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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第五話(最終話) 相称の翼

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第四章:四 至鳳(しほう)と凰璃(おうり)

 (あか)(みや)が治める緋国(ひのくに)。生まれ故郷であり、自分にとっては厳しいことの方が多い国だった。朱桜(すおう)は朱塗りの柱に懐かしさを感じた。この国で過ごした日々は、いつから過去の記憶になっていたのだろう。


 碧宇(へきう)の持つ麒麟(きりん)の目は正しく二人を導いた。国に張り巡らされた結界を無効にする威力を以って、朱雀門(すざくもん)を超えた内裏(だいり)最奥(さいおう)――朱緋殿(しゅひでん)への侵入を果たしている。


 赤の宮は独りきりで御帳台(みちょうだい)に鎮座していた。

 はっとこちらに気づいた赤の宮が立ち上がった時、朱桜は思わずその場に平伏してしまう。緋国にあった頃、決して立ち入ることの許されなかった内裏(だいり)。朱緋殿の内奥など、想像もつかない世界だった。


 見慣れない調度と赤の宮の姿が、朱桜に昔の振る舞いを()いる。

 平伏した朱桜の隣で、碧宇も膝をつく気配がした。何も言えない朱桜に変わって、低い声が伝える。


「赤の宮。突然の無礼、お許しください」


「碧宇の王子、久しいですね。そして、六の君――いいえ、すでに相称の翼におなりか。そのように平伏されては、私の立場がございません。どうか、陛下。お顔をあげてください」


 朱桜は金を(まと)う自身の立場を思い出し、ゆっくりと顔をあげた。赤の宮が平伏しているのを見て、狼狽(うろた)えてしまう。


「み、宮様こそ、お顔をあげてください。私は陛下などではありません。ただ、成り行きでこのようなことになってしまっただけで、偉くも賢くもありません」


 朱桜が言い募ると、すっと赤の宮が身を起こす。今までこれほど間近で宮の顔を拝したことがなかったが、朱桜はひどく自分と似た面ざしをしていると感じた。


 赤の宮は無表情で、朱桜と碧宇を見つめている。緋国にあった頃と同じ。凛と気高い雰囲気は変わらない。同時に自分に対する親しみもないことがわかった。チクリと朱桜の胸が痛む。

 異界に渡り来て自分を抱きしめてくれたあの一時は、錯覚だったのかもしれない。


「さすがに赤の宮は、私達の訪問に動じることもないですか」


 碧宇がどこか愉快な調子を含ませる。赤の宮はようやく口元を緩めた。


「なぜ、金域こんいきに参られないのですか」


 勅命(ちょくめい)に反する碧宇の行いを、赤の宮は緩やかに問う。朱桜は億している場合ではないと、事情を語りはじめた。

 既に碧宇に語った経緯があったからなのか、朱桜はまるで他人事のように淡々とこれまでの出来事を伝えた。


 赤の宮は黙って聞いていたが、黄帝との経緯については、何か感じることがあったのだろうか。見て明らかなほど、膝の上に添えていた手が、強く組み合わされ、震えている。


 朱桜は赤の宮の様子に心が塞ぐのを自覚する。相称の翼であるからと言って、緋国(ひのくに)の汚点である経緯が覆る訳ではない。この国にとって、自分は憎まれる存在なのだ。

 そんな自分が黄帝への不信を語ることが、女王には耐え難いのかもしれない。

 朱桜が語り終える頃には、赤の宮の顔色は蒼白になっていた。


「事情は承知いたしました」


 赤の宮は平伏する。


「黄帝の勅命を保留された王子の考えは英断かもしれません。今、陛下がこちらを頼って来られた気持ちに、私も(こた)えましょう」


「え?」


 簡単に受け入れられないと考えていた朱桜(すおう)は、一瞬戸惑ってしまう。


「あ、ありがとうございます」


 赤の宮の本心を測れないまま、咄嗟に頭を下げた。


「陛下が(こうべ)を垂れる必要はありません。しかし、異界の装いは改めた方がよろしいでしょう。信頼のおける者を付けますので、どうぞ召し替えを」


 朱緋殿(しゅひでん)に入ってから、天宮学院の制服を着ている場違いさを感じていた。天界では異様な装いに見えるだろう。赤の宮は御簾(みす)の向こう側に声をかける。人の気配を感じていなかった朱桜は身構えてしまう。するりと現れ平伏する女官を見て、朱桜は「あ」と声をあげた。


 懐かしさがこみ上げる。

 (あかつき)だった。


「陛下。――お久しぶりです。衣装の御召し替えをお世話させていただきますので、どうぞこちらへ」


 ひどく他人行儀な振る舞いで、暁が朱桜を導く。碧宇と離れても良いものかと振り返ると、彼は大丈夫と言いたげにひらひらと手を振るだけだった。

 朱桜は「では、着替えてきます」と言い置いて、碧宇と赤の宮の前から辞した。


 朱緋殿(しゅひでん)から通じる軒廊(こんろう)を渡り、朱桜はさらに後方にある殿舎(でんしゃ)の一室へと案内された。

 初めて足を踏み入れた内裏(だいり)は想像以上に広く、まるで異国のような感慨があった。(あかつき)が昔と変わらぬ手際で御簾(みす)をおろす。それでもどこからか風の流れがあり、内庭の光が(まばゆ)い。


