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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第五話(最終話) 相称の翼

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第五章:三 禍(わざわい)の意味

「我が君? 聞いてる?」


「先生が、私を相称の翼にしたの? そして、あなた達を誕生させた? 本当に?」


 至鳳(しほう)は眉間の皺を深くする。


「なんか俺達の感覚を否定された気分……、でもまぁ、黄王(おおきみ)(わざわい)とか言われている状況みたいだし、仕方ないか」


「そもそも黄王(おおきみ)が禍って感覚が意味不明なのよ! 私達が黄王(おおきみ)から感じる気配は間違いなく黄王(おおきみ)なのに! とても綺麗で、心地いいのよ!」


 禍とは程遠い、闇呪(あんじゅ)の正体。信じたい。

 信じたくてたまらないのに、朱桜は不意に与えられた幸運に怖気づく。動悸が止まず、じっとりと掌に汗をかいていた。


「先生は、何者なの?」


「だから、俺たちが聞いているんだよ! 黄王(おおきみ)が在って玉座が(から)なはずがない。でも黄王(おおきみ)は黄帝じゃないって言う。じゃあ、いったい黄帝はどんな奴? 黄王(おおきみ)より力があるっていうなら、世界がこんなにひどい状態なのは、どういうこと?」


 朱桜はなんと答えたらよいのか分からない。

 闇呪の正体が相称の翼の至翼であるなら、本来は黄帝でなくてはならない。けれど、世界は真逆の価値観に縛られている。闇呪は世を滅ぼす禍。黄帝という輝かしい立場とは対極にあるのだ。


 闇呪(あんじゅ)朱桜(すおう)も、ずっとその救いのない宿命を信じてきた。信じたうえで破滅に至る成り行きを変える方法がないかと足掻いている。

 長く刷り込まれて来た価値観が覆る可能性。膨れ上がる希望に、朱桜はますます胸が苦しくなる。


「考えられる憶測はひとつだな」


 碧宇(へきう)の低い声に、鳳凰が弾かれたように背後を振り返った。朱桜も胸を押さえたまま、顔をあげる。碧宇は悪戯めいた微笑を浮かべて、再び白虹(はっこう)皇子(みこ)を見る。まるで何かを試すような口調で皇子の意見を促した。


「白虹の皇子はどう考えている?」


 どこか楽し気な碧宇の表情を読んだのか、皇子はやれやれと吐息をついた。


「その何事にも聡いところ、変わりませんね。碧宇の王子」


「颯爽と表舞台から姿を消して隠居していた誰かさんの行いが、実はこういう形で(つな)がってきたんじゃないのか?と、そんな気がしたんだよ」


「あなたの勘の良さには驚きます。でも、碧宇の王子も既に予感があるのでしょう? 弟である翡翠の王子になぜ剣を抜いたのか。そういうことでしょう?」


 今度は白虹が意味ありげな笑みを碧宇に向けた。


「え? どういうこと? 兄上はさっき僕に斬りつけた理由は、先守(さきもり)の占いを覆すためって言ってたよね。僕の不名誉な未来を変えるためだって」


「翡翠様に斬りつけたことで、その占いは覆ったのですか?」


 夫君の関わることだからか、雪も口を挟む。碧宇は再び試すように白虹を見た。白虹は頷いて見せる。


「結論から言うと、占いは覆ってはいないでしょう」


「えっ?」


 翡翠は少しだけ緊張を取り戻して碧宇を窺う。また斬りつけられるかもしれないという危機感が蘇ったのかもしれない。朱桜は少しだけ落ち着きをとり戻して、白虹の声に耳を傾けた。彼らの会話から、何かが導かれる予感があった。


「碧宇の王子にそれほどの凶行を実行させられる先守(さきもり)は一人しか思いつきません。碧宇の王子に占いを語ったのは、先守の最高位にある華艶(かえん)美女(びじょ)でしょう」



「ええっ!」

 翡翠が震えあがる気持ちは、さすがに朱桜でも理解できる。華艶の美女が示唆した未来は必ず実現するのだ。雪がそっと混乱する翡翠の手を取った。


「さすがだな、皇子(みこ)。当たりだ」


「ええっ?」


 再び声をあげる翡翠に、白虹が穏やかに笑ってみせた。


「大丈夫ですよ、翡翠の王子」


 優し気な笑顔のまま、白虹の皇子がふっと朱桜を見つめた。理知に富んだ煌めきが閃く。全てを見透かすような、灰褐色の瞳。朱桜は鎮まり始めていた動悸が再び高まるのを感じる。鳳凰も皇子の眼差しに何かを感じたのか、ぴんと背筋を伸ばした。


「朱桜の姫君、――闇呪の君は黄帝です」


 鼓動が止まりそうなくらいに、ひときわ高い拍動を感じる。朱桜は身動きすることができなかった。はっきりとした言葉で、初めて示された正体。

 信じたくてたまらなかった予感。白虹の皇子が、それが真実であるのだと言葉(かたち)にした。


「この世は黄帝を陥れるために、長い時をかけて作り変えられて来た。それが今、私がたどり着いた結論です。鳳凰の問いに答えるのなら、この世界には、黄帝と麒麟、そして鳳凰を戒めるほど、強い力を持つ者がいると考えられます」


