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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第三話 失われた真実

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エピローグ:2 消えない灯火(ともしび)

「私は陛下より(めい)を受け参りました。碧国(へきこく)の第一王子、碧宇(へきう)と申します」


 尊い身分にある王子が自分の前で膝をつくのを見て、朱桜(すおう)は戸惑ってしまう。


「あの、そういうのは、やめて下さい」


 碧宇は垂れていた頭を上げて、ゆっくりと朱桜を仰いだ。


「私は、そんな、……立派な人間ではありません」


 金を(まと)う意味を知りながら、禁術に身を委ねた。結果として闇呪(あんじゅ)を追い詰め、そして世を混乱させたに違いない。本来ならば誰に責められても仕方がない行いなのだ。何の役割も果たさず、ただ架せられた立場だけで尊ばれても、みじめな気持ちになるだけだった。碧宇は唇を噛み締める朱桜を見つめていたが、思いを察してくれたのか何も言わず立ち上がると、ぱんと衣装の砂埃を払った。

 臣下の態度を改めて、にやりと顔を綻ばせる。


「では、姫君の望むままに。対等な振る舞いをお許し願おう」


 朱桜が頷くと、碧宇は彼方(かなた)――弟である翡翠(ひすい)に良く似た人懐こい、親しみのある笑みを浮かべた。


「姫君。では、はっきりと言わせてもらう。地界は水源までが腐敗を始め窮地に陥っている。今、それを救えるのはあんたしかいない」


 突然明らかにされた窮状に、朱桜は言葉を失くした。愕然としたまま立ち尽くしていると、碧宇が励ますように背中を叩く。


「あんたは、これまでの自身の行いを悔いているのかもしれないが、過ぎたことは仕方がない。それに、今からでも遅くはない、挽回の機会は用意されている。今のあんたに出来ないことはない」


 朱桜は目の前の背の高い人影を仰ぐ。暗がりでも力強い眼差しをしているのがわかった。黄后となる相称(そうしょう)(つばさ)を前にして、気安く接することは容易(たやす)くない。例えば自分が黄帝に対等を望まれても、すぐにそんなふうには振る舞えないだろう。


 けれど、碧宇は立場から生じる壁をいとも簡単に壊して、朱桜の望み通り同じ目線で言葉をかけてくれる。

 疲弊した世を救いたい。その思いが、彼の言葉の端に滲んでいる。

 世界を大切に思う気持ちに、何の思惑もないのだとわかってしまう。


 碧宇は、ただ素直に世の行く末を案じているのだ。朱桜はやりきれない思いに囚われて、(てのひら)を拳に握る。世を形作る掟は、残酷なほど朱桜の望みに添わない。


 世を育む黄帝と、世を滅ぼす闇呪(あんじゅ)


 未来を望むなら、碧宇(へきう)は――人々は決して(わざわい)を見過ごすことはできないだろう。誰も禍であると語られた闇呪(あんじゅ)を認めることなどできないのだ。

 黄帝が正義であり、闇呪(あんじゅ)は悪になってしまう。碧宇の正義も同じ処にある。(みち)をあやまるのなら弟に対しても厳しい決断を下すほど、彼の正義は揺ぎ無いものなのだ。


 立場の違い、相容れない因果が、(かげ)りとなって心に染みを作る。

 世の安定。輝いた豊かな未来。

 それに勝るものなど、何もないのだと。朱桜には碧宇の思いが間違えているとは言えない。世を守りたいのは、自分も、闇呪も同じなのだから。


 朱桜は複雑に絡み合う経緯(いきさつ)をどんなふうに受け止めるべきなのか、何が正しいのかがわからなくなる。何かが噛み合わない。たしかな答えを見失ったまま、相称(そうしょう)(つばさ)がもたらす力に期待している碧宇に頷くことしかできない。


 何かを犠牲にしなければ、未来を護ることができないのだろうか。そんなふうに形作られている世界がやりきれない。朱桜は何としても闇呪(あんじゅ)を否定する世界を覆したかった。

 彼を犠牲にしない途。朱桜は整理のつかない頭で模索しながら、ふと四国の後継者に与えられていた神器(じんき)を思い出す。既に自身の姉である二の宮は犠牲になっているのだ。

 その事実が、更に心を暗がりへと引き寄せた。


「あんたは恐れずに堂々としていればいい。陛下が導いて下さる」


 朱桜(すおう)の冴えない表情をどのように受け止めたのか、碧宇(へきう)は元気付けるように笑ってくれる。けれど、黄帝の存在が朱桜にとっては、ただ恐ろしい。闇呪(あんじゅ)を護るために、いずれ黄帝の手を取ることが必要でも、それを決意していても、記憶に刻まれた恐れを消し去ることはできない。碧宇の言葉は何の慰めにもならず、朱桜がもっとも恐れる出来事を蘇らせた。