 暁と朱桜以外に人の気配もない。完全に人払いがされた様子がうかがえる。

 居室にはまるであらかじめ決められていたかのように、衣装が用意されていた。衣架(いか)にかけられた表着(おもてぎ)を見て、朱桜は立ち尽くしてしまう。


 緋色の糸で鳳凰が描かれた錦糸の衣装。一目で天帝にしか許されない装束だとわかる。

 朱桜は思わず暁を振り返る。


「これは、どうしてですか? まるで全て知っていたかのように用意されているなんて」


 暁はそっとその場で膝をつく。


「全て赤の宮の沙汰によるものです」


 まるで自分が相称の翼になることを知っていたかのような支度である。赤の宮が全てを知っていたはずはないが、予見していなければ、このような衣装は用意できないだろう。何故かと考えてみても、朱桜には検討もつかない。異界に渡り来たとき、赤の宮は闇呪(あんじゅ)と何を語っていただろうか。そこに契機(きっかけ)が見つけられるかと懸命に記憶を辿るが、記憶が曖昧なせいか、腑に落ちることは何もない。


 ただ美しい衣装を見つめていると、袖を通す資格があるのだろうかと、朱桜は気後れがした。自信がない。

 どこか後ろめたさを感じている朱桜の気持ちを置き去りに、暁は懐かしく感じる手際の良さで衣装の召し替えを行う。


(あかつき)も複雑な気持ちですよね」


「どういうことでしょうか?」


緋国(ひのくに)の汚点である私が、このようなことになってしまって……」


「それは今も昔も、姫君……いえ、陛下には罪なきことです。陛下がご自身を蔑む必要はございません」


 暁が顔をあげて朱桜を仰ぐ。


「私には多くは語れませんが――。赤の宮は陛下が幸せになられることを望んでおられます」


「まさか」


「今も昔も、それが赤の宮の本心です。そして、この暁も」


 朱桜はこみ上げてきたものをこらえるために、唇を噛んだ。他人行儀に接していたのは自分の方だ。

 暁は変わらない。いつも厳しかったが、それは周りにも等しく同じだった。宮家に仕えることに毅然とした誇りを持ち、醜聞に惑わされることもなく。


 厳しく、優しく、誠実だった。この国で過ごした昔日(せきじつ)、朱桜は暁のことを信じていた。

 今頃になって、そんなことに気づく。


「さぁ、陛下。こちらを」


 暁が衣架(いか)に掛けられていた表着(おもてぎ)を手にする。ためらいながらも、自身の使命を心に刻みながら袖を通そうとした時、バサリと大きな羽音がした。

 御簾(みす)ごしに届く内庭の光が動く。暁がさっと緊張を漲らせるのが伝わって来る。


「主じょっ……」


「声が大きいよ!」


 朱桜(すおう)は何も考えられず踏み出していた。

 人の気配と、聞き慣れた声。暁の横をすり抜けて御簾をくぐり出る。

 広廂(ひろびさし)に立つと、内庭に見知った顔があった。


彼方(かなた)?」


 異界の服装のまま、彼は小さな女の子を背後から羽交(はが)()めにしている。長くなった茶髪は見慣れないが、碧眼の鮮やかさは変わらない。


「主上!」


「我が君!」


 朱桜が内庭の状況を把握するより早く、双子のような幼い子どもが縋り付いてくる。

 あまりの勢いに、二人を抱えたままその場に倒れこんでしまう。

「陛下」と暁の声を聞いた気がしたが、双子の声に他の言葉が掻き消されてしまう。


「名を呼んで!」

「いつまで名無しで放っておくつもり?」


 至近距離で吠える二人が、朱桜の記憶を再生する。黒樹(こくじゅ)の森。金域(こんいき)から逃げる時に出会った二つの人影。幼い顔。同じ声。

 気づくと同時に、風に触れるように彼らの名を感じた。


 自然と発音になる。


至鳳(しほう)凰璃(おうり)


 呟きが彼らに届いた瞬間、まるで呪縛が解かれるかのように、ざあっと二人を戒めていた漆黒が払われる。くるりとした癖のある頭髪は、新たな輝きに包まれて、闇が跡形もなく失われていた。

 朱桜と同じ金を(まと)霊獣(れいじゅう)

 鳳凰の証だった。


「戒めも解けたわ! もう無敵よ!」

「やったね! 元気百倍!」


 輝く金髪に似合う晴れやかな顔で、幼い容貌の二人が朱桜(すおう)の前に膝をついた。少年――至鳳(しほう)黒玻璃(くろがらす)のように澄んだ眼差(まなざ)しで、しっかりと朱桜を見る。


 輝く体躯(たいく)の中にある、唯一の闇。麒麟と同じく、彼らも瞳が黒い。恐れるはずの漆黒が、なぜか朱桜の心には馴染む。


「我が君、これからはお側に」

「あなたをお護りします」


 至鳳(しほう)に同調するように、凰璃(おうり)もはっきりと宣言する。碧宇(へきう)が語っていたように、やはり彼らが自分の守護だったのだ。


 朱桜は守護となる鳳凰が幼く愛らしい容貌をしていることに、少し安堵する。相称の翼という肩書きに感じていた得体の知れない堅苦しさが、わずかに緩んだ気がした。


「よろしくお願いします」


 これが朱桜が相称の翼として、守護――鳳凰を(たずさ)えたと、そう自覚した瞬間だった。

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