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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第五話(最終話) 相称の翼

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第十章:一 朱桜の恐れ

 朱桜(すおう)には相称の翼であり、じきに黄后となることも自覚があった。まだ公には何も認められていないのに、金域に住処を移してから毎日が慌ただしい。

 日々訪れる者の顔色が、自分の立場を表している。


 荷が重い気はしていたが、弱音を吐くのは出来ることをしてからだと言い聞かせていた。

 自分のことを希望だと語ってくれた緋桜の想いが糧になる。

 緋国での出来事は、今でも思い出すと目頭が熱くなるが、朱桜(すおう)はもう悲嘆に暮れることはやめた。


 緋桜が残してくれた想いに応えたい。

 そして。


(ーー黄帝陛下の力になりたい)


 何と言っても、その一言に尽きる。

 朱桜(すおう)は自身に与えられた黄城の一室で(つくえ)に向かっていたが、唐突にぱたりと突っ伏す。黄帝陛下ーー闇呪(あんじゅ)との関係は、正直自分でも褒められない。


 むしろ、最悪だと言える。

 自分以上に闇呪(あんじゅ)の身辺が慌ただしいことも理由の一端だが、それでも夜には使者の来訪も止む。共に時間を過ごそうと思えば、過ごせるのだ。


(でも、陛下はーー)


 朱桜(すおう)は卓に顔を伏せたまま、うだうだと自分の弱気に浸ってしまう。


(……なんだか、今日は静かだな)


 与えられた居室は滄国や緋国に見られる様子とは、少し異なっていた。朱桜(すおう)の目には異国の情緒に溢れているように映る。

 装飾の施された(つくえ)牀子(いす)、天蓋のある寝台。金域(こんいき)に移ってからは、衣装も参堂(さんどう)のために贈られていた仕様と同じだった。

 緋国(ひのくに)滄国(そうこく)にも似ているが、どこか異なった華やかさにも満ちている。


凰璃(おうり)至鳳(しほう)がいないんだ)


 いつもこの部屋で好き勝手に寛いでいる鳳凰(ほうおう)の姿が見えない。彼らは気まぐれで、さっきまでそこにいたとしても、いつのまにか姿が見えなくなったりする。朱桜(すおう)が呼べば一目散に駆け付けるのだろうが、呼びつけるような火急の用件もない。


(今日は小言を言われない)


 鳳凰が闇呪(あんじゅ)に対する朱桜(すおう)の不甲斐なさにあきれ果てているのも知っている。毎日毎日、未だ闇呪(あんじゅ)を比翼としていないことを責め続けられているのだ。

 黄王が可哀想の一点張りである。


 ふと朱桜(すおう)は外が夕闇に沈みつつあるのを感じた。天帝の加護が黄昏(たそがれ)に移行し、安息の夜を与える時刻なのだと気づいた。


 異界とは異なり、天地界(てんちかい)では昼夜の加減を人身によって操ることができる。朱桜(すおう)闇呪(あんじゅ)金域(こんいき)に入り、各々の刀剣を天堂(てんどう)に預けると、礼神(らいじん)は天地界を照らす光となり、世を育む力となった。

 多くの法や術を用いて礼神は綿密に制御されるが、昼夜の区別についても同じだった。


朱桜(すおう)の姫君」


 外の様子を窺っていた朱桜(すおう)の背後で、突然聞きなれた声が響く。


麟華(りんか)!」


 躊躇(ためら)いのない様子で見慣れた人影が歩み寄ってくる。鳳凰も黒麒麟も霊獣であるためか、金域の動向に手続きを必要としない。どこにでも現れ去ることができる自由な立場は、天帝に匹敵する。


「主上と一緒に夕食を召し上がらない?」


 にやにやと嫌な笑い方をして、麟華(りんか)が驚く提案をする。


「え? 陛下と?」


 朱桜(すおう)は嫌な予感を覚える。


「それ、陛下には不意打ちとかじゃなくて?」


「大丈夫!」


「本当に?」


 しつこいくらいに念を押してしまう。

 闇呪(あんじゅ)が自分と距離を置いているのは、朱桜(すおう)もわかっている。理由が自分を気遣ってであることも理解していた。そもそも、緋国(ひのくに)の一件から我に返ったとき、闇呪に対して不自然な行動をとってしまったのは朱桜の方だった。


