三章:三 闇の地:不安
その事実を目の当たりにするまで、闇呪はひとつの暗い呵責に苛まれていた。
迎えた后が次々と不慮の死を遂げる。その原因が自分の内にあるのではないかと感じていたからだ。
闇呪の后とは、すなわち禍の伴侶。まるで生贄のように、この地に向かえた時から后の未来は閉ざされるようなものだった。だからどうしても、彼には心から祝福することができなかった。
同情を以って心を砕くことが出来ても、愛を以って心を傾けることができないのだ。
想いを通わせても先にあるものは喜びではない。きっと暗い予感に縛られていくだけだろう。そう思うと、ただ全てが虚しかった。
迎えた后に心を砕くことができても、喜びとして受け入れることが出来ない。
胸の内に巣食った虚無感と拒絶。拭えない負の思いが、意図せぬところで鬼に形を与えていないと云いきれるだろうか。后を黒い躯とかえる呪いとなって顕現しても、不思議ではないのもしれない。
闇呪はそんな懸念を拭いきれず、後ろめたさに囚われていた。
けれど。
抱き続けた危惧や不安は、全てが杞憂だった。后の死に関わっていたのは、彼の暗い感情ではなかったのだ。
(――どうして)
闇呪は言葉もなく立ち尽くしていた。
付きまとっていた不安を拭う事実を明らかにされながら。
全てが杞憂であった安堵を見失うほど、彼は動揺していた。突きつけられた事実は、眩暈を覚えるほど苛烈な衝撃を伴っている。
(――どういうことだ)
なぜ、どうして、と幾度も反芻するが、それはぐるぐると脳内を空回りするだけだった。四人目の后を迎えてからも、日々はそれほど変化なく過ぎていた。后となった滄の姫君、桔梗の君もはじめこそ恐れ慄いていたが、時が経つにつれ几帳越しに言葉を交わすくらいには様子が変化しつつあった。それでも闇呪は出来るだけ深く関わることを避け、桔梗が快適であるようにと、ただそれだけに心を砕いていた。
これまでの后と同じように桔梗にも不慮の死が訪れるのかもしれない。暗い呵責から生まれる憂慮だけが、漣のようにわだかまっていたが、闇の地には安穏とした時が巡っていた。ときおり麟華や麒一に、取り越し苦労をするよりも后と向き合えと叱咤される以外、目新しいことは何も起きない。
けれど今、そのゆったりとした日々は唐突に覆された。
天帝の加護が色合いを変える夕刻。
辺りの景色からますます明るさが失われていく頃。
寝殿の奥対屋から、桔梗が出て行くのを、闇呪は本殿から続く軒廊から見かけた。それが契機だった。他愛のない桔梗の行動に、彼はひどく胸騒ぎを感じた。何か良くないことが起きる前触れなのか、ただの思い込みなのか、判らないまま後を追っていた。
やがて屋敷の門にたどり着いた桔梗が歩みを止める。門の影に隠れるように誰かが立っていた。待ち合わせをしていたのだと理解しても、闇呪は胸騒ぎが止まない。もし桔梗が密かに逢瀬を重ねているのであれば、そのほうが救われる気さえするほど、逼迫した嫌な感覚があった。出来る限り気配を殺して見守っていると、門の影に潜んでいた者が歩み出てきた。暗い色目の衣装を頭から被っている。ここからでは影色にしか見えない。
桔梗が歩みよると、二人は並んで歩き出した。門から人影が遠ざかっていく。さらに後を追うべきかと、闇呪は逡巡した。
恋人との逢瀬ではないことは明らかだった。もとより呪われた地に嫁ぎ、誰もが恐れる闇呪の后に懸想するような者などありえないだろう。刹那でもそんなことを期待した自分が浅ましく思えた。
(――あれは……)
姿を隠していたが、闇呪はその仕草に覚えがあったのだ。隠そうとしても隠しようのない、しなやかなで美しい動き。桔梗が待ち合わせていた者は、華艶だった。
顔を見たわけではないが間違いがない。胸騒ぎが何か得体の知れない不安にかわっていた。後を追うべきだと判っているのに、華艶に関わることを恐れている自分が邪魔をする。
慈悲深く優しい先守。
自分の中に築かれた面影を守りたかったのかもしれない。
どこかで覆される予感があったからこそ、そんなことを願ってしまったのだろうか。華艶と肌を合わせるたびに、何かが違うのだと悟った。
優しい仕草も微笑みも幼い頃と何も変わらないのに。
これまでに与えられたものも、全て心に刻まれている。朔夜を失った後も、ずっとただ一人慰めてくれたのだ。全てが偽りではなく、柔らかな優しさとして、揺ぎ無い事実として在るのに。
どうしても、彼女の心の底に触れることが恐ろしかった。
自分は華艶の心を望んでいたのだろうか。そんな弱いひとときがあったのかもしれない。決して手が届かない華艶の心。本当は思い知ることが恐くて、心に距離を置くようになったのではないのか。
慈愛の裏に潜む何か。
華艶に心を奪われることを臆した自分が作り上げた幻想。そうでないと言い切れるのか。
慈悲深く優しい先守。心に刻まれた面影。
闇呪は立ち尽くしたまま、なかなか後を追う一歩を踏み出せなかった。どんなに言い繕ってみても、不安は高まる一方だった。
自分の中にある美しい面影を失いたくないという本音。
華艶には理想であり続けて欲しいのだ。
闇呪はためらいを振り払って、一歩を踏み出した。考えすぎなのだと言いきかせる。二人を追えば胸に去来した不安は拭われる。
悲劇の姫君と云っていい桔梗を、慈悲深い華艶が訪れることは何も不思議ではない。
ますます高まる暗い不安をやり過ごすように、闇呪は歩調を速めた。既に空からは輝きが失われ、ただ静寂と澄明さだけが残されている。




