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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第五話(最終話) 相称の翼

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第八章:三 古の禍根

 翡翠はぞわりと総毛立つ。


「彼女もまた天地界では異端の娘だった。先守(さきもり)の色を(まと)いながら占いの力を持たず、天籍を持つと言う、人々の知る理から外れた特徴。そして、誰もが欲しがる美貌。彼女の過ぎた美貌は世に不穏をもたらした。そういうことは(まれ)にあるが、その娘の場合は異端視できる理由があった。人々は諍いに理由を求めるようになる。彼女の理にあてはまらぬ特徴は、人々の不満のはけ口になったのだろう。ただ先守の色を纏いながら、天籍を持つ。それだけの事実で、彼女は囚われた。世に不穏をもたらす者として」


 まるで闇呪(あんじゅ)のようだと、翡翠は思う。自分も彼の黒髪黒目の噂だけで、巨悪な存在を作り上げていた。


「我が君は、謂われのない蔑視にさらされるその女性、――華艶を無視することができなかったのです」


 紫瑯が低く笑う。


「お前たちには、さんざん我儘(わがまま)を通したね。私は心から彼女を愛した。四国にもその旨を伝えたが、それがさらなる悲劇をもたらした。私のあずかり知らぬところで、滄国(そうこく)が彼女を弾劾し幽閉した。私は華艶を守りきれなかったのだ」


「我が君は当時の滄王に騙されたのです。華艶は我が君の御子を身ごもっておられた。しかし滄王は戯言だと片付け、全てを隠蔽した。やがて華艶が産み落とした子は、忌子として処刑された」


「華艶は嘆き、その身を()に捧げたため、滄王に討たれてしまった」


「討たれた? それで(わざわい)になった?」


 東麒はただ目を伏せた。紫瑯が労わるように守護の肩に手を置く。翡翠を見た目に静かな悲しみが映っていた。


「いや、天籍を持つだけの者が何かを呪っただけでは、そんなことにはならない」


 紫瑯が罪を告白する。


「私は天籍を持たない。誰かを翼扶(つばさ)にすることも、誰かの比翼となることもできない。どれほど華艶を愛していても、そのような証を与えることができなかった。だが華艶は知らず、私の愛を信じることができなかった。そして御子が殺された時、私が見捨てたと絶望した。そうして彼女を逝かせてしまった。全ての(とが)は私にあるが、私はどうしても滄王を許すことができなかった。華艶の恨みに耳を傾け、怒りで我を失い、()に心をあけ渡した。守護の力を悪意によって解放した。それが、華艶に(わざわい)となる力を与えてしまった」


「でも、なぜあなたは(わざわい)にならなかったんですか」


「麒麟の加護があった」


「麒麟の加護?」


 翡翠が聞き返すと、東麒が答えた。


「それは私の同胞が魂魄(いのち)と引き換えに呪法を行ったからです。我が君は天籍を持たないが故、礼神(らいじん)を持ちません。我が君の力は我ら麒麟の力ですが、全てが()と同化する前に、我が君と私を異界に飛ばし、自身を消滅させて、()との繋がりを断ち切った。そして、この有様です。この世の者でもなく、異界の者にも成りきれない。そして、身に刻まれた()の名残は闇を纏わせる。それでも麟南(りんなん)――同胞には感謝しています。我が君を最悪の結末からは守りきれました」


