第九章:三 終焉
東麒が朱緋殿にたどり着いた時、まさに闇呪が禍を絶とうとしていた。
誰もが身動きもせず、見守っている。
(――ようやく主の願いは果たされそうだ)
ひどく穏やかな思いで、東麒は最期を見守っていた。
(麒南、永かったよ)
永かった。だが、主と共に在った時間は、それだけで尊い。
麒南と共に主に仕えた日々から、異界で何者にもなれずに過ごした日々。
全てが、今は懐かしい。
こみ上げた感慨に思考が奪われている間にも、闇呪は迷わず終止符を打った。
貫かれた首から膨大な鬼が天を貫くように舞い上がる。迸る鬼の勢いで身体から離れた首が、ゴロリと転がった。すでに美しい面影はなく、強い呪によって形をとどめている黒い頭骨があるだけだった。
「華艶」
紫瑯の声が、静寂の中で彼女を呼んだ。波紋を描くように響く声。
闇呪が濡れた瞳のまま、弾かれたように紫瑯を振り返る。頭骨に歩み寄り膝をつく紫瑯を眺めているが、闇呪がその場から動くことはなかった。何かを察したのかもしれない。
東麒も主に従うように歩み寄り、黒い頭骨の前で膝をついた。紫瑯が手に抱えていた美しい布張りの箱を置き、カタリと蓋を開く。手を差し入れて、ゆっくりと中に在るものを取り出す。
足元に転がる華艶の頭骨よりも、小さな黒い頭骨。
同じように強い呪によって、形をとどめている。
紫瑯は大切なものを抱えるように、小さな黒い頭骨を手にした。ことりと華艶の頭骨に並べて置く。愛しそうに頭骨を眺める眼差しが歪んだ。
「おまえと私の子だ。紫艶と名付けた。おまえに似て、とても美しい」
(「ーー陛下」)
東麒には声が聞こえた。
古に聞いた美しい可憐な声。
主と華艶。
二人を出会わせたことを悔いるだけの日々。けれど、その後悔も失われる。ふわりと懐かしい芳香を感じた。
黒い頭骨に幻が見える。きっと主にも映っているのだろう。紫瑯が手を差し伸べると、華艶は涙を流しながら身を起こし、その手をとった。
(「来て下さったのですか」)
向かい合う二人の腕に、紫の瞳をした赤子が抱かれている。
(「ああ、吾子は陛下と共に在ったのですね」)
「華艶。私にはおまえに捧げる真実の名がない。だから、この魂魄を捧げよう。私はいつでも共に在る」
(「紫瑯陛下」)
幻影に微笑んで見せて、紫瑯が東麒を振り返る。
「東麒。永く待たせたね。――終わりにしよう」
「はい」
東麒は頷く。気づけば自分の目からも涙がこぼれ落ちていた。胸が熱い。揺らめく視界で主が笑っている。
「同胞の呪を、我が身に返す」
止められた時間が、今流れ出す。全ての呪は絶たれた。
ようやく主は、天意に従い失落する。そして自分は主を失い、同胞の呪を返す。
東麒は立ち上がると、この場に集った者達を一瞥した。言葉もなく、東麒と二つの頭骨を抱く主を眺めている。
主の願いを導いてくれた者達。
どのように想いを伝えるべきなのか、わからない。
ただ東麒は深く頭を下げた。
顔を上げると、寄り添うように佇む闇呪と朱桜を見つめる。
「私の役目は終わりです。両陛下、あとのことはお任せしました」
東麒は呪に呑まれ消滅する間際、異界で良く見せた得体の知れない、にっこりとした微笑みを浮かべる。
「天地界はもちろんですが、異界の今後についても手配しています。どうぞ、よしなに」
東麒は笑顔まま、黒い影にさらわれるように掻き消えた。紫瑯の姿もなく、黒い頭骨も永い時の風化を一瞬で映し、塵のように消え失せた。
後には何も残らない。
哀しみも。――一片の、憎しみすらも。




