第三章:五 守護の摂理
麟華は驚いたように幼い二人を見た後、彼らには答えずに遥の顔を見る。
「――おまえはこちらに戻ってきて、……すぐに気を失った。だから心配していたのだが、無事に目が覚めたのなら良かった」
正気を取り戻した守護に、遥は事実を語ることを避けたようだった。守護が主を傷つけることが、どれほど彼女に衝撃を与えるのかは、彼方にも何となく想像がつく。
奏も雪も何も言わず、二人の会話を見守っている。
「天界、いや鬼の坩堝で何かあったのか?」
「何か……、いえ、いつものように麒一と鬼の昇華をしていただけですが。……ただ、華艶の美女を見たような気が……」
華艶の名が出ると、なぜか遥が少し眉を潜めた。
麟華は記憶を手繰るように、顎に手をあてて考え込む。
「いえ、でも錯覚だったのかもしれません……」
どうやらあの凶行に至るまでの出来事が思い描けないようだ。記憶を辿るためなのか、麟華は漆黒の瞳を固く閉ざして立ち尽くしていたが、気を失った原因に至らなかったのか、諦めたように首を振った。
「申し訳ありません、主上。よく思い出せません。ですが、私はこの通り大丈夫です。心配には及びません」
「――そうか」
遥はそれだけを答えたが、何か引っかかりがあるのか、さっきよりも表情が険しい。
「それよりも、朱里と麒一は?」
麟華の何気ない問いに、遥は一瞬ためらったようだ。どんなふうに伝えるべきか迷ったのだろう。よくとおる声が波紋を描くように答える。
「朱里の天落の法が解けたんだ。彼女には、彼女の果たすべき役目がある。だから、もうこちらにはいない」
「禁術が? でも、どうやって? まさか彼女が印として用いたのは」
遥は押し黙ったまま答えない、見かねた奏が麟華に歩み寄る。
「彼女の印は、遥の真実の名だったようです」
伝えられた事実に、麟華の顔がぱっと華やぐ。
「やっぱり! 朱桜の姫君も主上のことを愛していた。そうであれば、主上は彼女と共にあるべきです。その方法を探すべきです」
「麟華、それは違う。きっと、彼女にはそれしか縋るものがなかったのだろう。残念ながら、私を愛していたわけではない」
苦し気に告げる主に何かを悟ったのか、麟華はすぐに何かを言い返すことはしなかった。それでも、やはり納得がいかなかったのか、はっきりとした声が響く。
「主上がそう考えるには、それなりに理由があるのでしょう。でも、私は朱里の気持ちを信じています」
「麟華」
出過ぎた意見だと思ったのか、麟華はバツが悪そうに主から視線を逸らした。
鳳凰の二人は麟華の真摯な意見に何か感じることがあったのか、するっと遥の背後から出て麟華の前に立つ。
彼女と同じ黒水晶のような瞳で、まじまじと麟華を仰いでいる。麟華も改めて鳳凰を見つめた。
「あなたたちは、朱桜の姫君の守護なのね?」
どうやら霊獣同士は互いの素性がわかるようだ。
「あなたは黄王の守護みたいだね。だけど、その呪われた姿はどうなっているの?」
「呪い? 私が?」
「だって真っ黒よ?」
「それを言うなら、あなたたちもよ」
麟華は少し疑いを持った眼差しで鳳凰を見比べていたが、すぐに溜息をついた。
「でも、鳳凰であることは間違いない。名前は? 朱桜の姫君はあなたたちを何と呼んだの? そもそもどうしてここに? 姫君は戻って来るの?」
麟華は思ったことを素直に尋ねる。けれど幼い二人には、その他愛ない質問が堪えたようだ。唇を噛み締めて何かに耐えるように顔を伏せた。小さな肩が小刻みに震え始めるのが、彼方にもわかった。
「我が君〜!」
「主上〜!」
押し殺していた素直な感情が一気に解き放たれたかのように、幼い二人は天に向かって乞うように主を呼ぶと、声をあげてわんわん泣き始めた。突然の号泣に、居合わせた者が言葉を失っていると、鳳凰は麟華にひしっとしがみ付く。
「我が君に会いたいよ!」
「主上と一緒にいたい!」
戸惑う麟華に、二人はますます縋り付く。
「俺達、まだ呼んでもらってない」
「名無しなの」
彼方達と同じように固まっていた麟華は、それだけで彼らの言い分を理解したのか、労わるように二人の背に手を添える。おいおいと嗚咽を漏らして、隠すことなく弱音を見せる鳳凰を、彼女は細い腕で優しく抱きしめた。
「それは、とても淋しいわね」
二人は麟華の胸でコクコクと頷いた。
「そう。俺達、このままじゃ淋しくて死んじゃうよ」
「死んじゃうもん」
麟華に支えられて泣きじゃくる鳳凰から、彼方はこれまで彼らが精一杯強がっていたことに初めて気がついた。
主に名を呼んでもらう。
それが守護にとっての、かけがえのない摂理だったのだと痛いほど伝わってくる。
彼方達が霊獣達の成り行きを見守っていると、麟華が助けを求めるように主である遥を見る。
「主上、朱里の――朱桜の姫君の行方は?」
「私にはわからない。ただ、彼女の立場から導くなら、金域に戻ったと考えるしかないだろう」
納得しがたいのか、麟華は口を閉ざす。ぽんぽんとあやすように鳳凰の背を叩いて、思い出を取り出すように語る。
「私達も、主上に名を呼んでもらうまで、とても時間がかかりました。それでも、主上を見失うことはなかった。いつも存在を感じていられた。だから名を与えてもらえない時間を耐えることができました。でも彼らにはどちらもない。主上には想像し難いでしょうが、それは我らにとっては、心を引き裂かれるほど空虚なことです」
「だから、彼らの力になれと?」
麟華は首を振る。
「私は守護として、主上の気持ちと立場を優先します。主上が姫君を追うことを承服できないのであれば、仕方がありません。でも――」
守護として、これ以上の訴えは分不相応なのだろう。息を呑む不自然な間があった。けれど、彼女は一瞬でためらいを振り切ったのか、毅然と胸の内を言葉にした。
「鳳凰のためだけではなく、私は主上には姫君を、朱里を追いかけてほしい」
「……麟華」
「出すぎた事を申し上げているのはわかっています。それでも、私は朱里の気持ちを信じています。彼女は主上を愛していました。いいえ、愛しています、誰よりも」
麟華の真摯な声を、彼方は祈るような気持ちで聞いていた。自分の上着を握る雪の手にも力がこもっている。遥はふうっと息をつく。
「もし、朱里が――朱桜が私を愛していたら」
遥の声に、恐ろしいほどの険しさが漲る。
「私は黄帝から相称の翼を奪うという大罪を犯すかもしれない。そうなれば先守の占いの通り、私は禍となるだろう。それでもか、麟華」




