第三章:三 真実の名の行方
奏が再び鳳凰の相手を続けている遥に目を向けた。問いかけに何かが含まれている気がして、彼方が意味を邪推していると、奏が彼方に視線を移す。目があうと、彼は不敵に笑った。
「翼扶が必ず至翼を比翼にするとは限らない。……黄帝と相称の翼が相思相愛でなければ、それは同じように当てはまります」
彼方は頷く。
「僕には委員長の気持ちがわかるし、奏に親子で天帝となった古の話を聞いたから、それが有り得ることだと理解できる。でも、普通は簡単には理解できないと思う」
「兄様。私もそう思います。黄帝の翼扶は相称の翼。相称の翼の比翼は黄帝。考えてみれば不思議なほど、天地界はそれを信じて疑わない世界になっていると思います」
「そうですね。でも、相称の翼が必ず黄后であるなら、なぜ、相称の翼という別称ができたのか。きっとそれが答えだと思います。ずっと目の前に示されていたのに、なぜか私達には見えなくなっていた」
「でも、兄様。朱里さんが、ーー朱桜の姫君がすでに黄帝に真名を捧げていることも考えられます。黄帝と相称の翼は互いに至翼である。私たちが思い込んでいたように、それが天帝に不可欠な条件だと信じていたら、天地界のために黄帝に真名を差し出してしまうんじゃないかしら」
「そんな!」
彼方は思わず声をあげる。
「使命感だけで? あんなに副担任が、闇呪のことが好きなのに?」
雪にぶつけた問いかけに、奏が答える。
「ですが、彼方。愛ではなく、仁を以って真実の名を捧げることは考えられますよ。各国の王や後継者がそうであるように」
「そんなふうに考えられるのは、今のところは僕達だけだと思う。普通は相称の翼と黄后を同一視している訳だから、何の疑いもなく愛を以って成ると考えるんじゃないかな」
真実の名について、愛を以って成すか、仁を以って成すかは、実際のところ便宜上の区別でしかない。どちらも最上の忠誠となるが、仁を以って語った相手を、比翼または翼扶と呼ぶことは少ない。
四天王を至翼とする黄帝を、王の比翼や翼扶であるとは言わないことでも、それは示されている。
「あの委員長が、黄帝を比翼に……」
彼方は自身の想像に、身震いするほどの嫌悪感を覚える。
口ごもってしまうと、奏が慰めるように続ける。
「愛していない者に、愛を以って真名を捧げる。比翼と成ることを無理強いする。冒涜にも等しい無慈悲な行いを、慈悲深いとされる黄帝が望むでしょうか」
労わりを込めた兄の希望をあっさりと打ち砕くように、雪が口を挟む。
「でも、兄様。彼女が天界での責務を放棄するには、それなりの理由があったと思います。愛を以って真実の名を望まれたから、朱桜の姫君は金域から逃げたのかもしれません」
「でもさ、雪。陛下がもしそんな強要を翼扶に望むなら、僕はいくら黄帝でも本気で軽蔑できるけど」
彼方が苦い顔をすると、雪は「もちろんそうです」と頷いた。
「可能性の話ですよ、彼方様。愛を以って真名を差し出せなんて、凌辱されるのと同じ、いいえ、それ以上にひどい行いです。もし朱桜の姫君が、陛下に比翼を無理強いされていたのなら……」
「駄目! それは駄目! ダメダメ、考えたくない! 比翼の強要も凌辱も、どっちも最悪だよ、そんなの!」
嫌悪感を吐き出したくて、思わず声が大きくなった。彼方が自らの声量に焦って視線を移すと、鳳凰に囲まれている遥と視線が重なった。
全てを見透かすような、赤銅色の瞳。
なぜか恥じらいを感じて、彼方は咄嗟に顔を伏せた。
彼を見るたびに、素直に美しいと感じる。闇を纏っていた時でさえそうだったのだ。
赤い輝きを纏っている今となっては、魅せられて当然なのかもしれない。
彼方は自分の内に生まれた期待に気づいて、戸惑う。
闇が禍を映すのなら、彼の変化には意味があるのではないか。
闇呪の纏う闇が拭われていくことが、禍となる運命から遠ざかっている兆しだとすれば――。
そこまで考えて、同時に相反する成り行きが形になりつつあることにも思い至ってしまう。
彼方は朱桜の比翼について、遥がどう考えているのか気になった。
禁術が解けた朱桜をあっさりと見送った成り行きからも、遥の考えていることは、簡単に導きだせる。
彼は朱桜の比翼が黄帝であると信じているのだろう。
そして、禍である自分が、比翼になどなれるわけがないと諦めている。
(なんて、切ないんだろう)
胸が締め付けられるような息苦しさを感じた。
朱桜の想いは、一番届かなければならない彼には届かない。
これからも。
すでに複雑に絡み合った世界の事情によって、二人が相思相愛になることは許されない処にまで追い詰められている。
相称の翼。
黄帝を支え、世界を満たす力。
朱桜の比翼が黄帝であるかどうかは、わからない。
けれど。
天地界の現状を考えてみれば、黄帝の焦りも想像がつく。
黄帝が朱桜を愛してしまったのなら、なりふり構わず、朱桜を望まないと言い切れるのだろうか。
どれほど無慈悲な行いだとしても、世界の先途には変えられない。
闇呪と朱桜。愛し合う二人を引き裂く行いであったとしても、多くの人々が、黄帝すらも、それが正しいと思わざるを得ない逼迫した状況が出来上がっているのだ。
遥の纏う赤銅色に見た期待が、すぐに消え失せる。彼方はひやりとした細い針に胸を貫かれるような恐ろしさを感じた。
闇呪への想いを踏みにじられて、ただ世のために蹂躙される朱桜。
どんな非道も許される、歪んだ正義。
それが、いずれ闇呪を禍にしてしまうのではないのか。
愛する者を奪われた彼の心が、世界を滅ぼすのだとしたら――。
「彼方?」
自分の憂慮が伝わってしまったのか、奏が気遣うように彼方を見つめている。視線を移すと、すぐ隣に寄り添う雪も同じような表情をしていた。きっと二人も同じことを考えたのだろう。
もし朱桜の想いが闇呪に届いてしまったら、彼の本当の悲劇はそこから始まってしまう。
(もう、手遅れなのかな)
朱桜の真実の名が、愛が、黄帝に奪われていないのであれば、まだ間に合うのかもしれない。
比翼が黄帝でないのであれば。
突如導かれたわずかな希望に、彼方は自分の心が動くのを感じた。
自分たちは、相称の翼が黄后でなくても良いことを知っている。
必ずしも、黄帝に愛を以って真実の名を捧げる必要はない。朱桜が闇呪を比翼として、黄帝に仕えることも許されるはずなのだ。
「朱桜の姫君に、相称の翼の真実を伝える必要がありますね」
奏がまるで当たり前のことであるかのように、これからのことを示唆をする。
「彼女がすでに黄帝を比翼としてしまったのかは、わかりません。ですが、だからこそ、そこに希望があります」
「うん。僕もそう思う」
「それに――」
奏は何か思うことがあるのか、遥に視線を移した。
「兄様? 彼になにか?」
雪の問いかけに「いいえ」と微笑む。
「とにかく我々も、天界へ戻るべきでしょう」




