旧友との再会
第2章 旧友との再会
10分ばかり行きて、麻衣は目的地なる喫茶店「サマルカンド」に至りぬ。築40年ばかり経たる、木造2階建ての小さき喫茶店なり。建物の端より端まではおよそ7メートルにて、左端にはオリーブの、灰色の丸火鉢のごとき植木鉢に生ひたる据ゑ、右端には丸テーブルと椅子2脚を並べたり。真中にはこげ茶色の扉ありて、ドアノブより1メートルほど上に、カタカナとキリル文字にて「喫茶店サマルカンド Самарканд」と金文字に彫りたる檜の板懸かれり。2階部分には窓の下に洗濯物懸くべき鉄製の格子あるに、白きペンキいたく剥げて赤茶色の錆浮かべり。古き建物なれど、実家に次いで慕はしく心安らぐところなりと麻衣は思ひけり。高校生なりし時は、ひと月に2回は友と帰るさに立ち寄りて語らひつつ、テーブルにノート広げて課題を解きき。
麻衣は黒き鉄のドアノブをやをら引きて、サマルカンドの中に歩み入りけり。ガラス細工の瑠璃色・白色のガラス玉に糸貫きたるが、風鈴のごとくちりんちりんと鳴り響くも、さながら高校生の時に聞きし音にたがはず。
店主の、小豆色の毛糸にて編まれたるセーター着て黒き木綿のズボンはきたる翁、奥の厨房より出で来るが、座したる麻衣を見つくるより、両目を大きく開きて麻衣がテーブルに駆け寄りぬ。
「こは清原の君にあらずや、久しう会はざりつるかな」
「や、アフメドフの主! 長く見ざりつるかな、つつがなきや」
麻衣もまた驚きて急ぎ頭をアフメドフの方に向けり。前頭部禿げ上がりて、2,3筋のしわを刻める額の下に太き眉生え、くぼみたる両目には黒き瞳光り、顔の中ほどには大きなる鼻サイの角のやうに飛び出でたり。三年その顔を見ざりしアフメドフにて違わず。ただし、兼ねてより薄き髪はなほ薄くなりぬるめり、辛うじて残れる側頭部の髪も白色混ざりたり。アフメドフは50代半ばのウズベキスタン人にて、20年ばかり前に日本に来たりてこの喫茶店「サマルカンド」を営みたり。
麻衣とアフメドフとは、再会をしみじみと喜びけり。麻衣は、相見ざる三年の間にありしことどもを語らんとするも、大学生活の思ひ出はあまたありければ、まずいづれより語るべきかを知らでつと口をつぐみぬ。
アフメドフはにはかに麻衣に尋ねけり。
「今は何年生にあるらん」
「明くる月に、4年生になんなり侍る。ただし、ゆくりなくも申し侍れど、この月に二十日より師走まで、ドイツに留学するなり」
「ほう、ドイツ!」
アフメドフは驚きて、左右の太き眉を額の方へ引き寄せぬ。
「めでたきことかな。高くそびゆるケルン大聖堂に眩まばゆきサンスーシ宮殿……。さるに、近頃ドイツにはイスラーム過激派の思想を奉ずる愚か者あんなりて、爆弾もて市民を殺すとなん。去年こぞの師走かとよ、ベルリンの市場にトラツク突き込みて死ぬる人・傷を負ふ人あまたありけるとなん。君が行く街はいかなるらん?」
アフメドフは案じたらん目もて麻衣に問ひけり。
「ハイデルベルクてふ、ドイツの南西にある街に行かんとし侍るが、大学のほかは山と森ばかりにて、いと静かなる街となん。テロのこともたえて聞き侍らざりき。『外務省海外安全ホームページ』にも、ハイデルベルクはおろかドイツ全土の地図にも、レベル1の黄色印だになければ、ことさらの恐れもあらじ。後ろめたうな思ひ給ひそ」
「さるにても、かへすがへすも心し給へ。さしたることなくは、シヨツピングモール・教会などに長居なし給ひそ。愚か者の襲ひかかりもぞする。君がドイツの地にてつつがなくあらんことをせちに祈るなり」
アフメドフはしばし麻衣が顔をまぼりけるが、首を壁の方に向けて、アラビア語にて「アツラー」と彫りたる黄銅色のレリーフを眺めけり。「アツラー」てふ文字の下には、『コーラン』の章句にやあらん、4行に渡りて文字が記されたり。そのレリーフの隣には、飴色の木の額縁、壁に懸かれり。内には青きタイルの玉ねぎ形ドームしたるテイムール霊廟の写真をぞをさめたりける。