 闇呪(あんじゅ)麒角(きかく)に貫かれ倒れていた時は、とにかく助けたいということで頭がいっぱいだったのだ。比翼に捧げるべき純潔を失った自分の失態についてなど、考えている余裕がなかった。

 けれど、我に返ってしまうと、そういう訳にもいかない。

 しかも闇呪(あんじゅ)には最悪の状況を知られたも同然なのだ。


 どんな顔をして傍にいて良いのかわからなくなった朱桜(すおう)は、戸惑いをうまく誤魔化ごまかすことができなかった。結果として、闇呪(あんじゅ)への態度がよそよそしくなり、避けていると思われる有様だ。闇呪(あんじゅ)がその朱桜(すおう)の行動をどのように感じ、どのように受け止めたのかは、麟華(りんか)に嫌というほど聞かされている。

 彼にいらない気遣いをさせているのは居たたまれない。


「いい? 姫君! 女は度胸よ!」


「わ、わかってる」


 分かっているが、いざ顔を合わせるとどうして良いのかわからない。わからない朱桜(すおう)の様子に、闇呪(あんじゅ)はさらに気遣いを重ねて、最近では会うこともままならないのだ。全て自分が招いたことである。


「でも、姫君は主上しゅじょうのことを見て、恐ろしいと感じるの? 主上は自分の顔貌(かおかたち)をひどく気に病んでいるけど」


 朱桜(すおう)は肩を落とす。黄帝となった闇呪(あんじゅ)の力になるどころか、こんな幼稚なすれ違い方をしでかして、負担しか与えていないのだ。


「亡くなった陛下と闇呪(あんじゅ)の君を、よく似ていると思ったことはないの」


「え?」


「参堂していた時からそうだったけど。双子だったと言われても、私にとっては別人でしかないし」


 麟華(りんか)は腕を組んで「ふむ」と唸る。


「じゃあ、どうして主上を比翼にしないのかしら」


「それは」


 打ち明けると、麟華(りんか)はきっと激怒するだろう。自分でもそんな風に考えてしまうことが、闇呪(あんじゅ)に対して失礼だとわかっている。

 わかっているが、どうしても振り払えないのだ。


 比翼に捧げる純潔を失った身体。自分は途轍もなく大切なものを失ってしまったのかもしれない。

 全てを知った闇呪(あんじゅ)が本当はどう思ったのか。彼の気持ちが、変わってしまってはいないのか。

 もう自分を翼扶(つばさ)にした時と、同じ想いではないのかもしれない。


 そんなふうに考え始めると、闇呪(あんじゅ)の気遣いが別の意味を伴って心に働いてしまう。

 世の再興のため、いまさら二人の関係を反故にすることはできない。天地界への使命感だけで、闇呪(あんじゅ)が自分を労わっているのだとしたら。


(ーー考えるだけで、耐えられない)


 想像するだけで、じわりと涙が浮かんでくる。


「ひ、姫君! 泣いているの?」

「……泣いてない」


「泣いているじゃない!」

「泣いてないってば!」


 不毛な問答を続けていると、ふいに麟華(りんか)がぴたりと口を閉ざした。


麒一(きいち)


「え?」


 朱桜(すおう)が振り返ると、いつのまにか麒一(きいち)が佇んでいる。折れた麒角(きかく)の痛手によりしばらく人型に変幻できないようだったが、無事に麒角は再生したようだ。本性の額に新しい麒角が生え、彼は以前と変わらない様子で変幻するようになった。


麒一(きいち)ちゃん」


「我が君がおいでです」


「えっ!」


「必要であれば、御簾(みす)を用意するようにとのことですが」


 朱桜(すおう)は俄かに鼓動が大きく響きだすのを感じた。


「姫君。我が君も逃げない覚悟を決められた。ーーどうする?」


 穏やかな目をして、麒一(きいち)が問いかけてくる。食い入るように麒一(きいち)の顔を見つめていると、彼は大丈夫だと言いたげに頷く。


 朱桜(すおう)は汗の滲み出した(てのひら)をぎゅっと拳に握った。


「御簾は必要ありません」


 きっぱりと言い放つと、不思議と覚悟が決まった。


「私も陛下に会いたいです」

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