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シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜  作者: 長月京子
第三話 失われた真実

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第八章:4 守護の諫言(かんげん)

 唐突に開かれた扉を見て、(はるか)は目を(みは)る。現れた麒一(きいち)は突然の登場に恐縮する素振りもなく、穏やかな笑みを浮かべていた。背後に立っていた朱里(あかり)の肩を抱いて、導くように室内へ入ってくる。


 寝間着を纏ったままの無防備な姿で、朱里は泣き出しそうな顔でこちらを見ていた。その表情を見た瞬間、遥はこれまでの小細工が全て水の泡となって消えたことを悟る。


 宿直室で彼方(かなた)が言い当てたように、彼は彼女の思い違いを正す手段として、非情な振る舞いを演じていたのだ。黄帝へ捧げられた想いが迷わぬように、自分に対する恐れと嫌悪を植えつけようとした。

 遥は真っ直ぐに見つめてくる朱里の眼差しを受け止めきれず、ふっと顔を背けた。


 自分に向けられた想いを感じるたびに、遥はどんな理由もただの言い訳にしかならないことを思い知る。

 本当に恐れているのは、朱里が――朱桜(すおう)の想いが甦った時に、彼女が心を痛めることだけではない。


 何よりも恐れているのは、自分の中に芽生え始めた幻想だった。

 どんなに否定しても、目を逸らそうとしても、それは遥の中で少しずつ大きくなっていく。

 期待と言う名の、甘い毒。

 彼女の想いを手に入れられるのかもしれないという、危うい期待。


 何も知らないまま心を許す朱里を眺めていると、自分は取り返しのつかない想いに囚われて、道を踏み外してしまうのかもしれない。

 このままでは未練が期待を肥大させて、いずれ真実を見失ってしまう。


 錯覚なのだと言いきかせながらも、殺すことが出来なくなりつつある想い。どこかで強く戒めなければ、きっと彼女に手を伸ばしてしまう。

 自身の中にある危うい幻想。それを封じるためにも、遥は冷淡に振る舞わなければならなかった。自身の立場を、誰よりも自分に思い知らせるために。


 けれど、そんなふうに仕掛けた演技は既に暴かれている。麟華(りんか)との会話をどこから聞いていたのか定かではないが、朱里は全てを見抜いたに違いない。目を逸らしてからも、まるで痛みを堪えるような朱里の表情が焼きついていた。


「我が君、私も事実を偽ることには賛成できません」


 麒一は麟華のように激することもなく、穏やかに切り出した。遥は何か聞き間違いをしたのかと耳を疑う。


「おまえまで、何を言い出すんだ」


 朱里は麒一の背中にしがみつくようにして、まるで隠れるかのように俯いている。麒一は黒目がちの瞳を閉じてから、何かを確かめるように沈黙し、やがて覚悟を決めたと言いたげに強い眼差しで遥を見た。


「私には、ずっと引っ掛かりがありました。我が君もご存知のように、私は情に流されて事実を見失うほど感情的にはなれません。この本能に刻まれた我が君への忠誠が、私の考えと行動を決定すると言っても過言ではありません。今まで明かしたことはありませんが、その本能は時として我が君の指示にも勝ることがあります」


「どういうことだ」


「我が君を脅かすものを、我々は見過ごすことが出来ないのです。例えば、どれほど我が君が願おうとも、我々は相称の翼を護るという命令に心から従うことは出来ません。それが主の守護として生まれる黒麒麟(くろきりん)の本性です」


「お前達の守護としての役回りを矛盾させているのは私だ。――仕方がない」

「では、私がここで朱里に手を下しても、我が君は仕方がないと諦められますか」


 説き伏せるような口調で、麒一は厳しい事実を突きつけてくる。

 主を護る。それが黒麒麟としての正義なのだ。動かすことの出来ない、守護の摂理。心に抱く朱桜への想いは、全ての成り行きに添わない。遥は自身の守護にまで、過ちを犯していると烙印を押された気がした。


 返す言葉のない遥を、麒一は艶やかな瞳で静かに見つめている。同じ守護として、麟華も麒一の真意を理解しているのか、あるいは探っているのか。珍しく反論することなく沈黙を守っていた。


