表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第三話 失われた真実

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

127/234

第十三章:4 封印の解除

 朱里(あかり)にも、判ってはいるのだ。

 それでも。

 この恋が過ちだとしても、失うことの出来ない想いが在る。

 刻まれた気持ちから心が離れない。

 どんな憂慮も不安も色褪せてしまうほど、今は彼に届かない気持ちが、一番哀しい。


「先生は、ひどい、です」


 (はるか)の手を握る指先が震える。

 言葉にすると、堪えていたものが溢れ出た。度のない眼鏡のレンズが濡れて、目の前の像を歪ませる。止める(すべ)を見つけられないまま、それは熱い雫となって幾筋も頬を伝っていく。朱里は眼鏡を外して、目元を隠すように両手で覆った。


「私の気持ちを、全然、……信じてくれません」


「そんなことは――」


 ないと言う彼の言葉を遮るように、朱里は起き上がっている遥の上体に腕を伸ばした。しがみついた勢いで辺りに涙が散る。彼は(いと)うこともなく、朱里の体を抱きとめてくれた。


「先生が好きです、誰よりも。本当、です。信じてくださ、い」


 泣きながら、それだけを伝えるのが精一杯だった。

 錯綜する想いの中から、込み上げてくる何か。

 もどかしいほど彼を想う気持ちと、最悪の予感。


 自分の心がはっきりとした輪郭(かたち)にならない。封印された事実が、全てに目隠しをしている。なのに、涙が止まらない。哀しくてたまらない。

 本当は既に気がついていたのかもしれない。

 封印の向こう側に、避けて通れない別れがあることを。


 遥の語る真実の名が、きっとこの夢を終わらせてしまう。

 ままごとのような日常。まるで夢のようなひととき。

 何も知らずに、彼への想いを育てていられた時間。

 その全てが失われてしまう。


「君の想いを信じる。だから、朱里――泣くな」


 しがみつく朱里の体を受け止めたまま、遥が囁く。


「君に泣かれると、どうすればいいのか判らなくなる。君は何を望む? どうすればいいのか言ってほしい」


 朱里はしゃくりあげるように肩を上下させて、遥の背中に回していた腕を解く。遥の手が朱里の二の腕を掴んで引き寄せた。朱里は濡れた瞳で、彼の端正な顔を見上げる。

 ためらいのない闇色の瞳に、小さく自分が映っていた。

 自身の抱いた決意は、既に彼に見抜かれている。零れ落ちる涙に触れる遥の指先が冷たい。


「本当は恐い、です。自分の真実を知ることが、恐くてたまらない」


 何から打ち明ければいいのか判らない。判らないまま素直に心境を告白すると、遥は労わるように頷いてくれた。


「君が恐れるなら、私はどんな真実も求めない。朱里が恐れることなど何もない」


 彼はどんな時も変わることなく朱里の望みを受け入れてくれる。その優しさが棘となって、朱里の胸に痛みをもたらした。


 想いが沁みる。

 朱里はそうではないと、首を横に振った。自分に向き合ってくれる遥に支えられて、本当の気持ちだけを口にする。


「だけど、もっと恐いのは、先生や、麟華(りんか)麒一(きいち)ちゃんを失ってしまうこと。それが一番恐い。先生が傷つくのを見ているのが、一番嫌です。苦しくてたまらないから」


 真っ直ぐに自分を見つめる遥の瞳に、澄んだ闇を震わせる戸惑いが生まれた。朱里は覚悟を決めて自分の望みを告白する。


「先生が苦しむのを見ているのは耐えられない。――私のせいで先生が追い詰められてしまうのは嫌です」


「君のせいじゃない」


 まるで叱咤するかのような激しさで、遥の声が重なる。それでも朱里は怯まずに続けた。


「私はもう知っています。そして、どうすれば良いのか判ってしまった。判ってしまったから、もう知らないふりはできません。私が封印した記憶の鍵は、先生が持っているんです」


