四章:四 緋国(ひのくに):悋鬼(りんき)
朱緋殿の御帳台で、赤の宮――緋桜は固く目を閉じた。やはり駄目なのかと、暗い思いに苛まれる。激しい頭痛をやり過ごすほうが、どれほど容易だろうと歯を食いしばった。
六の君を託した暁が、御座所で平伏すように座している。人払いをした居室の静寂が、心を蝕むように痛い。
「中宮様。私がついておりながら、誠に申し訳ございません」
「あなたが悪いわけではありません。暁、顔を上げてください。――六の君の加減はどうなのです?」
「はい。いまだ高熱が下らず、予断を許さぬ状態です」
緋桜は思いつめた眼差しで暁を見つめた。
「それは、鬼の風(風邪)ではないのでしょう?」
暁は答えず、ただその場に平伏す。緋桜はそれで全てを理解した。いや、再確認したと言った方が正しいだろう。ひやりとした刃が胸を突くような絶望感があった。
「悋鬼ですね」
声が震える。愛称を伏せた言い回しでも暁にはわかるはずだった。
悋鬼――悋気の鬼。それは恐ろしいほどの嫉妬に駆られた二の宮――紅蓮を示していた。
生まれながら蔑まれ、虐げられてきた六の君。だれが見ても二の宮である紅蓮が恵まれているのに、紅蓮は恐ろしいほど六の君に嫉妬しているのだ。
悋鬼が、全てを狂わせて行く。
二の宮である紅蓮は、ついに六の君に毒を盛った。表向きには鬼の風が悪化したことになっているが、緋桜には全て察しがついていた。
これほどの悋鬼が、いったいどこから生まれたのか。六の君の出生が暴かれた兆しはない。だとすれば、発端は左大臣家の長子、紅於にあるのだろう。
彼が紅蓮の許婚となった時から、緋桜はかすかな危惧を抱いていた。
紅於は能天気なほどおおらかなで、細かいことは気にとめない。気さくで憎めない性分だが、紅蓮にとってはただ奔放に映るだけなのだろう。紅於が美しい紅蓮を一途に慕っているのは、緋桜の目にも明らかだった。
けれど、気位の高い紅蓮には紅於の想いが見えないのだ。紅於の想いは、紅蓮にだけは決して届かない。届かないまま、紅於はその気さくさで六の君を目にとめた。彼は六の君を取り巻く緋国の確執など気にもとめず、幼い姫宮として愛でることができる。
紅於は単に紅蓮の妹宮として、折に触れて六の君の世話を焼こうとしただけだった。
それが紅蓮の目にどのように映ったのか。
緋桜はそれ以上想像することをやめた。
結果は今に至っているのだ。既に想像よりも惨い事実がある。
「中宮様、申し訳ございません」
ふたたび暁が泣きながら詫びる。彼女だけが、母としての緋桜の想いを理解しているのだ。緋桜は御帳台から暁の前まで歩み寄った。ゆっくりと傍らに座すと、肩に手を置いて小さな声で告げる。
「私は――必ず六の君が快復すると、そう信じています」
「緋桜様」
涙に濡れた暁の顔に触れて、緋桜は深く頷いた。
「暁、これからのことを考えなければなりません」
緋桜はそっと暁に耳打ちする。暁は瞠目したが、緋桜の決意に満ちた顔を見て何も云えなくなったのか、ただ頷いた。
「緋桜様。どうか、どうかお気をつけて」
「暁、六の君のことは任せました」
緋桜は立ち上がると、幾重にも纏った衣装の裾を裁きながら踵を返した。
心の内には、今も静の言葉がある。揺るがない想い。
まるで真名を与えられたかのごとく、決然と輝く声。
(「――緋桜、私に娘を与えてくれてありがとう」)
彼の夢。そして、自分の夢。
かけがえのない愛娘。
守るために必要なら、この魂魄を差し出すことも厭わない。
六の君にとってどれほど非情な決断でも、たとえ自分の姿が鬼として映ろうとも。
迷わない。
信じている。
いつの日か、娘が笑っている先途を。
ただ、それだけを。




