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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第五話(最終話) 相称の翼

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第四章:二 鬼門から天界へ

 今まで幾度(いくど)となく裏鬼門を渡って来た彼方(かなた)だったが、鬼門(きもん)を超えるのは初めての経験だった。天宮(あまみや)学院に入って中庭を進むうちに、これまでと何かが異なっていることに気付いた。彼方は以前忍び込んだ立ち入りを禁じられた抜け道から鬼門へ繋がるのだと考えていたが、あっさりと裏切られてしまう。


 いつのまにか見たこともない場所に立っている。(はるか)の結界で目眩(めくらま)しが行われているだけで、学院自体が自由に鬼門に(つな)がるのではないかと感じた。


 不思議な感覚のまま視線を投げると、向こう側に影が立ち昇っているのが見える。

 通常の距離感を無視して、ふいに暗黒の渦巻く(そら)が目前に迫ってきた。


(これが、鬼門……)


 全てを呑み込んでしまいそうな迫力を(みなぎ)らせて、闇が淀んでいる。(ゆき)がそっと身を寄せてくる気配がした。恐れてしまうのも無理はない。


「副担任と初めて出会った抜け道って、何のためにあったの?」


 雪の恐れを払拭(ふっしょく)できないかと、彼方はわざと明るい声を出した。

 場違いな問いかけだと自覚していたが、暗黒の(そら)を眺めたまま、遥は答えてくれる。


「人の好奇心を断つことはできない。だから、そういう者を決まった場所に誘導するための囮のようなものだな。誘い込まれた者には、それなりの怪奇を与えて、二度と立ち入る気がしないように仕掛けてあった」


「僕たちの時も?」


「あの時は朱里(あかり)が関わっていたから、事情が違う」


 (はるか)如何(いか)に朱里ために心を砕いて来たのかを、彼方は改めて思い知る。


黄王(おおきみ)! もう無駄話は良いから、行こうよ」


 鳳凰が遥の腕を引っ張って、何のためらいもなく暗黒の(うず)に飛び込んだ。


「主上!」


 麟華(りんか)も驚いたように後に続く。

 あっさりと鬼門に呑まれた守護達と遥を見送って、残された彼方達は顔を見合わせた。


「要領は裏鬼門と同じでしょう。ただ規模が違うとでも考えれば良い」


 少し怖気付いている妹に発破(はっぱ)をかけるように(そう)が雪を見る。雪は兄皇子(あにみこ)である白虹(はっこう)には弱みを握られたくないのか、いつもの気丈さを蘇らせた。


「別に恐れてなどいません」


 言うより早く彼女が暗黒の中へと姿を消す。


「え? ちょっと待ってよ! 雪」


 少しくらいは頼られたい気もしたが、彼方(かなた)も慌てて後を追う。背後で奏が笑う声を聞いた気がしたが、すぐに襲って来た慣れない体感に気を取られた。


 幾許(いくばく)の時が過ぎたのか、トッと地に足がつく気配がした。視界はまだ真っ暗だったが、さっきまで見ていた暗黒とは明らかに質が違う。


「雪? 副担任?」


 呼びかけた声が驚くほど辺りに反響した。瞬きを繰り返すと、少しずつ目が暗闇に慣れてくる。


翡翠(ひすい)様」


 雪の声が響く。ようやく人の輪郭(りんかく)が見分けられるようになってきた。久しぶりに聞く愛称だけが、彼方(かなた)ーー翡翠(ひすい)に天界の実感を与える。

 さらに目が慣れてくると、傍らの雪の顔がぼんやりとわかる。


 目を凝らして辺りを眺めると、岩肌の露出した洞窟内であることが明らかになる。

 岩の割れ目がほのかに発光している。外の光がちらほらと届いているのだろう。廃墟の中にある裏鬼門とは(おもむ)きが異なっていた。


「興味深いですね」


 背後で奏の声が聞こえた。足音と共に、遥の気配が近づく。


「とにかく私の寝殿(しんでん)へ行きましょう」


 既に聞き慣れてしまったよく通る声。先陣を切るように歩き出した遥の後ろ姿を眺めながら、彼方はここが(あん)()であることを思い出す。まさか自分が踏み込むとは思いも寄らなかったが、果たしてみると拍子抜けするほど恐れを感じない。