「それが今、玉座にある黄帝ってこと?」


 至鳳の問いに、白虹は首を横に振った。


「わかりません。黄帝は圧倒的な礼神(らいじん)で世を育みますが、それは成されていない。黄帝は傀儡(かいらい)であると考える方が自然です。偽りの玉座の背後で、この世の破滅を望む者ーー(わざわい)が在ると考えられます」


大兄にいさま、では世を滅ぼす禍は、別にあるということですか」


「私が見た古い創世記(そうせいき)の記述、ーーおそらくはじめに禍についてを記した先守(さきもり)の占いでは、呪鬼(じゅき)をもつ者が世界を破滅させると、端的にそれだけの意味でしか描かれていませんでした。現在の内容のように、呪鬼(じゅき)を持つのが唯一人であるとも、黒麒麟を(たずさ)えるとも書かれてはいなかった」


「後付けの記述が、全て闇呪(あんじゅ)に繋がるように改竄(かいざん)されているということか?」


「ただの改竄であれば、世界にこれほどの効力をもたらすことはなかったでしょう。創世記の記述は先守(さきもり)言質(げんち)によって編纂(へんさん)改訂かいていが行われます。創世記の禍の部分をさらに占い、書き換えられるのは先守だけです」


「それほどの影響力を持つのは、一人しかいないな」


「はい。先帝の御世(みよ)(かん)()で起きた大規模な火災。多くの(いにしえ)の書物が失われた中で、過去の文献の復元にもっとも貢献した先守(さきもり)が誰であったのか」


「まさか、それって」


 翡翠(ひすい)がうわごとのように呟く。白虹(はっこう)が翡翠の予感を受け入れるように大きくうなずいた。


「そう、――華艶かえんの美女です」


「そんな、まさか!」


 朱桜は思わず声をあげていた。自身の記憶を振り返っても、優し気な微笑みしか思い出せない。慈悲深く、いつも相手を労わる眼差(まなざ)しをしている。美しくたおやかで、立ち居振る舞いの全てが艶麗な女人(にょにん)。天界の誰もが認める理想像といっても良い。


 闇呪(あんじゅ)も慈愛に満ちた心根に、艶冶(えんや)な姿に、たしかに心を奪われていた時があったはずだ。そして、華艶も闇呪を愛していた。

 先守であるがゆえの華艶の憂い。朱桜には忘れることができない。


「まぁ、姫君の反応が一般的だろうな」


 碧宇は何も躊躇うことがないのか、平然と周りの反応を面白がっている。


「俺には白虹の皇子の語ったことが、腑に落ちるがな。華艶が禍であるなら、創世記の改竄によって、自身が(じゅ)()って()を扱うという事実を、見事に隠し通すことができる。同時に自身の行いを闇呪の凶行であるとすり替えることも可能になる」


碧宇(へきう)の王子は、やはり稀有(けう)な方ですね。碧国(へきこく)はこれからも安泰でしょう」


「俺を褒めても何も出ないぞ」


 碧宇が顔をしかめると、白虹は小さく笑った。


「けれど、ふつうは(にわ)かに信じられることではありません。今まで(わざわい)について語って来た華艶の美女こそが禍であるとは、誰も思わないでしょう。朱桜の姫君が信じられないのも無理はありません」


 白虹の視線が再び朱桜を捉えた。


「ですが、闇呪あんじゅきみは黄帝です。彼はこの世を滅ぼす禍ではありません。姫君、それだけは信じて下さい」


「――はい」


 朱桜は頷いた。

 闇呪がこの世を滅ぼす禍ではない。それはひどく朱桜の心に響く言葉だった。何の躊躇(ためら)いも感じない。これまでに感じてきた闇呪の優しさに繋がり、自然に受け入れられる。黄帝であるかどうかは、どうでもよいのだ。彼が禍でないのなら、それ以上に望むことは何もない。


 ずっと望んでいた夢を手に入れた。未来が許される。彼と共に在る未来が。

 突然こみ上げて来た安堵が、じわりと目頭を熱くする。朱桜は慌てて、袖で涙を拭った。泣いている場合ではないと、気を引き締めようとした時、すすり泣く声に気付く。


 闇呪の傍らに座したまま、麟華(りんか)も泣いていた。

 膝の上で手を拳に握りしめ、声をあげないように努めているのか、細い肩が震えている。

 静寂に殺しきれない嗚咽(おえつ)が染みる。


「――……っ」


 (こら)えた激情が再びぶわりと溢れた。胸が熱くなる。


「麟華!」


 込み上げて来た感情に(あらが)えず、朱桜は麟華に腕を伸ばした。麟華は異界に在った時と同じように、縋り付く朱桜を抱きしめてくれる。


朱里(あかり)……」


「良かったね、麟華。本当に、良かった」


 自分以上に闇呪のことを案じてきた麟華の想いが、朱桜の胸を突く。異界で姉として彼女を慕った記憶のままに、朱桜は麟華にしがみついたまま声をあげて泣いた。


「良かった」


「ええ」


 麟華も嗚咽を殺さず、頬を塗らす。強く朱桜を抱きしめて、去来した想いを噛み締めているのだろう。逆巻くような熱が二人の胸を満たし、喜びの涙となってとめどなくあふれ出る。


 泣きたくなるほどの安堵、そして喜び。

 朱桜はしがみつく腕に力をこめた。姉妹のように麟華と気持ちを分かち合えるのが嬉しかった。

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