「だが、(わざわい)は残されたままだ」


 苦しげに紫瑯が呟く。


「私が知る頃よりも、華艶は膨大な()を取り込み、強大な(わざわい)に育っているだろう。悪意、()の連鎖。誰かが断ち切らなければ、消えることはない」


「誰かがって、――」


 翡翠は紫瑯の役割ではないかと思ったが、紫瑯は首を振る。


「今も昔も、私は無力だよ。黄帝陛下と相称の翼の想いにかけるしかない。彼が悪意に呑まれなければ、私の出番もあるだろうがね」


 もう覚悟を決めているのか、紫瑯は微笑んだ。今まで黙っていた鳳凰がようやく声をあげる。


「無責任な話だなー」


「ちょ、至鳳(しほう)!」


 翡翠も同じ感想を抱いていたが、東麒を前に口に出す勇気はない。

 翡翠は咄嗟に至鳳の口を塞ぐが、傍らの凰璃(おうり)がさらにズバリと言い放つ。


「あなたの尻拭いを黄王(おおきみ)主上(しゅじょう)にさせるってことよね」


「こら! 凰璃!」


 二人を両腕で羽交い締めにすると、紫瑯が声を立てて笑う。東麒は主への不平に殺気だった気配を漂わせていたが、紫瑯が笑うのを見て、肩をすくめて吐息をついた。





「昔話はおしまいにしましょう」


 東麒(とうき)は踵を返すと、泉を満たす麒麟の生き血の虜になっている男に歩み寄って行く。容赦なく泉に顔を伏せている男の長い髪をぐいと掴み上げた。


「ここまで堕とされたか。まぁ主以外には毒も同然」


 東麒は男の髪を引っ張り、ずるずると泉から男を遠ざける。

 男は正気を失っているのか、言葉にならない声を発し泉へ這い戻ろうとするが、東麒が髪を掴んでいるため、その場でじたばたともがくだけだった。


「その人は……」


 翡翠(ひすい)が言葉にするのを躊躇っていると、東麒が「予想はつきます」と冷淡に言い放った。


「麒麟の生き血で黄帝を(かた)っていたのではないですか」


「これが、傀儡(かいらい)の黄帝」


 闇呪(あんじゅ)の正体がわかった時、すでに翡翠にも知れた事実だったが、正気を失っている様は想像とは程遠い。紫瑯(しろう)が男に歩み寄り、哀れな視線を送っている。


「ここまで侵されたら、もはや手遅れだ。東麒」

「はい」


「この者はこれ以上生かしてはおけない」

「はい」


 東麒が男の首に手をかける。


「ちょっと待って。操られていただけかもしれないのに?」


 翡翠が慌てて駆け寄る。鳳凰が足にしがみ付いたまま、床を這うように手足を動かしている男を見つめている。無表情な鳳凰の顔に、翡翠は背筋が冷たくなった。二人の視線には、まるで自分達が制裁を加えたいと言いたげな、冷淡な憎しみが浮かんでいた。


 東麒がゆっくりと翡翠を仰ぐ。


「もう正気を失っています。麒麟の生き血は、主以外には毒に等しい。中毒性は増していくばかりです。このまま生かしても苦しみしかありません」

 「それに」と東麒は続ける。


「傀儡とはいえ、黄帝であったなら、各国の王の真名を携えています」


「あ……」


 凰璃(おうり)が追い討ちのように現実をつきつける。


「今は継承者の真名も携えているわ。この男にそんな資格がある?」


 至鳳(しほう)も侮蔑の光を宿した目で続けた。


「こんな男、黄帝でも何でもないだろ。主上を傷つけただけでも、万死に値する!」


 鳳凰には、男への同情の余地はないようだった。酷薄さを隠すこともない。傀儡とはいえ、主である朱桜(すおう)を陵辱した事実への怒りと嫌悪感が全てを凌駕(りょうが)するのだろう。翡翠にもその気持ちはわかる。王や継承者の魂魄(いのち)を握っている状態も無視できない。傀儡となった男の魂魄(いのち)を惜しむ理由を、翡翠も失ってしまった。


「それでも真の黄帝陛下にとっては同胞です。利用されていた事実がわかるだけに、引導を渡すことに心を痛めるでしょう。玉座につかれた時に、わざわざ無慈悲な選択をさせる必要はありません。ですから、そのような役割は私が努めます」


「東麒」


 翡翠がつぶやく間にも、東麒はあっさりと男に引導を渡した。黄帝であった男の最期は、音もなく速やかに訪れた。


真名(まな)を捧げた主が失われたことは、各国の王と後継者が気づくでしょう。金域(こんいき)は騒がしくなります。全てが明るみに出るでしょうが、最大の問題が残っています。私たちも場を移しましょう」


 東麒は横たわる男の(しかばね)には何の未練もないのか、くるりと踵を返し再び先陣を切って歩き出した。

 翡翠達も慌てて後をついていく。


「場を移すって?」


緋国(ひのくに)です」


 黄城を出て、翡翠は思わず目を疑った。世界が光に満ちている。異界の晴れた日と同じ明るい蒼穹(そうきゅう)


(どうして?)


 傀儡の黄帝を討ったせいかと思ったが、遠景へ目を凝らすと緋国の方角に天を貫く光の柱が見えた。


(相称の翼――、朱桜(すおう)の姫君か)


 翡翠は嬉しくなったが、すぐに光の柱を覆い尽くす影が目に入った。

 遠くてもわかる。黒煙のように立ち上るのは、悪意を糧に膨張する()

 緋国で起きている異変が手に取るように伝わってくる。


「あなた方の黄帝陛下が、我が君と同じ選択をしないことを望みます」


 同じように緋国の光景を眺めていた東麒の声が染みる。翡翠も表情を改めた。

 古の黄帝、紫瑯(しろう)は憎しみに呑まれた。そこから全てが始まったのだ。

 闇呪(あんじゅ)が同じ末路をたどれば、もう再興の機会は与えられない。

 世界は破滅するだろう。

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