八章:五 闇の地:翼扶2
真摯な光。目を逸らすことができない。
「私はこの剣を以って、天に誓うことができる」
迷いのないよく通る声で――。
「朱桜、君を愛している」
突然の告白。朱桜は体が震えた。驚きのあまり身動きができない。何かを聞き間違えたのか、夢の続きなのかと疑ってしまう。何の反応もできない朱桜の様子をどのように受け止めたのか、闇呪は自嘲的に微笑んだ。
「君が戸惑うのは無理もない。これは私の一方的な想い。ただ、この魂魄が君のために在るのなら、私は救われる。だから、この想いを許してほしい」
「あ、闇呪の君、それは……」
ひたすら混乱していた。闇呪は幼い姫君ではなく、妃として自分を愛しているのだろうか。突然のことで、何をどう受け止めるべきなのかわからない。
「私が何を成そうとも君はこれまでどおりで良い。何も変わらず、そのままで」
闇呪は深く頭を垂れ、悠闇剣を捧げるように掲げた。
朱桜は目の前で行われようとしていることが信じられない。胸の前で組み合わせた手が震える。
「――朱桜」
魂魄を揺さぶるような凛とした声。朱桜は立ち尽くしているだけで精一杯だった。
「私は愛を以って、君に真実の名を語る」
真実の名。
息の止まるような想いで、朱桜はその声をきいた。
旋律にも似た、美しい言葉。
彼の魂魄に刻まれた名。
なんて美しい響きをしているのだろう。
今までの物思い全てを掻き消す威力をもって、それは朱桜の胸にしみこんだ。彼の翼扶として生きる証。これ以上はない望み、願いが叶う瞬間。
「朱桜、これからも変わらず私の傍に――」
傍にいてほしい。彼の望みは自分が望んだことと同じ。
傍にいる。傍にいたい。
言葉にするまでもなく、彼を求める心が全てを受け入れる。
彼と共に生きてゆきたい。
朱桜は迷うことなく自身の剣を手にする。刃が朱を映す細い刀剣、朱明剣。
ためらいを感じることもなく掲げられた悠闇剣に重ねた。
瞬間、世界が眩い光に包み込まれる。うっとりとした美しい光。
柔らかな黄金色の発光。
どのくらいその眩い世界に包まれていたのか。ゆっくりと光が費えると、変わらず片膝をついた闇呪の姿があった。朱桜は自分が泣いていたことに気付いて、慌てて袖で涙を拭う。
一連の成り行きを果たすと、闇呪は立ち上がり剣を虚空の鞘へ納めた。朱桜も同じように剣をおさめる。目が合うと彼は労わるように微笑んだ。
「朱桜。私のわがままを受け止めてくれて、ありがとう」
「そんな、わがままだなんて――っ」
違うという訴えは、奪うように抱きすくめられた勢いで途切れた。強い力と熱く感じるほどの体温。
「……愛している」
振り絞るような、かすれた囁き。朱桜はたまらなくなって彼にしがみついた。
まるで夢ではないのだと言い募るように、彼の言葉が心を占める。世界を染め上げる。
「こんな、こんな私を――、闇呪の君……」
この幸運を、想いをどんなふうに伝えるべきなのか。朱桜は込み上げた気持ちを鎮めることができず、泣きじゃくることしかできない。
「朱桜、一方的な想いをぶつけてしまったことは詫びる。けれど、他の姫君を失ったように、君を失うことは出来ない。だから――」
すまないと闇呪は詫びる。許して欲しいと。
朱桜はただ激しく頭を振る。彼が詫びることなどありはしない。翼扶に望むほど自分を愛してくれるのだ。これほどの至福を、誰がもたらしてくれるというのだろう。
彼以外の、――誰が。
「夢を……、――」
夢を見ているみたいだと云いたいのに、嗚咽で震えて言葉にならない。ひとしきり泣き続けてようやく落ち着いてくると、朱桜は辺りにいつもの慣れた気配を感じた。
はっと振り返ると、いつのまに戻ったのか居室の入り口で麒一と麟華が控えている。朱桜と目が合うと、二人は笑って迎えてくれた。
麒一がわざとらしく咳払いをする。
「申し訳ございませんが、そろそろ金域の使いの者が参ります」
「姫君ったら、せっかくのお化粧が台無し。お直しもしなくちゃ」
「あ……」
朱桜は名残惜しい気持ちでいっぱいになりながら、闇呪から離れた。彼に伝えなければならないことがたくさんあるのに。
「闇呪の君、あの、わたし……」
一言では伝えきれない。焦って言葉にするのも違う気がする。どうすればいいのかと言葉に詰まると、闇呪が軽く背を叩いた。
「朱桜、今は何も言わなくて良い。私は君に繋がる脈を手に入れた。それだけで充分だ。だから何も案じることはない。とにかく仕度を」
「――はい。あの、私、戻ったら、たくさん伝えたいことがあります。だから……」
朱桜の気持ちを察してくれたのか、闇呪はいつものようにふわりと笑ってくれる。朱桜はその表情にほっと安堵した。
「ああ、待っているから。――気をつけて」
「私、出来るだけ早く戻ります」
朱桜は気持ちを込めるように、力強くそう伝えた。
仕度を整えると金域からの使いが到着する。朱桜は闇呪に見送られて、金域へと発った。
愛しているという気持ちを、彼に伝えられないまま。
ただ与えられた真実の名を胸に抱えて――。