「承うけたまはり侍り。我をば案じ給ふ心ばへはかたじけなう侍れど、かうも恐れ給ひそ。遊歴するにあらず、ハイデルベルクに居を定め、語学学校と家とを行き来するばかりなり。何も危うきことはあらじ」
清原麻衣は、今年の4月から新4年生になる大学生なり。東京の府中なる小さき国立大学にて、ドイツ語とドイツ文学を専攻す。
麻衣は親の助けを享け、この年の4月より1年間ドイツ南西のハイデルベルクに留学することとなりけり。明くる年の春にまた日本に帰りて復学すべきものと定めけり。大学に休学届を提出し、住むアパートを退去し、稲沢なる実家に帰りきたれり。
自転車に乗りて稲沢駅西口より10分ほど漕げば、近頃萌出でつる淡き緑の草に覆はるる田と、かまぼこ型のビニールハウス連なる畑とが広がるあたりに至る。その田畑の中に、島のやうなる小さき住宅街あり。麻衣が実家はその住宅街の中にありけり。素封家にはあらねど、稲沢にある家々の中にては比較的裕福なる類に入れりて、45坪ばかりの土地に築13年2階建の家を構へけるなり。麻衣には、父母と4月に高校2年生になるべき妹とあり。父は大手の保険会社にて営業部長を務む。母は市立図書館の司書にして、日々三人の食をこしらへ、服をベランダに干し、部屋を掃く。妹は、姉麻衣とは異なりて稲沢市内の公立高校に通ふ。名は祐実なり。日々バレー部の練習に励みて、7時より前に家に帰り着くことまれなり。ひととなりは明朗快活にして、食卓にて親・姉と語らふ時も学校の昼休みにクラスの者とののしる時も、「あははは」と笑ふ声ぞ高き。部活なき日曜日は友どち4,5人と名古屋まで出でて遊ぶ。麻衣が東京に行く前は彼と言ひ争ひ・仲違ひなどすることも少なからずありけれど、常は懇ろにて、月に一度はふたりして駅の東口より徒歩より20分ほどかかるアピタに行き、喫茶店の机を挟み向かひ合ひて、カフエオレ片手にパンケーキ食ひつつ日ごろありしことどもを語らふを互ひに常としけり。
麻衣とアフメドフとは、3年の間にありしことどもをあれやこれや語り合ひけり。そののちに、アフメドフは何かを思ひ出したるやうにて、麻衣に問ひけり。
「あなや、昔語りに興ずるあまり、注文承ることまたく忘れぬ。つつましう侍り。飲み物はいづれを選び給ふ」
アフメドフは、右手に携へたるメニユーの飲み物のページを開きて、両手もて麻衣が机にそつと据ゑけり。
麻衣は「ふははは」と笑ひて、
「いないな、かばかりのこと何かは苦しかるべき」
といらへて、メニユーに目を遣りけり。レモンアイステイー・ジヤスミンテイー・ラツシー・シルクロードチヤイ……。誂ふべき飲み物を選りて定めんとてしばらく眺めけるも、
「ああ、いづれにせんか定めがたし、しばしこそ待ち給はめ、定めてはその時に呼びたてまつらん」
といらへければ、アフメドフは「承り侍り、ゆつくり考へたまへ」と言ひて再び奥の厨房へ引き込みぬ。
麻衣はカタカナの連らなる飲み物のリストを上から下へ眺めつつ、茶色のハンドバッグより iPhone を取りて人差し指もて画面を撫づ。表紙の下なるメールのアイコンに「1」とて未読の通知あり。メールのアイコンを開けば、高校の時の友人佐久間恭一より消息あり。
佐久間恭一
宛先:清原麻衣
2017/03/13 10:52
ちゆら
つつがなきや、佐久間に侍り。
名古屋にて会社説明会ありき。やうやう果つれば将に行かんとししかど、名鉄に人身事故ありて1時間遅れとなりぬれば、「サマルカンド」に至らんも1時間ののちなるべし、許し給へ。
佐久間
「ちゆら」は、麻衣があだ名なり。彼が生徒会にありし時に恭一が呼びそめし名なり。恭一いはく、沖縄のことばに和語の「清きよら」にあたる語あり、そは「ちゆら」なりと。苗字「清原」より「清」を取りて「ちゆら」とは呼ぶなり。恭一は麻衣に劣らず書を読むことを好みしに、彼は人の読まぬ文学全集・民話・漢籍・哲学書なども図書館より見つけ出しつつ読みあさりき。そが内には『おもろさうし』『琉歌百控』など沖縄についての書もありけん。恭一が満足げなる笑みを頬に浮かべつつ「やうやう見出したるよ」と言ひて、麻衣が目に分厚き漢籍を示ししさまを思ひ出せり。恭一が見する書はしばしば、ページの枯葉のごとく萎び、あるひは表紙の埃まとへる古き書なりき。はじめは「ちゆら」と呼ぶ者は恭一のみなりしが、恭一が生徒会に入り浸るに伴ひて、生徒会の他の者も麻衣を「ちゆら」と呼ばひき。
