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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第四話 闇の在処(ありか)

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八章:五 闇の地:翼扶2

 真摯な光。目を逸らすことができない。


「私はこの剣を以って、天に誓うことができる」


 迷いのないよく通る声で――。


「朱桜、君を愛している」


 突然の告白。朱桜は体が震えた。驚きのあまり身動きができない。何かを聞き間違えたのか、夢の続きなのかと疑ってしまう。何の反応もできない朱桜の様子をどのように受け止めたのか、闇呪(あんじゅ)は自嘲的に微笑んだ。


「君が戸惑うのは無理もない。これは私の一方的な想い。ただ、この魂魄(いのち)が君のために在るのなら、私は救われる。だから、この想いを許してほしい」


「あ、闇呪(あんじゅ)(きみ)、それは……」


 ひたすら混乱していた。闇呪(あんじゅ)は幼い姫君ではなく、妃として自分を愛しているのだろうか。突然のことで、何をどう受け止めるべきなのかわからない。


「私が何を成そうとも君はこれまでどおりで良い。何も変わらず、そのままで」


 闇呪(あんじゅ)は深く頭を垂れ、悠闇剣(ゆうあんのるつぎ)を捧げるように掲げた。

 朱桜(すおう)は目の前で行われようとしていることが信じられない。胸の前で組み合わせた手が震える。


「――朱桜」


 魂魄(いのち)を揺さぶるような凛とした声。朱桜は立ち尽くしているだけで精一杯だった。


「私は愛を()って、君に真実の名を語る」


 真実の名。

 息の止まるような想いで、朱桜はその声をきいた。

 旋律にも似た、美しい言葉。


 彼の魂魄(いのち)に刻まれた名。


 なんて美しい響きをしているのだろう。

 今までの物思い全てを掻き消す威力をもって、それは朱桜の胸にしみこんだ。彼の翼扶(つばさ)として生きる証。これ以上はない望み、願いが叶う瞬間。


「朱桜、これからも変わらず私の傍に――」


 傍にいてほしい。彼の望みは自分が望んだことと同じ。

 傍にいる。傍にいたい。

 言葉にするまでもなく、彼を求める心が全てを受け入れる。


 彼と共に生きてゆきたい。


 朱桜(すおう)は迷うことなく自身の剣を手にする。刃が朱を映す細い刀剣、朱明剣(しゅめいのつるぎ)

 ためらいを感じることもなく掲げられた悠闇剣(ゆうあんのつるぎ)に重ねた。

 瞬間、世界が眩い光に包み込まれる。うっとりとした美しい光。


 柔らかな黄金色(こがねいろ)の発光。


 どのくらいその眩い世界に包まれていたのか。ゆっくりと光が費えると、変わらず片膝をついた闇呪(あんじゅ)の姿があった。朱桜は自分が泣いていたことに気付いて、慌てて袖で涙を拭う。

 一連の成り行きを果たすと、闇呪は立ち上がり剣を虚空の鞘へ納めた。朱桜も同じように剣をおさめる。目が合うと彼は労わるように微笑んだ。


朱桜(すおう)。私のわがままを受け止めてくれて、ありがとう」


「そんな、わがままだなんて――っ」


 違うという訴えは、奪うように抱きすくめられた勢いで途切れた。強い力と熱く感じるほどの体温。


「……愛している」


 振り絞るような、かすれた囁き。朱桜はたまらなくなって彼にしがみついた。

 まるで夢ではないのだと言い募るように、彼の言葉が心を占める。世界を染め上げる。


「こんな、こんな私を――、闇呪(あんじゅ)(きみ)……」


 この幸運を、想いをどんなふうに伝えるべきなのか。朱桜は込み上げた気持ちを鎮めることができず、泣きじゃくることしかできない。


朱桜(すおう)、一方的な想いをぶつけてしまったことは詫びる。けれど、他の姫君を失ったように、君を失うことは出来ない。だから――」


 すまないと闇呪(あんじゅ)は詫びる。許して欲しいと。

 朱桜(すおう)はただ激しく頭を振る。彼が詫びることなどありはしない。翼扶(つばさ)に望むほど自分を愛してくれるのだ。これほどの至福を、誰がもたらしてくれるというのだろう。


 彼以外の、――誰が。


「夢を……、――」


 夢を見ているみたいだと云いたいのに、嗚咽(おえつ)で震えて言葉にならない。ひとしきり泣き続けてようやく落ち着いてくると、朱桜は辺りにいつもの慣れた気配を感じた。

 はっと振り返ると、いつのまに戻ったのか居室の入り口で麒一(きいち)麟華(りんか)が控えている。朱桜と目が合うと、二人は笑って迎えてくれた。

 麒一がわざとらしく咳払いをする。


「申し訳ございませんが、そろそろ金域(こんいき)の使いの者が参ります」


「姫君ったら、せっかくのお化粧が台無し。お直しもしなくちゃ」


「あ……」


 朱桜は名残惜しい気持ちでいっぱいになりながら、闇呪(あんじゅ)から離れた。彼に伝えなければならないことがたくさんあるのに。


闇呪(あんじゅ)(きみ)、あの、わたし……」


 一言では伝えきれない。焦って言葉にするのも違う気がする。どうすればいいのかと言葉に詰まると、闇呪(あんじゅ)が軽く背を叩いた。


「朱桜、今は何も言わなくて良い。私は君に繋がる(みち)を手に入れた。それだけで充分だ。だから何も案じることはない。とにかく仕度を」


「――はい。あの、私、戻ったら、たくさん伝えたいことがあります。だから……」


 朱桜(すおう)の気持ちを察してくれたのか、闇呪(あんじゅ)はいつものようにふわりと笑ってくれる。朱桜はその表情にほっと安堵した。


「ああ、待っているから。――気をつけて」


「私、出来るだけ早く戻ります」


 朱桜(すおう)は気持ちを込めるように、力強くそう伝えた。

 仕度を整えると金域からの使いが到着する。朱桜は闇呪(あんじゅ)に見送られて、金域(こんいき)へと発った。

 愛しているという気持ちを、彼に伝えられないまま。

 ただ与えられた真実の名を胸に抱えて――。

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