四章:二 紺の地(かんのち):焼かれた書1
白虹は創世記をはじめとする書物を求めるようになった。透国の表舞台に戻ることはなく、皇位継承権も剥奪された。今は白虹によって天籍を与えられた白亜だけが、何も云わず力になってくれる。
本来、各国には古い文献などを扱った蔵書がある筈だが、どうやら先帝の命で国の蔵書は一所にまとめられているようだ。
白亜に事実を教えられると、白虹は迷うことなく蔵書が集められたという紺の地に赴いた。
古今宮と名づけられた、宮殿にも劣らない壮大な建造物。
まるで歴史を守る要塞のような外観。文献の古めかしい印象を覆すように、古今宮は新しい建物であると言える。不釣合いだというのが、訪れた白虹の感想だった。
しかし、それは蔵書の閲覧を始めてみても同じだった。
手に取る書物の全てが、永い月日を経たとは思えないほどしっかりしている。新しすぎると云っていいだろう。
白虹は古今宮で働く者に声をかけた。
「ここには古書の現物は置いていないのですか?見たところ、全てが複製のようですが」
声をかけられた男は「さぁ、どうでしょう」と曖昧な反応だった。あまり詳しくないのかもしれない。
「現物のありかは知りませんが。貴重な古書は全て新しく複製が成され、複製が古今宮に納められたと聞いています。誰もが気軽に取れるようにと、先帝の勅命だったそうですが」
「――先帝の」
暴君となる以前、先帝の治世は豊かだった。各国の蔵書を一所にあつめ複製を手に取りやすくしたのも、そういう豊かな時代の発想だったのだろう。
たしかに古書の現物となれば、それだけで取り扱いに注意が強いられる。複製を置く発想は悪くない。
「以前、火災があったのだそうです」
白虹は本の整理をしながら語る男を見つめた。
「紺の地には先守をはじめとして、創世記や古書の記録を調べるような人達がたくさんいます。ですから古今宮ができる以前から、紺の地にはそういった文献が集まりやすかったようです。火災については、時期が定かではありませんが、先帝の治世の頃か、その前か、――大規模な火災があり、多くの先守や研究者が亡くなり、そして貴重な文献も数多く燃えてしまったそうです。古今宮の建造はそういう事件を教訓に、先帝が書を守ることも含めて考えたようですね」
「その火災と同時に失われてしまった古の記録は、今も失われたままですか?もう誰にも取り戻すことはできないと?」
「そういう物もあるでしょうね。ですが、過去の記録については、先守や研究者によって、ほぼ内容が受け継がれているようですよ」
「そうですか」
白虹はほっと安堵する。白露のために残された文献は多ければ多いほど良い。どんな些細なことでも、今は情報が欲しかった。
創世記をはじめとして、これまでの史実をふりかえることを始めた。膨大な情報源。白虹は手に入れられる複製は自身の宮にも収め、昼夜を問わず書物に埋もれた。
過去に白露と同じような事例が残されていないのか。目的はそれだけだった。古今宮の主な史書を網羅した頃には、白虹の名は透国の表舞台から完全に失われていた。昔と変わらず傍にあったのは白亜だけである。妹である玉花の皇女が生まれる頃には、白虹の築いた名誉は跡形もなく風化していた。
「皇子様」
すでに古今宮を訪れても新たな情報は得られなくなっている。闇呪を尋ねるべきかと考え始めた頃、白虹は古今宮で声をかけられた。
「わたしに、何か」
見覚えのある小柄な男だった。すぐにはじめて古今宮を訪れた時に声をかけた者だと思い至る。
「皇子様は自身の地位に背き、ひたむきに古書を求めています」
唐突な言葉だった。白虹は自嘲的に笑う。
「……救いたいものがあるのです」
「ほんとうに、占いのとおりに現れた」
「占い?」
先守のことかという問いかけを遮るように、男は包みを差し出した。白虹が受け取ることを戸惑っていると、男はじっとこちらを見つめてくる。深い紺青だと思っていた瞳の色が、光の加減のせいなのか紫紺をうつした。
「以前、哀れな先守がおりました。これは形見のようなものです。皇子様、どうかその者の弔いだと思い、これを受け取っていただけないでしょうか」
「なぜ、わたしに?」
「わかりません。ただ哀れな先守がそう望んだのです」
声は穏やかに響くのに、白虹を見つめる瞳は烈しい。白虹は差し出されたものを受け取った。ずしりと重い。何かの書物であるのだと悟った。
「その哀れな先守は、いつ亡くなったのですか?」
「――わかりません」
「では、なぜ哀れだと?」
「天罰を受けたのです。美しい姿は見る影もなくただれ、真実を語る声も潰されました」
「天罰とは、どうして?」
「人々がそう語るだけのことです。ですが、きっと最期は救われたはずです。こうして、彼女が視たとおりあなたが現れたのですから」
男は何かを懐かしむように微笑み、白虹に一礼すると踵を返した。それ以後、古今宮を訪れても、白虹が男の姿を見ることはなかった。
「哀れな先守の残した、――形見」
呟きながら、白虹は手元に残された包みを見つめた。なぜか重大な秘め事のような気がして、すぐに隠すように懐におさめた。




