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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第四話 闇の在処(ありか)

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三章:二 闇の地:楔(くさび)2

「いったい何が酷なのですか、主上」


 暗がりに引き寄せられていた思考が、麟華(りんか)の甲高い声によって引き戻される。闇呪(あんじゅ)がはっとして顔を上げると、腰に手を当てて仁王立ちしている麟華の姿があった。居室の風通しを良くするためなのか、いつのまにか几帳(きちょう)の配置が変えられていた。


 麟華は小袖の上に何もはおらず、動き回りやすい軽装のまま、ずかずかと歩み寄ってくる。後頭の高い位置で結われた麟華の黒髪が、風回りのよさを示すかのように、はらはらと動いていた。


「せっかく新たな姫君をお迎えするのに、その辛気臭いお顔は何ですか」


 ずばりと明るく言い当てられて、闇呪(あんじゅ)は可笑しくなった。麟華の前で落ち込むことは難しそうだ。


「私と縁を結ぶ姫君は可哀想だと、そんなことを考えていた」


 素直に語ってみると、云い終わるか終わらないかの間合いで麟華が「まぁっ」と声を上げて眉を吊り上げる。


「主上と結ばれるなんて、喜ばしいことですわ。何度も申し上げますが主上はたいへんな美丈夫ですし、とてもお優しいのに。共に在ることに何の不満がありますか」


 麟華の大袈裟な口上を耳にする度に、主を偏愛する麟華が不憫にも思えた。さすがに傍らで黙り込んでいた麒一(きいち)も見かねたらしく口を挟む。


「たしかに麟華の云うことは正しいけれど、それは我らが全てを知っているから受け入れられる事実だ。噂でしか我が君をご存知ない姫君にとっては、この婚姻は死地に赴くよりも恐ろしいものになるだろう。この地にお迎えした姫君が不慮の死を遂げたことも間違いのない事実だ。恐れるなと云う方が無理だよ」


 麒一の声は穏やかだったが、麟華がむっと拗ねたのがすぐにわかった。物を言わずに立っているだけなら大人びた美しい女に見えるのに、言動が全てをぶち壊している。


「主上にお会いすれば、噂がどれほどアテにならないかすぐに分かるわ。判ってしまえば恐れることなんて何もないでしょう。だから、伴侶となる姫君は幸せ者よ」


 飛躍した三段論法を展開する麟華に、麒一は目に見えて肩を落とす。何を説明しても無駄だと呆れたのかもしれない。もう伝えることはないと云いたげに、麒一は白い狩衣の前を開いて吐息をつく。二人のやりとりを眺めているのも楽しいが、闇呪は笑いながら口を開いた。


「これまでの姫君は、私と会っても何も変わらなかった。この姿を見てさらに恐れが増しただけだ。噂が作り上げた思い込みを覆すのは易しいことではない。出来る限り心を砕くつもりだが、それでも私に心を許すことは難しいだろう」


「そんなことは」


「麟華、私は立場を充分に理解している」


「違います。主上はご存知ないだけです。そのお心はいつも姫君に届いていました。たしかに心を開くまで時がかかりますが、それでも姫君方のお気持ちには、少しずつ変化があったのです。もっと時があれば――」


「もういい、麟華。過ぎた労わりは必要ない」


 思ったよりも、厳しい声が出ていた。麟華の気持ちは分かるが、自分を恐れる姫君の心が変わるとは到底思えない。仮に自分に心を開いたところで、それに何の意味があるのだろう。

 禍の伴侶。

 例え想いを通わせても、決して未来を夢見ることが出来ない后なのだ。その事実は揺るがない。誰がそんな立場を受け入れて生きていくと云えるのだろう。幸せになれるはずがない。絶望が約束されているだけだ。


 受け入れられる者がいるわけがない。ありえない、あってはならない、というのが本音だった。

 思いのほかきつく窘められて、麟華は俯いて黙りこんでしまった。沈黙を息苦しく感じていると、麒一が穏やかに告げる。


「我が君、それは過ぎた労わりではありません。ここにお迎えした姫君は、少しずつ向き合おうとされていました。むしろ本当に向き合おうとされなかったのは、我が君です」


 濃密な闇を宿した瞳で、麒一(きいち)はじっと闇呪を見つめている。意見することに、何のためらいも感じていないようだった。


 黒麒麟(くろきりん)雄雌(しゆう)、一対で存在する霊獣。気性の違いがあっても、やはり麒一と麟華の心の芯には同一の物がある。全く違うことを述べていても、導かれる結論は同じ処にたどりつく。主の内にわだかまる諦念にも似た思いに気付いているのだ。

 闇呪はさらに息苦しさを感じて、視線を逸らした。


「我が君が優しいことは存じています。優しいが故に生まれる屈託もあるでしょう。しかし、我らは我が君に幸せになってほしい。それだけを望んでいます」


「ああ、――わかっている、麒一」


 伴侶となる姫君。祝福できないのは、誰でもない自分なのだ。

 麒一と麟華は全てを見透かしているのかもしれない。闇呪は自嘲するように、笑ってみせることしかできなかった。

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