第十二章:2 決意
どうして彼がこんな目に合うのだろう。どうして、こんなに傷つけられるのか。そんな想いに占められて、朱里は思わず唇を噛んでしまう。不死身であるからといって、苦痛を感じないわけではないのだ。
たまらない想いに苛まれながら考え込んでいると、背後で彼方が声をあげた。
「あ、雪。どうだった?」
朱里が振り返ると、麟華の様子を看てくれていた雪が歩み寄ってきた。
「大丈夫だと思います。朱里さん、麟華さんの様子は穏やかです。そのうち目を覚ますのではないかしら。黒沢先生はいかがですか」
「あの、先生もとりあえず大丈夫みたいです。雪さん、本当にありがとうございました」
朱里は慌てて立ち上がり、雪に向かって深く頭を下げた。
「困ったときはお互い様です」
雪は可愛らしく微笑んで、胸の前で小さく手を振る。彼方と同じようなことを言う雪を見て、朱里は少しだけ微笑ましい気持ちになった。彼らには遥を陥れるような思惑はないのだと、自然にそう思えた。
「とりあえず落ち着いたけど、僕達はもう帰ったほうが良いのかな?」
彼方は朱里ではなく、奏に問いかけた。朱里は咄嗟に口を開く。
「あのっ、もう少し、ここにいてもらえませんか」
彼方と奏が驚いたように朱里を見た。綺麗な翡翠色と灰褐色の瞳に見つめられて、朱里は思わずうろたえてしまう。彼女には、どうしても彼らに教えてほしいことがあった。遥や双子が秘めているのだろう事実。朱里は彼らが自分を動揺させないように、重要な事実を伏せている気がしてならない。
自身の素性を明かさず、無知な女の子を装って問うことは許されるはずだった。今までの経緯を振り返れば、自分が彼らの世界に興味を抱いても不自然ではない。
朱里は彼らを引き止める理由をどんなふうに伝えれば良いのか、うまく言葉が出てこない。ためらったまま固まっていると、背後から朱里の肩を叩く手があった。
「不安ですよね、朱里さん。二人ともいつ目覚めるのかも判らない状態で、何が起きたのかもよく判らないし」
雪の言葉を助け舟にして、朱里はすぐに頷いた。
「はい。あの、正直に言って一人でいるのは不安です。麒一ちゃんがいつ戻ってくるのかも判らないし。もし麟華のように、呪いをかけられて戻ってきたら……」
彼らを引き止めるための言い訳だったのに、朱里は言いながらぞっと震え上がってしまった。麒一がいつものように帰宅する保障など、どこにもないのだ。
朱里の内に込み上げた恐れは、すぐに彼方と奏にも伝わったようだった。奏がゆっくりと遥の寝台に歩み寄って、彼を眺めてから朱里を振り返った。
「そうですね。たしかに何も解決していません。あなたが恐れるのも無理はありません」
奏は再び遥を見て、彼の黒髪に指先で触れる。
「この黒髪。これが本性なのかもしれませんが、彼の身の内で何が起きたのか判りません。天宮のお嬢さん。伝えにくいことですが、私達の世界で黒(闇)は禍を意味する」
「はい、それは教えてもらいました」
朱里は緊張していくのを自覚したが、自身の正体を明かすことがないよう細心の注意を払いながら、真実へたどり着くための会話を試みる。
「だけど、私にはどうして先生がこんな目にあうのか、よく判りません。彼方や白川さんは、ご存知ですか」
彼方と奏は戸惑ったように顔を見合わせた。朱里は追いすがるように声をかける。
「彼方、知っているなら教えて欲しい。私にはもう見ていられないよ。先生が傷つくのが苦しくてたまらない」
「委員長は、……副担任が好きなの?」
彼方の声には、同情するような響きがあった。朱里は迷わず素直に頷く。彼方は「はぁ」と大袈裟に溜息をついた。応援できないという思いが伝わってくる。
「彼には、委員長よりずっと大切な人がいるかもしれないよ? それでも?」
「そんなのもう知っている。先生には伴侶がいるって聞いたから」
いつも溌剌と笑っている彼方から、嘘のように笑顔が失われていた。朱里は怯まない。遥を助けるために、自分には絶対に聞き出さなくてはならない事実があるのだ。
そのためにはどんな嘘もつける。どんな立場でも演じてみせる。
「彼方達の世界のこと、もっとよく教えて欲しい」
彼方は助けを求めるように奏を見た。奏は何も言わずただ頷いて、朱里を見つめる。
「では、私からお話しましょう」
静かな口調だったが、向けられた眼差しには容赦のない厳しさがあった。素性を暴かれるのではないかという不安がよぎる。朱里は思わず目を逸らした。
「ありがとうございます。ここは先生が休んでいるので、違う部屋で」
取り繕うように踵を返して、促すようにそっと部屋の扉を開けた。
ばれるはずがない。朱里は自分にそう言い聞かせて、再び奏を見つめた。
迷いを振り払った、決然とした眼差しで見上げる。
「違う部屋で、お願いします」
何も恐れない。怯まない。
(もう逃げてはいられない)
胸の奥底で、じわじわと強くなる想いがある。
耳の裏に残る遥の悲痛な叫びが、強く何かを揺り起こす。
(私は、――彼を救いたい)