佐久間が1時間も遅るる旨を知りて、麻衣は心の中にひとり「あなにく」とうそぶきて、「はあああ」と力なくため息をつきけり。メールを閉ぢて LINE をぞ開く。画面の上に陳衛平がトークルーム上がれりて、
江南駅よりサマルカンドへ行くさなるが、かねて思ひつるよりサマルカンドは遠しと思ひ至りぬ。5分の後に着くべし、許し給へ。 <m(__)m>
てふ言葉あり。画面上の時計は 10:53 を示せり。刻限は11時なれば、麻衣は
急くことあらじ、気長にこそ待ため、おほどかに来よ。
といらふ。陳もまた、高校生なりし時の麻衣が友にて、佐久間恭一とともにこの日逢ふことを契りき。留学する前に懐かしき友の顔を見ん日は今日のみ。
麻衣は再びメールを開きて、佐久間にも応ふ。
清原麻衣
宛先:佐久間恭一
2017/03/13 10:54
恭一
あなや~( ノД`) 今日は君が顔こそを見めと思ひしを。君が来ぬ1時間は4時間5時間にも似たり。されどもな急ぎそ、おほどかに来よ。
ちゆら
恭一を責むるに似たる文書きしかばつつましく思はれて、末の文を加へつ。我は親の財を享けて遊学する身なれど、恭一は馴れつる実家を離れて独り立ちする準備をするなり。テレビのニユースにて、紺のスーツと白のワイシヤツに身をやつして都会の歩道をせはしげに歩く人の群れを見しことありしを、恭一もまたその群れの中のひとりにならんとするなり。彼も我も、小学校6年・中学校3年・高校3年・大学3年と親に養はれて世を渡り来しを、近きうちに独り立ちすべき時来ざるべからず。我がその上に依りて進み来し道はやうやう狭まりて、つひには途絶えるなり。当然の理にはあれど、麻衣は今はじめて知れらんやうに思ひて、ゆくりなく心細くなれりけり。
扉の方より、ガラス細工の「ちりんちりん」と揺れて鳴る音聞こゆ、まらうどなんなり。陳かと思ひて首を右に向くるに、果たして陳来たれり。顔は紅潮して、しきりに「はあはあ」と息を切らしたり。男にしては髪長くして、両耳は髪に半ば隠れたるさまは見慣れたる陳なりけれど、眼鏡の、フレーム薄く四角のレンズなせるを掛けたり。陳の眼鏡まとふを見るはこれが初めてのことなりけり。灰色のパーカーを前開きに着て深緑色なるリユツクを背負ひ、黄土色なる綿のズボンをはきたり。
懐かしき友をまた見るうれしさに、麻衣は両目を輝かせ声を弾ませて叫びぬ。
「わあああ、陳よ、久しう見ざりつるかな」
「ああちゆら、はあ、いかにも、はあ、去年睦月の高校の成人式に逢ひし以来なりな。かうも待たせたればかたじけなし」
「いないな、わづか10分ばかり待ちゐたるのみ、さらに苦しからず、いで、ここに座り給へ」
麻衣は立ち上がりて、陳が為におのれが向かひ側の椅子を引きけり。陳はおもむろに座しつ。陳が顔をよく見れば、額には汗にじみて顔はほの赤し。
「君、江南駅よりここまで走り来たれるか?」
「然り、いやはやまだ弥生の半ば頃なるに外暖かなれば、少し走ればたちまち暑くなりぬ。実に暖かなる日にこそ」
「さりさり実にこそ。我も道を歩きし時に、あまり暑うなりぬれば、コートを着つづけかねて畳みき。今朝のテレビの天気予報によれば、昼間の最高気温は23度を越ゆべしとなん。ほんの1週間ほど前は昼も寒かりしかど、今や春もいよよ近づきにけりな。さるにても君、この眼鏡は新しきものなるらん」
「然り、裸眼にても右1.0 左1.3 はありし我が眼も、時の盛りをとどみかねて眼鏡あらではかなはぬまでに落ちぬ。去年11月に眼鏡市場にて買ひき」
「値はいかほどなりけん」