「我が君は、決して朱里をあきらめることが出来ないでしょう。彼女が相称の翼であっても、変わらずに愛しています」


 朱里が麒一の背中に寄り添ったまま、驚いたように顔を上げた。


「麒一、何が言いたい」


 遥には守護の真意を辿(たど)ることができない。麒一の言葉は、既に限度を超えた発言だった。朱里は何を言い出すのかと言いたげに、麒一の横顔を仰いでいる。


「我が君は、朱里を愛しています」

「気でも触れたか。それ以上はいくらおまえでも許さない」


 思わず虚空から剣を抜こうと手を上げると、麟華の手が触れた。


「いけません、主上。麒一の話を聞いてください」


 自分を止める麟華の腕に容赦のない力が加わった。ただならぬ守護の緊張を感じて、遥は息を呑む。麒一は背後で上着の裾を引っ張るように握っている朱里と視線を交わした。決して(あるじ)(わざわい)として朱里を敵視することはなく、労わるような優しい眼差(まなざ)しをしている。まるで朱里に事情を理解させようとしているかのようにも見えた。麒一は困惑している朱里を慰めるように肩を叩くと、再び遥を見た。


「我々は、我が君を脅かす物は捨て置けない。これは覆すことのできない本能です。朱里が相称の翼であるのならば、どれほど我が君が願おうとも、我々が朱里に心を移すことは難しいでしょう」

「だから、この場で朱里を切り裂くとでも?」


 苛立ちを隠さず問うと、麒一は首を横に振った。


「違います。私は引っ掛かりがあると、……腑に落ちないことがあると申し上げました。朱里は相称の翼です。――いずれ我が君にとって禍根となるべき者。それを知りながらも、我々は朱里に心を移している。守護としての本能は、なぜか朱里を厭わないのです。ただ我が君に命じられたまま、自然に慈しむことができる。これがどういうことなのか、我が君にも考えていただきたいのです」


 本来、守護の本能が見過ごすことの出来ない禍根――朱里を、彼らは受け入れている。

 黒麒麟が心から慈しむことができる。その事実が意味すること。


 遥はようやく麒一の意図することに気付いた。彼は自身の本能の筋道を辿りながら、最終的に麟華と同じことを示しているのだ。まさか麒一にそんなことを示唆されるとは思いも寄らない。遥は張り詰めていたものを解いたが、新たに突きつけられたことを前にして、うろたえているのを自覚した。

 これ以上、自身の中に芽生えた幻想を肥大させてしまえば、取り返しがつかなくなる。


「それは、おまえ達が朱里と長く過ごしてきたから情が移っただけだろう」


 遥の答えに、麒一は静かに頷いた。


「そうなのかもしれません」

「違うわ、麒一。同じ時を過ごしただけで情が移るのならば、我々はあの先守(さきもり)にも心を許したはずよ」


 遥はすぐに麟華の言葉を理解した。かつて誰よりも慈愛に満ちて輝いていた女人。

 忌むべき(わざわい)であると知りながら、ただ一人、闇呪(あんじゅ)を慰め、愛し、慈しんでくれた。そう信じていた日々があった。今でも色褪せずに刻まれた光景。


 美しい先守(さきもり)華艶(かえん)

 懐かしい昔日(せきじつ)を振り返っても、自身の守護である麒一と麟華が華艶に(なつ)いていた記憶を辿ることは出来ない。当時は主以外には懐かないのだと考えていたが、朱桜が現れてから、そうではなかったことを知った。


 守護である黒麒麟が心を許すかどうかは、過ごした日々には関係がない。主の思い入れにも左右されないのかもしれない。過ぎ去った日々までが、遥の想いを後押しする。


 黒麒麟が心を許す意味。

 眩暈(めまい)にも似た衝動が、心を乱す。遥が言葉もなく立ち尽くしていると、麒一が背後の朱里を振り返った。


「朱里、こちらの事情を気にする必要はない。私は麟華と共に君に情を移した自分を信じてみようと思う。朱里が我が君の力になってくれる未来を」

「麒一ちゃん」


 朱里は戸惑いながらも、迷いのない顔をしている。麒一は妹に頷いてみせると、ちらりと横目で遥を眺めながら大袈裟に溜息をついた。


「ただ、我が君は頑なだ。守護の諫言(かんげん)に耳を貸すほど甘くはないらしい。――あとは朱里から伝えると良い」


 麒一はこの状況を楽しんでいるかのように笑っている。朱里の背中に手を添えて、遥の前へと押し出した。朱里は頬を染めてうろたえているが、抗うような素振りは見せない。

 うまく状況を把握できない遥の背後で、麟華がいつもの明るい声を出した。


「やるわね、麒一」

「扉の前で朱里がやりきれないという顔をしていたからね。せっかく想いをぶつけるのなら、我が君に素直に受け止めて欲しいと思っただけだよ」


 麟華がするりと遥の隣をすり抜けて、麒一の隣で立ち止まった。姉と擦れ違いながら、朱里が頬を染めたまま遥の方へゆっくりと進み出る。

 おずおずとした足取りに似合わない迷いのない瞳が、ひたと遥に向けられた。


「先生」

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