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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第四話 闇の在処(ありか)

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七章:五 闇の地:祝福

朱桜(すおう)姫君(ひめぎみ)、我が君には悪気はないのです」

「そうよ、姫君。落ち込むことなどないのよ」


 うつむいたまま動けずにいると、黒麒麟(くろきりん)が声をかけてくれた。朱桜は彼らの云い様に驚いて顔を上げる。


「わたし、落ち込んでなんていません」


 意外な反応だったのか、守護である二人は顔を見合わせた。


「ただ――」


 朱桜は胸の内をかき回す気持ちを抑えることに必死だった。もうごまかすことなどできない。彼の思いに触れて、心が傾かない方がどうかしている。

 闇呪(あんじゅ)は心を痛めてくれるのだ。

 誰でもない、朱桜の未来を思って。


 呪われた(あん)()。この世を滅ぼす(わざわい)

 救いのない宿業を背負った闇呪(あんじゅ)に嫁ぐ姫君を、彼は哀れむ。まるで不幸と関わる運命を与えてしまったのだと言いたげに。背徳(うしろめ)たさに苛まれている。


闇呪(あんじゅ)(きみ)は……」


 優しい。けれど優しいから、自分を許すことができないのだ。そして自分に関わる者を可哀想だと思ってしまう。


「闇呪の君はまちがえています」


 言葉にすると、朱桜(すおう)は居ても立ってもいられなくなる。傍らの黒麒麟がぎょっとするほどの勢いで立ち上がり、そのまま闇呪を追うように駆け出す。

 中門にさしかかる頃には衣装の重さがわずらわしくなり、ばさりと(うちぎ)(ひとえ)を脱ぎ捨てた。小袖(こそで)緋長袴(ひのながばかま)だけになるとさらに気持ちが高ぶる。


 何をどんなふうに伝えればいいのかはわからない。気持ちは湧き上がった熱にかき回されたままで混乱している。ひたすらこのままではいけないのだと、朱桜はその思いに突き動かされていた。

 (ろう)の果てにある釣殿(つりどの)から朱桜は身を乗り出すようにして庭を見渡す。もしかすると寝殿を出たのかもしれないと考えていると、庭の正面に築かれた中島に見慣れた人影があった。


「闇呪の君っ」


 何かを考えるよりも先に叫んでいた。

 このまま釣殿から飛び降りたいくらいだったが、作られた池に阻まれる。朱桜は池を避けるように廊を戻ると、一目散に庭に下りた。

 すぐに駆け出そうとすると、同じように中島から駆けつけたのだろう闇呪(あんじゅ)が庭先まで来ていた。


「朱桜、一体どうしたんだ」

「わたし、どうしても伝えておきたいことが」


 駆けてきた勢いで呼吸が乱れる。闇呪が気遣うようにこちらに歩み寄ってきた。


「先程の話なら、君が気にすることはない。私がつまらぬことを云っただけだ」

「私にはつまらないことではありません。それに、闇呪の君はまちがえています」


 朱桜は勢いのまま彼の正面に走り出て、闇呪の両袖を掴んだ。


「私は今とても幸せです。毎日が楽しいのも嘘じゃありません。この地に嫁いで闇呪の君と出会えて、とても良かったと思っています。本当です」


 彼は頷いたが、困ったように笑った。


「君がそう云ってくれる度に私は救われる。けれど、私はこの世が生み出した過ちのようなもの。君は私と共に在る意味を、まだよく判っていない」


「そんなこと……」


「私はいずれ(わざわい)となる。それは変えようのない真実だ」


 まるで諭すように彼は繰り返す。瞳に宿る濁りのない闇は、全てを拒絶しているのだ。この世に関わること。誰かに関わること。

 自分がこの世に生まれ出たことも、全て。

 彼は受け入れられない。ずっと、――これからも。


「そんなことを今更打ち明けても仕方がないのに、私が悪かった。君に理解してもらおうとは思っていない。言葉にして語るべきことではなかった。朱桜、すまない」


 彼は心から詫びる。何も悪くなどないのに。ただ生きていることが過ちだと呵責(かしゃく)を背負う。朱桜は熱いものが込み上げてくるのを止められなかった。

 熱はそのまま溢れ出て、涙となって頬を伝う。


「――朱桜(すおう)


