三章:一 闇の地:楔(くさび)1
新たな后を迎える。闇呪には理解できない。喜びもない。
なぜこのような呪われた地で、禍の伴侶となるものを選ぶのか。
それが選ばれた姫君にとって酷な仕打ちでしかないということは、自分にも痛いほど理解できる。
しかし、世の中の軋轢は想像よりも苛烈で過酷なのかもしれない。自分が禍として生まれたように、表舞台を望まれぬ定めに生まれた皇女や姫君があるようだった。
やりきれない。
(――また、繰り返すのか)
四度目の婚姻を告げられた時、闇呪は鈍い痛みを感じた。これまでに縁を結ぶためにやってきた皇女や姫のことを考える。ほとんど見えることもなく、顔を思い出すこともできないのに、彼女達の様子だけは鮮やかに蘇る。
自身の不遇を嘆く高慢な振る舞い。
ひたすら悲嘆に暮れる伏せられた顔。ただ恐れ震えるだけの蒼ざめた気色。
三人三様であった気がするが、既に記憶は混ざり合っている。後に迎えた姫君ほど、嫌悪よりも恐怖に占められていた。その違いだけがおぼろげに記憶に刻まれている
どちらにしても、禍として在る者と縁を結ぶことを喜ぶものなどいない。
この世の禍。絶対的な悪。
婚姻は抗えない宿命をいやというほど再確認する契機になるだけだった。
そして。
華艶の慈愛が、決して自分にだけ向けられる特別なものではないことも知った。華艶の思いは男と女の情愛には程遠い何かで形作られている。それを嘆くような気持ちは沸いてこない。むしろ、なぜか安堵した。朔夜の残した想いだけが、強く胸の内に生きている。それが伴う絶望は、きっと誰にも取り除くことはできない。
たとえ華艶でも無理なのだ。
慈愛に満ちた微笑みも、優しい言葉も、惜しみなく与えられる体を以ってしても。
癒されない。
けれど、それでいいのだと受け入れていた。消えない絶望が描くものは、朔夜が教えてくれた、決して忘れてはならない宿命だった。
ただ闇呪はふと考える。窺い知れない華艶の心の内。何も恐れず、動じず、ただ優しげに笑うだけの先守。この天界にあって女が簡単に体を与えることは、禁忌に等しい。彼女だけは、その道理から外れた立場を演じ続けている。まるで慈愛を示す表現手段の一つだと言いたげに、容易く体を許す。
真名を持つ女は、愛した比翼に対して純潔を捧げることが理想だった。
魂魄に等しい真名、かけがえのない心、純潔の身体。最高の美徳と謳われている。もちろん真名を与え合うよりも前に、一過性の恋情に流されて契る場合もある。それでも、女が体を許すことは、真名を与えるに等しいほどの行為と云えた。誰よりも、何よりも、相手に心を奪われている証なのだ。
真名を与えられない先守にとっても、天界にある限り心と身体の観念は等しいはずだった。むしろ真名を持たないからこそ、身体のもつ意味は余計に大きいのかもしれない。
契りに対する観念。
華艶だけが、恐ろしいほど異なっている。
先帝との噂をはじめとして、慈愛と情愛に富んだ彼女の噂はたえない。闇呪にはどこまでが事実なのか分からない。分からなくてもかまわなかった。
艶麗な美貌も、慈愛に満ちた微笑みも言葉も、自分には届かない。絶望を癒すほどには響かないのだ。
刻まれた罪悪を上回るものとはならなかった。
胸底に打ち込まれた楔が、我を忘れるほどの悦楽を許さないからだ。だから色欲に溺れることも、嫉妬に苦しむこともできなかった。そんなふうに自分を見失うことが出来たら、どれほど楽だっただろうと、ときおり思う。華艶の噂については、そんな希薄な感想があるだけだ。
闇呪にとっては、異彩を放つ華艶の行動よりも、内にあるのだろう何かが気になった。得体の知れない何か。人々が語るような情愛とはかけ離れた何かが、必ず潜んでいる。
天界の美徳を捨てても望んだ何か。
最高位の稀有な先守として、彼女こそが独りなのかもしれない。
自分よりも遥かに輝いた立場にある華艶に対して、どうしてそんなことを思ったのか。彼女に影を見出すことで、少しでも救われようと思ったのだろうか。
心の中に浮かび上がった幻想、錯覚。
(――どうかしている)
堂々巡りをはじめそうになった思考を断ち切り、闇呪は苦笑する。華艶の内について、それ以上考えることを放棄した。考えても意味のないことなのだ。
まるで逃避だと思った。
四人目の后を迎えることを考えたくないという無意識のせいだろう。恐れているからだ。
再び自分の宿命を突きつけられることを、恐れている。
(私に、恐れる資格などないのに)
苦笑が自身を蔑む嗤いに変わる。
自分と縁を結ぶ姫君のほうが、はるかに恐怖しているのだ。
闇呪は去来した痛みから目を逸らすように、呟いた。
「――酷なことを、する」
迎える伴侶にとっても、自分にとっても。




