第十章:1 遥(はるか)と奏(そう)の対面
先頭を歩いていた彼方は、はっとしたように歩みを止めた。視界に入ってきた人影が発する気配に目を奪われる。決してこちらの世界の者が纏うことの無い感覚。まるで人目を憚るように、肩を竦めた後姿にも見覚えがあった。
副担任を演じる闇呪――黒沢遥。
天籍に在る者に通じる存在感は間違いがない。けれど、顔貌を副担任だと確信するには少しばかり距離があった。彼方は立ち尽くしたまま目を凝らし、見間違いではないことを確かめてから、背後の雪と奏を振り返った。二人は言葉にしなくても察したらしく、すぐに彼方の示した人影に注目した。
彼方は高等部の正門から出てきた人影を追いかけるように、再び歩き出す。背後の二人は無言のままついて来た。まるで緊張感が高まったことを示しているような、不自然な沈黙に包まれる。
正門から出てきたのは、彼方達にとってまさに渦中の人である。
現れた黒沢遥は、冴えない副担任らしく俯き加減でひっそりと高等部の正門を後にした。彼方は下手な演技だと苦笑したくなるが、雪や奏にあれが闇呪の素顔だと思われるのは、どこか釈然としない。彼の演技について説明すべきなのかと、場違いな思いに捉われてしまう。
学院の敷地へと続く道程には、下校する生徒の姿がちらほらと点在していた。時刻は既に五時を迎えている。冬の空はすっかり暮れていた。日中の陽射しの中では目立ちすぎる雪達の銀髪も、澄んだ闇に隠されて輝きが半減している。
帰路を進む遥はまるで寒さに辟易しているといった様子で上着の襟を立て、長身をごまかすかのように背筋を丸めていた。のんびりとした動作で、ゆるゆると歩き続けている。
彼方は遥の後を追いながら、そっと雪の様子を窺って見た。遥に対してどのような感想を抱いたのかが、素直に気になったのだ。けれど、雪はただ不安そうに彼方の上着の裾を引っ張るだけだった。彼方はそれで余裕のない雪の様子に初めて気がつく。白い手をとって、慰めるように握り締めた。奏と目があうと、彼は何も動じることがないのか、いつものように柔らかく微笑んだ。
彼方は少しばかり気を引き締めて、再び遥の背中を追いかける。
副担任を演じる遥が滞在している天宮家は、学院に隣接している筈である。遥は校門を出てから左へと進み、一つ目の三叉路を更に左へと曲がった。彼方達も遅れて後に続いたが、同じように道を左へ折れると、途端に点在していた生徒の影が見えなくなる。入った道の先には、奥まった突き当たりに天宮の邸宅があるだけなのだ。おそらく、天宮家に用向きのある者以外が、この細い道を進むことはないだろう。
人通りのない道で、気付かれないように追跡するのは至難の業である。一人ならまだしも、三人となっては不自然極まりない。
彼方が潔く副担任を演じている遥に声をかけるべきかと考えたとき、前を行く遥の足取りがぴたりと止まった。前方には、天宮の邸宅が見え始めている。彼方はようやく遥が尾行に気付いたのだと、同じように立ち止まった。遥は辺りに学院に関わる人影がないことを確かめると、わざとらしく丸めていた背筋を伸ばした。一つ吐息を漏らすような素振りが見て取れる。
彼方が見守っていると、彼がゆっくりと見返った。厚みのあるレンズがはめ込まれた眼鏡に手をかけながら、こちらへ向き合うと、惜しげもなく端正な素顔を晒す。
彼方は副担任の仮面がはがれたのだと思ったが、この局面においても、まるで緊張していない自分に気づく。不思議なほど当たり前のように再会を果たしていた。
耳に馴染む、よく通る遥の声が響いた。
「やはり君も単独で行動していたようではないらしいな。ついに仲間を連れて登場か」
素顔を隠すための小道具を上着の内へとしまいながら、遥はまっすぐにこちらを見ていた。暮れなずむ光景の中で、街頭に照らさた長身。凛と立ち尽くす姿からは、副担任の面影が失われていた。闇色ほど深くはない瞳が、やはり澱むことはなく澄んでいる。
彼方はまるでかくれんぼをしていて、ようやく鬼に見つけてもらったかのような素振りで笑ってみせた。
「なんだ、副担任はやっぱり僕たちに気がついていたんだ」
彼方が何も警戒することなく歩み寄ろうとすると、ぴんと自分を引っ張る力があった。雪が彼方の上着を掴んだまま、驚いたように遥を見つめている。
雪の表情に嫌悪は感じられない。言葉を失って唖然としている様子は、まるで見惚れているようにも見える。彼方は複雑な心境だったが、無理もないかなと思い直し、目の前の遥へ言葉を続けた。
「実は副担任に会うために、委員長の自宅を訪問しようと思っていたんだ。丁度校門から副担任が出て来たから、どのタイミングで声をかけようか迷っていたんだけど。副担任はこっちの世界であまり目立ちたくないみたいだからさ」
遥は新たな訪問者に警戒しているのか、無表情のまま立ち尽くしている。彼方は遥の懸念を払おうとして、まるで友達を紹介するような気安さで、二人の素性を明らかにした。
「副担任は知っているかもしれないけど、彼女は僕と縁を結んだ透国の皇女で、こちらの世界では白川雪を名乗っている。それから、もう一人は彼女の兄上で透国の第一皇子、こちらの世界では……」
彼方が奏を振り返ると、彼は一歩前へと進み出て自ら名乗った。
「白川奏と申します。黒沢教諭――いえ、闇呪の君、その節は大変お世話になりました」
奏は噛み締めるように礼を述べると、その場で深く頭を下げた。白露を救ったのが間違いなく遥であったのだと、奏の様子が当時の真実を明かす。
「――白虹の皇子」
遥はすぐに奏の正体にたどり着いたようだ。敵意がないと感じたのか、張り詰めていた気配をわずかに緩めたようだった。
「天落の地に、一体何用でおいでになったのか」
「あなたに、あの時の感謝の意を伝えるためにです」
奏は恐れることなく遥と向き合い、迷いなく思いを伝える。遥は意外な返答だったのか、しばらく奏を見つめてから、やりきれないというように目を伏せる。