闇呪(あんじゅ)(きみ)。……そんなふうに考えるのは、間違えています」


 闇呪が戸惑っているのを察して、朱桜はごしごしと小袖で涙を拭う。泣かないと決めて毅然と顔を上げた。しっかりと闇呪の腕を捉まえて真正面から立ち向かう。

 絶対に目を反らしたりはしない。見過ごすことはできない。


「だって、私はあなたに魂魄(いのち)を救われました」


「それは――」


「闇呪の君にとっては、それだけじゃ足りないかもしれないけれど。……でも、私にとっては大きな意味があります。少なくとも、私はあなたのおかげで、こうしてここに在るんです。それなのに意味がないなんて。自分が在ることが過ちだなんて、おかしいです」


「君がこの地に嫁がなければ、そんな危険な目にあうこともなかった」

「いいえ。あのまま緋国(ひのくに)で過ごしていれば、私はすでに魂魄(いのち)を失っていたと思います」


「そんなことはない」


「私は自分の立場も状況もわかっていました。闇呪の君がこの世に生まれたことを過ちだと思っているように、私は緋国に生まれたことを過ちだと思っていました。誰にも認めてもらうことができないのだと。だから、毎日自分が生きている意味を必死に探さなければならなかった」


「生きている意味――?」


 闇呪が繰り返す。朱桜は頷いた。きっと彼になら判ってもらえる。そんな気がした。


「はじめは誰かに与えられるものだと思っていました。だけど、それは誰かに与えられるものではなくて、自分の心に在るかどうかなんです」


「では、君は生きている意味を見つけたのか。その心の中に在ると?」


 朱桜は微笑んでみせた。


「あります」

「この地に嫁いだ今も?」


「――はい」


 闇呪は「そうか」と呟き、「良かった」と微笑んだ。常に相手を労わる視点は変わらない。彼の心に触れる度に、朱桜(すおう)は胸が締め付けられる。心が傾く。

 もっと彼にも笑っていて欲しいと願う。


「闇呪の君は、私を迎えて得るものがあると仰ってくださった。それは私も同じです。闇呪の君のおかけで、私は満たされたことがたくさんあります」


「君が?」


「そうです。あなたと関わって幸せになれる者だっているんです。闇呪(あんじゅ)(きみ)はこの世の過ちなんかじゃありません。たとえこの世を滅ぼす禍だったとしても、あなたと関わった人がみんな不幸になるわけではありません」


 どうすれば思いが届くのだろう。闇呪の抱くうしろめたさ。それが無意味なものだと判って欲しいのに。


「闇呪の君が信じられなくても、私はこの地に来てあなたに魂魄(いのち)を救われました。そして、あなたは私がここに在ること認めてくれた。緋国で必死になって探していた居場所を、闇呪の君が私に与えてくださった。だから私はとても幸せです、これ以上はないくらい」


 とりとめもなく思いを語りながら、朱桜は自分が一番何を伝えたかったのか、ようやくわかった。


「私は闇呪の君と出会えて良かった」


 心からそう思う。

 何よりもそれを彼に伝えたかった。


「それだけで今は生まれてきて良かったと思える。本当です」


 闇呪はじっと朱桜を見つめている。失った何かを探しているような眼差しだった。


「――本当に?」


「本当です、信じてください」


「では、私は――、ここに在っても良いのだろうか」


 (すが)るような問いかけだった。朱桜は深く頷いた。

 ゆるやかな風が闇呪(あんじゅ)の声をのせて舞う。


「生まれてきたことを悦んでもいいと?」


「はい、私が祝福します」


 答えた直後、ふわりと風が動いた。すぐに温もりに包まれる。


「朱桜……」


 振り絞るような声が自分を呼んでいる。


「ありがとう」


 彼に抱きすくめられた戸惑いが、込み上げてきた気持ちにかき消された。

 伝わったのだと、朱桜はそれだけで胸が一杯になった。

 しがみつくように強く彼に触れる。


 温もりが優しい。

 朱桜自身、こんなにも生きていることを悦びに感じたことはなかった。

 涙が出るほどの幸せ。満たされた日々。

 全て闇呪が自分に与えてくれたのだ。

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