第十三章:1 彼女の正体
朱里に見送られて邸宅を出た頃には、既に日付が変わっていた。
彼方=グリーンゲートは未練がましく天宮の邸宅を眺めてしまう。相称の翼について核心に近づいたという手ごたえがあったのに、ここで立ち去ってしまうのはあまりに惜しい。
「彼方、帰りましょう」
彼方の未練を断ち切るかのように、深夜の夜道から奏の声がした。彼方は思い切り後ろ髪を引かれながらも、颯爽と帰途についた白川奏の背中を追いかけた。
「ねぇ、ちょっと、奏。ここで帰るのはどうかと思うんだけど……」
彼方は自分よりも背の高い人影に並ぶと、包み隠さず気持ちを伝える。
「せっかく、形が見えてきたのにもったいなくない?」
彼方の言葉には短い吐息が返ってきた。奏は傍らを歩く妹と顔を見合わせてから、ふっと微笑む。苦笑のような嘲笑のような、心根の判りにくい笑みだった。
「形が見えてきたというのは、どういうことですか」
わざとらしい問いかけに、彼方は素直に答える。
「どういうって……。だって、委員長は天落の法について話していたんだよ?」
「それで目覚めた遥に、そのことを問いただすつもりだったのですか。そんなことをすれば、あなたは魂魄を失うことになるかもしれません」
「どうして? 別に力ずくで真相に迫るわけじゃないし、相称の翼の行方を教えろと言っているわけでもない」
言いながら、彼方はもう一度背後を振り返る。いつのまにか夜の闇に呑み込まれて、天宮の邸宅が見分けられなくなっていた。奏は無表情に近い涼しげな顔で、再び傍らの妹と顔を見合わせた。奏と雪は兄妹という絆で何かを分かち合っているのか、同時に小さく笑う。雪が身を翻して、笑いながら彼方の隣に駆け寄ってきた。
「彼方様のそういうところ、私は好きですけど」
どこかからかうような含みを感じて、彼方は眉間に皺を寄せる。
「そういうところって?」
「しっかりと確かめなければ、気が済まないところかしら」
雪の答えに、兄である奏が「違うでしょう」と横から口を挟む。
「この場合、気が済まないのではなく、そんなふうに考えることが出来ないのでしょうね」
何とも居心地の悪い感じがして、彼方はますます渋い顔を作る。
「二人とも、いったい何の話をしているの? そもそも奏は副担任の助けになりたいと伝えているわけだし、実際彼には助けが必要だと思う。僕や雪はともかく、奏には頼ってくれるかもしれないのに。だとしたら、状況によっては真相を教えてくれるかもしれないよ。天落の法を行ったのは、相称の翼しか考えられないわけだし。いくら副担任でも、あんなふうに守護を狙われたら、一人で守り抜くことは難しいんじゃないかな」
深夜の暗がりで、奏が再び小さく笑うのが判る。嘲笑うような響きはなく、頷いた気配がした。
「あなたは遥が相称の翼を守っていると、そう受け止めている。彼が強引に奪い去ったとは考えないのですか」
「――判らないけど。でも、今までの副担任を振り返ると、そんな暴挙に出るとは思えない」
「そうですか。では、遥が守っている相称の翼とは、誰なのでしょうか」
奏が意地の悪そうな眼差しで彼方を見る。彼方は苛立ちを感じながら答えた。
「だから、緋国の姫宮でしょ」
彼方の答えには、再び吐息が返ってきた。雪が隣で可笑しそうに肩を震わせているのが伝わってくる。
「質問を変えましょうか。相称の翼の現在の所在は?」
「だからっ、それが判れば苦労はしないよ。それを探るために、奏だけでも残れば良かったんだよ。副担任はともかく、委員長は素直だから何かを聞き出せたかもしれないのにっ」
地団駄を踏むような思いで強く訴えると、奏が宥めるように彼方の肩に手を置いた。
「あなたの言うように、天宮のお嬢さんは素直な方でした。素直で、きっと嘘をつけない性分なのでしょう。だからこそ、彼女の言動から導かれることがあります。彼方にとっては、既にこちらの世界での級友という繋がりが強いのでしょうが――」
奏はそこで一呼吸おくと、もう一度彼方に問いかける。
「遥が守っているのは、いったい誰ですか」
「え?」
彼方は思いも寄らない方向に途を見つけた気がして、反応が遅れる。
副担任である遥が守っているもの。こちらの世界に来てから初めて知った真実。
彼は非道な行いを演じることはなく、親友を救いたいという彼女の無謀な願いを聞き入れた。極悪に築かれていた闇呪の虚像に、見事に亀裂が入った出来事だった。
彼女の――朱里の傍らには、常に彼の気配があったのではないか。
悪の虚像として築かれた闇呪の像は、行動を共にするたびに、いつのまにか跡形もなく砕かれてしまった。
彼が一身に何かを守ろうとしているのが、伝わってきたから。
そのために生じる苦悩が、見え隠れしていたから。
今なら判る。
それが錯覚でも思い違いでもなかったのだと。
(――君が私の護るべき者の仇となるなら、その時は容赦しない)
彼が護るべき者。不自然なくらいに、強く印象に残る光景。
彼が護っていたのは――。