  すうっと血の気が引くのを感じながら、朱桜は蘇った記憶を振り払うように、碧宇に問いかける。


碧宇(へきう)の王子は、麒麟(きりん)()に侵されていないんですね」


 彼が狂っているとは思えなかった。眼差(まなざ)しに強い意志と使命感が見え隠れしている。正気であることは疑いようがない。朱桜(すおう)は姉である二の宮の壮絶な最期(さいご)を思い出していた。


緋国(ひのくに)紅蓮(ぐれん)様はあんなにも侵されてしまったのに。どうしてですか」


 朱桜がじっと見つめると、彼はばりばりと頭をかいた。


「たしかに霊脈(みち)が使えるのは便利だが、そのために己を失うのでは道理がとおらん。何度か試せば、それがどういうモノであるのかはわかる。まぁ、力に溺れそうにならなかったのかと問われると、答えに詰まるがな」


 背後でずっと沈黙していた東吾(とうご)が、小さく笑うのが聞こえた。朱桜と碧宇が見返ると、彼は底の知れぬ笑みを浮かべたまま二人を見た。


「神器、麒麟の目ですか。まるで持つ者の心を映すかのようですね。朱桜様。碧宇の王子は、あなたの往く道を導いてくださるでしょう」


 朱桜は東吾から視線を映す。碧宇は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「どういうつもりだ、東吾。つまらんことを吹き込みやがって」


「不安を感じている女性を励ますのは当然です。碧宇(へきう)王子(おうじ)、この学院で起きていた一連の出来事。それがどういう意味を持つのか、あなたはたどり着いたはずです」


 碧宇の表情にすっと緊張が走る。東吾の台詞が何を示しているのか。朱桜は脳裏で言葉を繰り返してみるが意味を掴むことができない。


「あなたは弟への粛清をためらい仕損じたわけですが、結果としては良かったのかもしれません」


「俺はそこまで夢見がちじゃない」


「ですが、その胸の内に疑惑が芽生えたことは隠しようがない」


 碧宇が苛立ちを隠さず、厳しい声を出した。


「東吾、それはここに在る先守(さきもり)の占いか?」


「私には何も申し上げることは出来ません」


 東吾は無表情に応じた。碧宇が諦めたように短く息を吐き出す。


「おまえらの思惑は、俺にはわからん。翡翠(ひすい)、くそ可愛い弟め。今度出会ったら、思い切り抱きしめてやる」


 ぶつぶつと意味不明な台詞を漏らす碧宇に、東吾は可笑しそうに声を立てて笑った。意外な東吾の言動に、朱桜は一瞬逼迫した場面であることを忘れてしまう。立場を忘れて興味深く二人を見比べていた。


朱桜(すおう)様、あなたはあなたの信じる途を往けばいい。赤の宮様からの言葉を覚えておいでですか」


「あ、――はい」


「私も影ながら見守らせていただきます。いつか、主の想いが在るべき終焉を迎えるように」


「主の想いって――?」


 朱桜の問いに、東吾は浅く微笑んだだけだった。


「独り言です。では、私の役目は終わりです。これで失礼いたします」


 東吾はそう告げると、何の迷いもない素振りで踵を返した。そのまま振り返ることもなく夜道に姿を隠す。

 碧宇が「はぁ」と大袈裟に溜息をついた。「疲れた」とぼやいてから、改めて朱桜を見る。


「あまり使いたくないが仕方がない。これが最後だ。鬼門を越えてから、霊脈(みち)を開く。姫君、お手をどうぞ」


 朱桜は頷いて、彼の手に(てのひら)を重ねた。碧宇に導かれるまま、高等部の正門を越えて学院の禁忌の場所へと向かう。寒さに張り詰めた夜空の美しさに、吐息が白く霞みをかける。

 不安に潰されそうになる自身を奮い起こして、朱桜は凛と前を向く。


 これから、胸に刻んだ覚悟が試されるのだ。

 彼への想いだけを武器に、自分がどこまで成し遂げられるのか。


(――闇呪(あんじゅ)(きみ)。……あなたが、私の世界の全てでした)


 愛している。世界と同じだけ。本当はそれ以上に大切なのは彼だけなのだ。与えられた真実の名が、二人の想いの証になる。胸の底に燃える、決して消えない灯火。


(――私はあなたの未来を護りたい)


 闇呪(あんじゅ)への想いを抱いたまま、朱桜(すおう)は鬼門を渡る。


(――愛しています。あなただけ……)


 想いは、決して(つい)えない。



第三話「失われた真実」 END

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