 きっと、これまでの成り行きのせいなのだろう。

 岩肌に足を取られないように外へと向かいながら、彼方は鳳凰が不自然に押し黙っていることに気付く。

 鬼門を越える前の五月蝿(うるさ)さが嘘のようだった。洞窟を抜けると、鈍い色彩に彩られた天界の空が広がっている。異界の日中の明るさに慣れていたせいか、天界を離れる前よりもさらに精彩を欠いているように見えた。


 天界の現状を突きつけられて、彼方(かなた)は気持ちが暗くなる。何気なく視線を投げると、不意に飛び込んできた光景に目を奪われた。


 緩やかな癖を持つ赤銅色(しゃくどうしょく)の髪が、彼の本性のままに長く伸びている。艶やかに煌めく不可思議な色。異界の太陽のもとにあれば、黄金色(こがねいろ)に輝きそうである。


 隣に並ぶ守護の黒髪と対比するせいか、余計に異彩が際立つ。

 見慣れない色彩の美しさに、彼方は言葉を忘れて魅入ってしまう。


翡翠(ひすい)王子(おうじ)、どうしました」


 すぐ横で囁く白虹(はっこう)皇子(みこ)の声で、翡翠は我に返る。カッと頰に熱がこもった。見惚れていたとは言えず、曖昧に笑う。


白虹(はっこう)皇子(みこ)輪郭(かたち)が戻ったみたいですね」


 翡翠(ひすい)はもう異界の仮名を語る必要もないのだと、気持ちを改めた。

 皇子(みこ)の髪の長さを示すと、彼は「ああ」という顔をする。


「異界では少し歪んで見えるようですね。歪んだ輪郭(かたち)も悪くはなかったですが……」


 皇子(みこ)の声を遮るようにして、唐突に沈黙していた鳳凰が吠える。


「――やっぱり感じる!」


「うん、わかってる!」


 鳳凰がきっと顔を上げた。少年が手をあげて何かを示す。


「洞窟でこれを見つけた!」


主上(しゅじょう)の髪?」


「そう!」


 翡翠は驚いて思わず近寄る。細い筋がほのかに輝いている。たしかに長い金髪の一筋だった。


「我が君もあの洞窟にいたんだ。気配がした」


「ええ! それにもう追えるわ。主上の気配をとらえた」


「うん、俺も」


「絶対に見失わない」


 言いながら、幼い二人は遥――闇呪(あんじゅ)を仰ぐ。


「行こう、黄王(おおきみ)! 俺達が飛ぶよ!」


黄王(おおきみ)を乗せて飛ぶわ」


 勢いで話を進める鳳凰の前に、麟華(りんか)が立ち塞がった。


「ちょっと待ちなさい、あなた達」


「邪魔しないでよ、麒麟(きりん)。――そうだ、片割れは? 早く呼び寄せて一緒に行こうよ」


 目の前の展開が早すぎて、彼方は唖然となる。こんなにも容易(たやす)朱桜(すおう)の行方が明らかになるとは考えていなかったのだ。

 守護と主の繋がりは、比翼(ひよく)翼扶(つばさ)を超えるのかもしれない。


「はやる気持ちはわかるけど」


「いや、いい。麟華」


 闇呪(あんじゅ)は諌めるように麟華の肩を叩いて、黒麒(こっき)の名を口にした。


麒一(きいち)


 しばらく待ってみるが、何の気配も感じない。


「麒一?」


 闇呪(あんじゅ)が再び口にした時、彼方は何かが視界を横切ったような気がした。確かめる間も無く、悲鳴があがる。


「主上!」

黄王(おおきみ)!」

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