第三章:一 赤銅色
はじめは鳳凰のけたたましさに辟易していた彼方だったが、天宮の邸宅が見え始めた頃には幼い二人も不平を吐き出すことが不毛になったのか、むっつりと無口になっていた。
沈黙されると、それはそれで得体の知れない威圧感を覚えて、落ち着かない。
居心地の悪さを感じながら、彼方は再び天宮の邸宅の前に到着する。
人目を忍ぶように、突き当りに建てられた家。
こちらの常識はわからないが、住人の利便性を考ればもっと異なる場所に在っても良い気はした。
墜天したと言われる先守の一族。
今も全てを予見しているのではないだろうか。ふと彼方の内に疑惑が浮かび上がる。まるでこれまでの出来事を占っていたかのように、都合の良い立地。
改めてこの邸宅付近を見ると、目隠しする必要性を感じていた者がいると言われても、違和感を覚えない佇まいに思えた。
「この家に何かあるわけ?」
黙って後ろをついてきた少年が、ぶっきらぼうに問いかけてきた。
滞在先であるマンションを出てから沈黙を守っていた奏が、面白くなさそうな顔をしている幼い二人――鳳凰に、柔らかい口調で答える。
「あなた方の主が、こちらに住んでいました」
「住んでいた? こんなところに? ここ異界よね」
あり得ないと言わんばかりに、腰に手を当てて少女が仁王立ちする。まるで揺らめく炎を形にしたような、癖のある髪が肩の線に触れて閃く。本来は金色を纏う霊獣であるはずなのに、本人達の言う戒めのためなのか、今はこちらの世界の者と同じような黒髪で、黒い瞳をしていた。時折、光の加減によって髪が緋く反射するが、夜の闇の中では恐ろしいほどの漆黒だった。髪の長さと着用している衣服以外は、双子かと思うほどの似通った容姿。少年は少女の隣まで歩み寄って、同じように邸宅を仰ぐ。
「いったい、我が君はこんなところで何をしていたんだ?」
心底不思議そうな様子で、少年が少女を見る。
「私が知っているわけないでしょ」
「別におまえに何も期待してないし」
「なんですって!?」
いがみ合いを始めそうな二人の間に、彼方が素早く割って入る。
「まぁまぁ、言い合いを始めても仕方ないよ」
奏が小さく笑いながら、彼方の背後で説明をした。
「ここには、あなた方の主を守っていた者が住んでいます」
「我が君を守っていた? ――陛下がここにいるっていうこと?」
「いえ、黄帝ではありません。どちらかというと、黄帝の敵と噂されている人物です」
「陛下の敵に我が君が守られるって、どんな状況だよ、それ」
「我々にも、よくわかりません。とにかく入りましょう」
奏は当たり前のように天宮家の門をくぐる。こちらの常識に通じている彼方は、思わず「ちょっと待って」と声をあげた。
「これ。インターホンっていうものがある」
「知っています」
「え?」
奏は彼方を振り返って笑った。
「こちらの世界でも、突然敷地内に上がり込むのはご法度なのでしょう? しかし、天宮のお嬢さんがすでに消息を断っている今、邸宅内に残されているのは、遥と黒麒麟だけです。二人とも負傷しているような状態では、作法に則っているような場合ではありません。そもそも、この中に二人がいるかどうかも分かりません」
言いながらも、奏はどんどん敷地内を進んでいく。彼方は目を丸くしている雪と顔を見合わせてから、慌てて後についていく。鳳凰である二人は、のろのろと敷石の上を歩き出した。
彼方が、迷いなく玄関に向かう奏と肩を並べたとき、何の前触れもなく邸宅の扉が開いた。二人は思わず歩みを止める。彼方は背中に雪がぶつかるのを感じながら、「え?」と声をあげた。
現れた人影が、彼方の知っている記憶とは馴染まない。
見慣れた人影なのに、違うのだ。
この異界ではじめて見たとき、ぼさぼさの頭髪は焦茶だった。瞳の色合いも等しく、闇色ではないが同じような深さがあった。それが先刻、狂った黒麒麟の角に貫かれたとき、禍々しいほどの漆黒に染められた筈だった。
本来の本性を表す闇色。
それが、――。
「遥。加減は良いのですか? それに、その姿はいったい……?」
奏は何の警戒心もない様子で、遥に駆け寄る。
「白虹の、いや――奏、どうしてここに?」
まだ怪我の余韻があるのか、遥の顔色は蒼白い。立ち止まったままの彼方の手に、そっと雪の指先が触れた。
「あんな髪色、見たことがありません」
雪も彼方と同じ衝撃を受けたのだろう。こちらの世界では頭髪を様々な色合いに変えることができるようだが、自分を含め天地界の者には許されない。それを証拠に、彼方も雪も、容姿の持つ色合いは天界に在った時と同じだった。
「うん。さっきとはまるで違うし。――磨き抜かれた銅みたいな色」
天界では見たことがない髪色だった。様々な深さや明るさの茶髪が混在する碧国の民にも、輝く赤銅色を持つ者はいない。
彼方が形にならないもどかしさを感じていると、鳳凰の二人が奏と遥を伺うように近づいていく。
「変なの? 何者?」
無邪気にも見える仕草で、少年が遥を仰ぐ。少女も同じようにじっと遥に目を凝らしている。
「不思議な色」
「君達は……?」
遥が戸惑った様子で奏に目を向ける。幼い容姿のせいなのか、遥が二人に警戒している様子はない。奏はどんな風に伝えるべきか少し逡巡したようだった。
一呼吸の間があってから、答えた。
「彼らは相称の翼の守護――鳳凰です」
「莫迦な。そんな筈は……」
信じられないと言いたげな遥の声は、すぐに甲高い声に打ち消された。
「そんな筈あるのよ! 大ありよ!」
「あなたは、我が君の行方を知っているわけ? 天界に戻ったんでしょ? どこに行ったの?」
やかましいほどの勢いで、矢継ぎ早に二人が遥に喰ってかかる。素早く奏が二人を宥めて遥に事情を説明する。黙って耳を傾けながら、遥はじっと自分を仰ぐ二人を眺めていた。
鳳凰は山のように言いたいことがあると言いたげな顔をしているが、奏を信頼しているのか黙って主導権を預けているようだ。
彼方も雪と手をつないで、遥達の立つ玄関先まで進んだ。
成り行きを語り終えた奏は、ようやく最後に問いかける。
「天宮のお嬢さんは、どうしたんですか?」
遥は鳳凰についてまだ半信半疑のようだったが、奏の質問で何かを思い出したように自嘲する。
「もう、ここにはいません」
奏はゆっくりと頷いた。
「天落の法ですね。――相称の翼は、彼女だった」
「やはり、あなたが朱里に教えたのですね。天落の法の解除について」
「はい。……遥の思惑には添わないことでしたか?」
「――いえ、それで良かったのかもしれない。彼女は自身の役割を思い出した」
彼方の傍から、雪が身を乗り出す。
「やはり朱里さんは、あなたの翼扶だったということですか。そして、天落の法の解除が果たされたということは、……それは、あなたの真名で?」
雪の勢いに戸惑ったようだったが、遥は朱里が去った今、自分の役目が終わったと感じているのだろう。全てを認めた。




