一と麟華も、「心配はいらない」と教えてくれる。朱里は寝台に横たわる遥の額に触れた。体温は下がることなく、熱い。氷枕を確かめていると、背後で彼方の声がする。


「ところで質問。委員長って、彼の何なの?」

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