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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第四話 闇の在処(ありか)

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十章:一 金域:護り1

 堂内を高い笑い声が通り過ぎていく。虚しさに彩られた、暗い哄笑。遠ざかる声を聞きながら、久遠(くおん)はひたひたと歩みを速めた。直線に伸びた通路を右へ折れると人目を憚らずに駆け出す。


 時間は限られているのだ。ここで自分が役割を果たせなければ、朔夜(さくや)の行いも願いも、(しずか)の決意も護りも、全てを無駄にしてしまう。

 それだけは何としても避けなければならなかった。


 ようやく突き当たりに金色に彩られた扉が現れる。両開きの扉は(まばゆ)いが、久遠はその扉の向こう側を確かめることに一瞬だけ躊躇した。これまで目を覆いたくなるような惨状を数多く見てきたが、これから目にする光景にも相当の覚悟が必要であることはわかっている。


 久遠は深く呼吸をすると、迷いを振りきって扉に手をかける。物音を立てないようにするりと室内へ忍び込んだ。

 煌びやかに飾られた室内に、白い体が横たわっている。痛々しい姿が真っ先に視界に飛び込んできて、久遠は思わず目を逸らしてしまう。


 強引に剥ぎとられたのだろう衣装を拾い集め、久遠はそっと横たわる人影の前に立った。 今にも金色へと変貌を遂げそうな明るい緋色の髪。白い肌にはあちこちに痣ができている。どれほどの抵抗を試みたのかは容易に想像できる。ただでさえ彼女は変幻の途中で、思うように動くことも剣を抜くこともできないはずだった。


 相称(そうしょう)(つばさ)として生まれ変わるには時が必要なのだ。

 本来ならば、この世で誰よりも不可侵であるはずの存在。


(こんなことが、許されるはずがない)


 久遠は堪えるように歯を食いしばって、横たわる体に抱え持っていた衣装をかけた。同時にまるでそれが合図であったかのように、横たわっていた人影が目を覚ます。

 一瞬痛みに耐えるように眉を寄せ、すぐに体を起こすと久遠を仰ぎ見た。かたかたと小さな肩が震え始めるのを見て、久遠は彼女に刻み込まれた恐れを理解する。


朱桜(すおう)様」


 久遠は何もしないということを示すために、朱桜と少しだけ距離をとった。


「ここを出ます。まだ体が思うように動かないでしょうが、時間がありません」


 身に起きた出来事を振り返る余裕を与えないよう、久遠は早口に伝える。


「すぐに支度を整えて下さい。立ち上がれますか?」


 朱桜は条件反射のように、自身にかけられた襦袢や小袖を抱く。久遠は彼女に背を向けた。思っていたよりも気丈な朱桜の声がする。


「……わたしが、ここを出ることは、――許されるのでしょうか」


「許されます」


 迷わず答えたが、朱桜は腑に落ちないようだった。久遠は言葉を選びながら伝える。


「あなたは相称の翼となられる方です。陛下をお救いできるのは、あなただけなのです」


「でも、私が、……ここを出てしまっては」


 久遠は硬く目を閉じた。

 黄帝の真実。それを伝えない限り朱桜は納得できないだろう。けれど、久遠にはそれを伝えることができない。ここで真実を口にすると、自分は目的を果たさず滅びてしまう。これまで金域(こんいき)に仕えた者たちの末路がそれを証明していた。


 この金域(こんいき)で、黄帝への不審を口にすることは許されないのだ。

 久遠は真実を語れぬまま、繰り返すしかなかった。


「今はここにいてはなりません。陛下をお救いするために、――そして」


 朱桜の心を動かす言葉はある。久遠はやむを得ず伝えた。


「あなたが愛した方を守るために」


 背後にはただ沈黙があった。込み上げた感情をようやく押し殺したのか、震えた声が問う。


「私は戻っても良いのでしょうか。闇呪あんじゅきみのもとへ。……本当に帰ることが許されるのでしょうか?」


 彼女が許しを請うのは、自分を求めた黄帝ではなく闇呪(あんじゅ)に対してなのだろう。

 朔夜が魂魄(いのち)を賭けて導いた、この世の希望。

 朱桜は見事に心を通わせたのだ。そして相称の翼となった。

 真実の黄帝。

 許されるのなら、久遠も一目見てみたかった。


「――朱桜様、早くここを出ましょう」


 打ちひしがれている朱桜を慰めてやりたいが、久遠はそう伝えることしかできない。

 朱桜は闇呪(あんじゅ)の元へは戻れないだろう。帰れないのだ。

 彼女は異界へ渡る。

 朔夜(さくや)の示した先途は絶対だった。覆ってはならない。


「あなたは」


 朱桜があえぐように呼吸をする。声に苦痛が滲んでいた。


「あなたは先守ですか」


 ようやく仕度を整えた朱桜がふらりと久遠の隣に立った。金色へと変貌を遂げつつある明るい緋色の双眸(ひとみ)が、真っ直ぐに久遠を見つめている。

 縋るような眼差(まなざ)しを見て、久遠はああと思う。

 自分のまとう紫紺。この時のために与えられたのかもしれない。占いの力を与えられぬまま、朔夜と同じ先守(さきもり)の色をまとっていたのは、今、この時のために。


 先守(さきもり)としての力を持たない自分には忌々しい時期もあったが、無駄ではなかったのだろう。何の役にもたたないと思っていた色彩にも、役目はあったのだ。


 自分が先守(さきもり)であれば、朱桜は語られた言葉を信じるに違いない。

 久遠には彼女を連れ出す手段が与えられていた。

 この紫紺の眼差しで、ただ嘘をつけばいい。


「私は先守です。陛下のために、あなたを導かねばならない。ここを出ましょう」


 朱桜はじっと久遠の瞳を見つめていたが、ゆっくりと頷いた。変幻が与える苦痛をこらえて歩き出そうとする。


「朱桜様、触れることをお許しください。私が支えます」


 久遠が手を伸ばすと、朱桜は一瞬身体を強張らせた。強引にねじ伏せられた記憶が蘇ったのだろう。

 痛々しい思いを抱きながら、久遠は震える朱桜の身を抱えあげた。

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