「朱里、それは違う。君は何も知らないだけだ」


「知っています。禁術に必要なのは愛した人の名まえです。だから、私に必要な真実の名は――、禁術を解く鍵は、先生が持っています」


 知り得た事実を隠さず打ち明けると、遥が言葉を失ったかのように動きを止めた。朱里は目を逸らさず訴える。


「あなたが好きです。だから――っ」


 まるで言葉を遮るように、自分の腕を掴んでいた遥の手に力が入る。朱里は引き寄せられるままに身を委ねた。強く抱きすくめられる。


「朱里」


 振り絞るような彼の声が、頬を押し当てた胸元からも響いて来た。彼の戸惑いが鼓動と共に伝わってくる。


「先生、この気持ちを信じてください。――私は真実を知りたい」


 恐ろしくても、この手で護れるものが在るのならためらわない。非力な自分にも、出来ることが在るのなら。

 護られた立場を切り捨てる覚悟と共に、朱里は封印の鍵を求めた。


「先生の真実(ほんとう)の名前を、教えてください」


「それで、全てを取り戻せるとは限らない」


「私の気持ちを信じてください」


 強く訴えると、朱里の体を抱くように回された遥の腕が緩んだ。彼は朱里と目が合うと、哀しげに微笑む。暗い眼差しの中に、隠しようもなく見え隠れする想い。

 朱里への愛しさが滲んでいた。


「私の真実の名は、既に君に証として捧げたものだ。もう一度語ることに、何の問題もない。ただ、……その前に」


 その前に――、まるで最後にと言いたげな響きを帯びた声だった。朱里が思わず問いかけようとすると、彼の指先が唇に触れた。優しげな仕草の中に、何も言わせないという意志を感じて、朱里はそのまま動けなくなってしまう。

 まるで壊れ物を扱うように、遥の手が朱里の頬に触れた。


「君が全てを取り戻しても、――どんな結末を迎えても、私は君の往く途を護る。忘れないで欲しい」


「私は――」


 朱里の言葉を封じるように、柔らかな衝撃があった。唇に感じる熱。こんなふうに触れ合っても、遥の想いは決して朱里の気持ちに寄り添わない。朱里の想いを、自分に縛り付けようとはしてくれないのだ。

 それがどうしようもなく哀しくて、胸が詰まる。呼吸が止まりそうなほど強く抱きしめられても、熱を帯びるほど口づけを交わしても、想いは満たされない。


 届かない。


 決して、彼に届いてはならないのだと思い知らされる。

 自分が相称(そうしょう)(つばさ)である限り。

 彼の名で禁術が解かれても、それは彼を愛した証にはならないのだろう。


 どんな真実が形になっても、きっと遥は受け入れてはくれない。

 全てが黄帝への想いとして繋がれてしまう。

 足掻くように唇を重ねてみても、想いは刻まれない。ただ涙の味に染められる。


「朱里」


 遥が腕の力を緩めた。耳元で囁かれた言葉が吐息になって触れる。


「――――……」


 輪郭(かたち)になったのは、言葉だったのか、旋律だったのか。

 哀しみともどかしさに侵された胸の内にも、心地よく沁み込んでいく。

 これが。


――真実の名。


 彼に与えられていたもの。

 こんなにも美しい輪郭(かたち)を忘れていた自分が信じられなくなるほどに。

 言葉にならない激情に襲われる。


 朱里は耐え切れずに、示された輪郭(かたち)をうわ言のように繰り返す。

 それは言葉になっていたのかさえ判らない。


 目の前の情景が圧倒的な光に呑まれる。沁み込んでいった何かに抱かれて、何も見えない。

 ただ一面が眩い世界で、規則正しい胎動が聞こえる。

 柔らかな殻を脱ぎ捨てる感覚。


(ああ、夢が……)


 朱里は目を閉じても失われることのない光景に眩暈(めまい)を覚えながら、感じていた。


(――夢が()める)


 何も知らずにいられた、幸せなひととき。

 閉じた世界で、ただ彼への想いだけを守っていられた日々。

 全てが終わる。

 禁術は解かれ、封印は費えた。

 開かれた扉の向こう側で、届かない想いの行方(ゆくえ)が明らかになる。

 失われた真実が蘇る。


 夢のようなひとときは、今、終わりを告げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
▶︎▶︎▶︎小説家になろうに登録していない場合でも下記からメッセージやスタンプを送れます。
執筆の励みになるので気軽にご利用ください!
▶︎Waveboxから応援する
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