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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第五話(最終話) 相称の翼

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第四章:一 灯された希望

 朱桜(すおう)のために出来ることがあるのなら、何を躊躇(ためら)う必要があるだろう。

 相称(そうしょう)(つばさ)となった彼女が、(いま)だに守護を携えていないという事実。なぜか鳳凰は自分の(かたわ)らにある。白虹(はっこう)皇子(みこ)が云うように、何かの縁なのだろうか。


 (はるか)は少し気持ちが緩むのを感じた。

 覚悟していた朱桜との決別。

 別れが訪れた後は、ただ朱桜の安寧を祈る。それだけが自分に許される役割なのだろうと、ずっと考えてきた。頑なに心に刻んでいたのだ。


「でも不思議。黄王(おおきみ)が我が君と一緒にいないなんて。喧嘩でもしちゃったの?」


 邸宅の小さな庭先で、外灯に照らされた人影。どういう縁なのか、天界の者が集っている。 

 鳳凰は黒麒麟と同じ漆黒の瞳をしているが、双眸には好奇心を隠しきれない幼い(きらめ)きがあった。無邪気にまとわりついてくる仕草から、彼らが自分を敬遠していないのがわかる。


 鳳凰に疎ましく思われていないことが、遥の絶望を希釈する。朱桜の守護として働く本能に、存在を否定されないのは救いだった。

 朱桜のために出来ることがある。

 認めてしまえば、もう迷う必要もない。遥はこれから何を成すべきかを考え始めていた。


麟華(りんか)。私は麒一(きいち)の行方も気になる」


「はい。私もです、主上(しゅじょう)。どうして私は麒一と別れてしまったのか」


「天地界に戻って呼んでみるが、もし戻らない場合は……」


麒一(きいち)が主上の呼びかけに応じないはずはありません」


「ああ、私もそう思っているが ――」


 凶行の記憶がない麟華に遥はうまく不安を伝えられない。何と説明をするべきか考えていると、傍らの(そう)が口を開く。


「万が一、黒麒(こっき)が遥の呼びかけに応じない場合には、私が探しましょう。遥は鳳凰と朱桜(すおう)の姫君のもとへ 」


「それなら僕と雪が探すよ。奏は副担任と行動を共にすべき……」


 彼方(かなた)が言い終わらないうちに、麟華が抗議するかのように、声を高くする。


「そんな必要はありません。麒一が応じないはずはありません」


 麟華が訴えるのも無理はない。主に応える。おそらく黒麒麟としての本能、あるいは誇りのようなものなのだろう。奏は麟華の訴えに動じることもなく、微笑みを向ける。


「ええ、ですから万が一と申し上げています」


「万が一そんなことがあれば、私が麒一を探します」


「その時は、私もご一緒しますよ」


 あっさりと答える奏とは対照的に、麟華(りんか)は不服そうに口元を歪めている。しばらくじっとりと奏を睨んでいたが、すぐに涼しげな微笑みに降参したのか、はぁっと息を吐いた。


皇子(みこ)は不思議な方ですね。私達を全く恐れない」


「恐れる理由がありません」


 麟華は困ったように首を傾けたが、思うことがあるのか、それ以上は何も言わなかった。奏が遥を見返りながら表情を改める。


「さきほども言いましたが、朱桜の姫君が遥を比翼(ひよく)とする途も残されています。彼女を追うために、私達は先を急いだ方が良いでしょう」


「私はそういう目的で彼女を追うわけでは」


 奏はまるで遥の内に(くすぶ)っている未練を射抜くかのように視線に力を込める。


「あえて申し上げますが、あなたが朱桜の姫君を信じられないのは、立場的に仕方がないのかもしれません。ですが、朱桜の姫君があなたを愛していない。遥は本当にそう考えていますか」


 既に奏はわだかまっている未練を見抜いているのだろう。標的を定めた狩人のように、的確に遥の心の奥底、奈落に沈む想いを突き刺してくる。


天落(てんらく)(ほう)に身を委ねても、彼女はあなたに思いを寄せた」


「それは……」


「あなたはその意味をわざと考えないようにして来たのでしょう。金色(こんじき)(まと)う彼女を前にして、その理由を優先させてしまった」


「――それが間違えているとでも?」


「私達に刷り込まれて来た世の掟が正しいとは限りません」


  戯言に等しい言い分だと思ったが、遥はすぐに反論する気にはなれなかった。聡明な白虹(はっこう)皇子(みこ)が何の根拠もなく言い募るとも思えない。伴侶となるはずだった白露(はくろ)を失うまで、皇子(みこ)の名声は世に響き渡っていた。


「もし世の掟が何らかの思惑によって改竄されていたとしても、あなたは何の疑いもなく、相性の翼となった姫君は黄帝を愛していると、そう考えますか」


 朱桜(すおう)の想いの行方。

 自分に向けられたら、どれほどの悦びとなるだろう。

 暴かれていく未練のうちにある、秘められた期待。今まで頑なに目を逸らして来た甘い幻想。少しずつ希望が灯される予感があった。


 不思議なほど、以前のような危機感を覚えない。自身にあった恐れを暴かれ、受け入れてしまったからだろうか。

 自分の知る世の掟が(くつがえ)る可能性。心が揺れないわけがない。


 朱桜のために生きることは、考えていたよりも簡単に許されるのかもしれない。

 遥はじっと奏の目を見る。緩やかに胸を占める希望を口にしようとした時、幼い声が遥の言葉を阻んだ。


「あのさぁ、我が君と黄王(おおきみ)がどんなに酷い喧嘩をしたかは知らないけど、早く天界に戻ろうよ」


「そうよ。会って話せばすぐに解決するでしょ?」


 鳳凰は再び地団駄を踏み始める。奏が吹き出すと、それが伝染したかのように、彼方(かなた)(ゆき)も笑った。遥も可笑しくなる。自分に巣食う深いわだかまりも、鳳凰を前にすると些細な出来事になってしまう。


 奏ともう一度視線が合う。灰褐色の美しい瞳。時には白刃(はくじん)(ひらめ)きのように鋭い光を宿すが、今は微塵(みじん)も険しさがない。もう全てを見抜かれているのかもしれないと、遥は安堵にも似た思いに囚われる。


「遥の気持ちは、一時的に保留にしましょう。ただあなたが決意した時、手遅れにならないように、今は先を急ぎましょう」


 悪戯めいた笑みを浮かべながら、奏が当たり前のことのように行先を示す。


皇子(みこ)、ありがとう」


「感謝されるのは、まだ早いです。私は一足遅かった自分を呪いたいくらいですからね」


 言外に自分への皮肉が含まれていることを悟って、遥も苦笑する。


「では、鬼門(きもん)へ。天界へ急ぎましょう」


  遥は一歩を踏み出す。少し前までは考えられなかった新たな道筋。

 まだ迷いがないとは言えない。けれど、確実に動き始めてしまったという自覚があった。


 (わざわい)となるのか。

 あるいは、別の(みち)があるのか。


 今はあえて考えずに歩むべきなのかもしれない。

 わずかに灯された希望を(かて)に、遥は進むことを選んだ。

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