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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第三話 失われた真実

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第八章:5 禁断の愛

 囁くような小さな声が耳に触れる。何を言い出すつもりなのかと、(はるか)は張り詰めていく自分を感じていた。

 聞いてはいけない。遥の中で警告音にも似た焦りが高まっていく。朱里(あかり)の声に耳を傾ければ、取り返しのつかない境地へ至ってしまう。二度と後には戻れないような深さで、心を満たそうとするかりそめの世界に囚われてしまう。


「朱里、……」


 彼女の言葉を聞いてはいけない。

 遮って話を逸らさなければ。身を翻して、この場から出て行かなければならない。

 判っているのに、まるで縫いとめられたように体が動かなかった。身動きできない遥を捉まえるように、朱里が手を伸ばして腕を掴んだ。


「先生」


 頬を染めたまま、朱里はまっすぐ遥を見つめている。臆することのない、迷いのない艶やかな眼差しが遥を捉えた。禁術(きんじゅつ)に犯されていても、失われることのない見慣れた輝きがある。


「私、先生が好きです。他の誰でもない、黒沢(くろさわ)先生が好きなんです」


 躊躇(ためら)いのない言葉が、衝撃となって胸の内を駆け巡る。遥は押し寄せる感情の波を、心に高く築き上げた防波堤で凌いで見せた。

 朱里の語る言葉は真実ではないのだと。


 朱桜(すおう)相称(そうしょう)(つばさ)。黄帝に心を捧げた、輝ける黄后(こうごう)

 その証をこの目に映したことを忘れることは出来ない。金を(まと)う彼女の姿。眩い金髪と、金色の双眸(そうぼう)。間違いなく脳裏に刻まれている。遥は今にも足を(すく)われそうな甘い激流に耐えて、揺るぎそうになる心を支えた。


「朱里、それは違う。君の錯覚だ。傍にいて君を護る私がそんなふうに映るだけ――」

「違いますっ」


 何かがはじけ飛ぶような激しさで、朱里の叫びが遥の声を掻き消した。(つか)まれた腕に力が込められる。朱里は全身で訴えるように言い募る。


「だって、私は知っています。ずっとずっと、どれだけ先生のことが好きだったのか。事情はよく判らないけれど、自分の中に気持ちだけが蘇ってきて、止められない。私はずっと先生が――、闇呪(あんじゅ)(きみ)のことが好きだった。今も」


 信じられない事実を、朱里が語る。こちらの世界では、懐かしくさえ感じる自身の愛称。それを朱里の声が以前と変わることのない響きで口にする。

 どうしてと考える隙も与えぬ勢いで、朱里が胸の内を打ち明けた。


「私の中に蘇る光景があって。それは麒一(きいち)ちゃんと麟華(りんか)と、先生が一緒で。先生は私に何か大切なものを与えてくれたのに、私はまだ伝えることができていなくて。そんな情景の中で、私はずっと先生のことが好きだった。黄帝のことは、もちろん尊敬していたかもしれません。でも、好きにはなれなかった。私が闇呪(あんじゅ)(きみ)のことばかり考えていたから。――本当です」


 朱里の告白を真実だと受け止めていいのか判らない。天落(てんらく)(ほう)に苛まれながらも蘇る情景。その中に刻まれた想い。そんな都合の良い事実があるだろうか。

 どこかで冷静な自分が呟くが、その呟きはすぐに遠ざかり、激しい波に(さら)われて聞こえなくなってしまう。


 遥の中に築かれた(とりで)を、朱里の振り絞るような声が跡形もなく壊してゆく。幾重にも鍵をかけて閉じ込めていた何かが解き放たれるかのように、押さえ切れない衝動が身の内を満たしてゆく。

 手にすることができないと思っていた、至高の輝き。焦がれて止まない、愛しい光。


 あまりの煌めきに目が眩むように。

 激しい輝きが全てを覆い隠してしまう。危惧すべき未来も、祝福されない立場も、憂慮も、何もかもが光に包まれて見えなくなりそうだった。

 心が傾く。決して望んではならない未来を夢見てしまう。


「好きです」


 噛み締めるように繰り返される言葉が、遥の想いに重なって心を埋め尽くしていく。息の止まるような想いで、遥はその声を聞いていた。


「私は誰よりも、先生のことが好きです」


 はっきりと告げられる言葉。

 何度も、何度も。繰り返されるたびに、遥の抱いた淡い期待が輪郭を描き出していく。危うい幻想を止める(すべ)が見つけられない。既に朱里の想いを錯覚なのだと言いきかせることができなくなっていた。遥の決意を支えていた理由が、彼女の言葉によって打ち消されていく。


「先生」


 遥の腕を掴む朱里の手に、更に力が込められる。


「信じてください」


――信じてください。


 追い討ちのように、記憶の中で重なる声。紛れもなく、同じ彼女の声。腕を掴む力の強さでさえ、懐かしく感じるほどに。


――闇呪(あんじゅ)(きみ)。そんなふうに考えるのは、間違えています。だって、私はあなたに命を救われました。闇呪の君にとっては、それだけじゃ足りないかもしれないけれど。でも、私にとっては大きな意味があります。少なくとも、私はあなたのおかげで、こうしてここに在るんです。それなのに意味がないなんて。自分が在ることが過ちだなんて、おかしいです。


 必死に言い募る仕草は、今も昔も変わらない。

 何よりも愛しい。その光景に(たが)わず、今も目の前に彼女が在る。


――闇呪の君のおかけで、私は満たされたことがたくさんあります。私はあなたと出会えて良かった。本当です、信じてください。


 彼女と出会って、初めて生きていることを許された気がしたのだ。

 それは慈愛に満ちていた華艶ですら、決して遥に――闇呪に与えることが出来なかった輝き。

 全ての憂慮が懐かしい輝きに呑まれて、遥にはもう何も見えない。


 自分を見上げる瞳は、変わらぬ強さを秘めている。真っ直ぐに心を捉える眼差し。

 朱里に、――朱桜に手を伸ばすということが、何を意味するのか。一筋の(かげ)りがよぎったが、遥は目を逸らした。もう後戻りは出来ない。ごまかすことなどできない。


 彼女に囚われるのなら構わない。滅びることも、煉獄に身を委ねることも、奈落の底まで落ちていくことも、もう何も(いと)わない。

 この輝きに触れることが出来るのなら。


「――……」


 呟きはかすれて声にならなかった。強い力で、遥は小さな体を引き寄せる。朱里の腕がためらうことなく背中に触れた。まるでしがみつくように、強く。


「――先生」


 泣き声のような小さな囁きが、胸の中で響く。

 愛しさに占められた感情が、大きな波となって二人を攫う。共に呑み込まれ、どこへ辿り着くのか。


 判らない。


 遥は固く目を閉じて、ただしがみついてくる朱里を抱きしめる。

 先途に待ち受ける闇への恐れを見失わせるほどに、目の前の光に焦がれてしまった。

 この想いが、いつの日か計り知れない厄災と成り果てるのかもしれない。

 全てから目を逸らして、遥は彼女の想いに心を重ねた。


「ありがとう、朱里」


 何も考えず、今はただ与えられた輝きに照らされていたい。

 彼女になら心から伝えることが出来る。


「――君を愛している」


 真実の囁き。朱里がしがみつくように回した腕に力をこめた。

 通じ合う想いの果てに、どのような結末が描き出されるのか。


 二人の行く末は、誰にも判らない。

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