「まさに1万円なり。店員に『この頃流行る眼鏡はいづれぞ』と尋ねしかば、この眼鏡をば渡しき。まあ悪き眼鏡にもあらず、買ひし日より好み用いゐるなり」
「我も、こは形良き眼鏡とぞ見ゆる。よくよく大事にし給へかし。さるにても、君が来る前に佐久間よりメールありて、会社説明会ありけるに名鉄に人身事故あれば遅延すとなん。ここに着くは1時間ばかり後なるべしと」
「ああ、そは口惜しきことかな。今日は江南駅より一宮駅より名鉄バスにて江南駅まで行きしかば、遅延のことはつゆ知らざるなり」
ふたりはあひ見ざる間にありしことどものあれこれを語り合ひけり。
「さるにてもちゆら、悲しき報しらあり」
「へ、何ぞ?」
「留年確定せり」
「ふあえええ!? あなや、そはいかに憂きことならん、君が心の辛きを思い量るなり。さるに、君いかに留年せし?」
麻衣はあさましうて、惑ひ上ずる声して陳に問ひけるを、陳は何事もなかりしやうに、泰山たいざんのごとく落ち着き払ひていらへけり。唇には笑みさへ見ゆ。
「我をば案じ給ふ心ばへかたじけなし、されどこは自業自得てふものなり。サークルに身も心も時間も金も奉ずるあまり、授業に行くことレポートを出すことおろかになりゆきて、つひにはまたく行かずなりぬ、あははは」
「『あははは』にあらず、いと労いたはしきことなりな、いかに父君母君には聞こえし?」
麻衣は両眉を寄せ、せちに憂へる目して陳を労いたはるさまを装へど、心の中にはみそかに、おのれと同じ者のいる者のあると知りて、なかなかに心やすく思ふなりけり。成績不順ゆえにあらで留学ゆえなれど、麻衣もまた留年の定まれる身なりければ。
「果せるかな、いかめしう叱責されにき。『汝が為に払ひし学費をばどぶにうちやりたるか』などと母は我に叫びぬ。父も『不孝者』とて我が頬を打たんずれど、とまれかうまれ『次の年は必ず授業に出づべし』と約して事は収まりぬ。さるにまた一年長くモラトリアム得たると思へばなかなかに楽しき心地こそすれ。バイトありといへども、サークルなど勉学など、ひとつの道をひたぶるに打ち込むに宜しき時は、ただ大学時代のみ。無論親には余計の費へを負はするといへども、自由時間の長うなることはよろこばしきことにあらずや。麻衣、君もまた留年すべければ、我が心はばやすくわきまへつべし」
陳の留年を肯定するを聞けば、麻衣は心の憂へも忘れて「実げにも実にも、むべなるかな」としきりにうなづきつつも、「ただし君のやうに成績かんばしうなくて留年するにあらず!」とつけ加へたれば、ふたりは「わははは」とうち笑ひぬ。
陳は名古屋市内の国立工業大学の機械工学科に通ひけり。この大学は厳しき聞こえありて、実験レポートは切に取り組むとも「再提出」の刻印捺さるること珍しからず、試験も1年次の必修科目なるに難くて、再試を受くる者少なからず。
陳は留年に至るまでのいきさつをしみじみと語りけり。
「初めは深き考へもなくて合唱団に入りしかど、声と声とが合ひ重なりてひとつの音となることのをかしうて、また発声を習ひ励むうちに我が身体よりのびのびと声出でゆくことのおもしろうて、教室に行かで音楽室に行く日のみぞ重なりぬ。教科書とノートに向ひて微分積分のあぢきなき計算式を連ぬるよりも、楽譜広げて音取りするぞ楽しき。そのうちサークルの部長にもなりぬれば、レポート書かで指揮者の先生にメール遣すことのみ重なりて、留年するに至れり」とぞ。
麻衣は陳をからかはんとする調子にて彼に言ひけり。
「さるにても、国立の工業大学なれば、留年するとも就職するにつゆ障さはりはあらじな、羨ともしきかな」
陳はぴたと笑ひを止めて物憂き顔に変じ、目線をおのが両手の方へ下げにけり。3秒ほど間を置きて、ため息交じりにうち出しけるやう、
「うむむ、さしもあらざるなり。確かに、理系なれば文系学部と比べて就職しやすしとは聞けど、去年、サークルの電子工学科の先輩は、成績いとめでたき人におはするに、7月になるまで内定をえ得給はざりけり。もつともその先輩は世の覚え高き人気企業のみぞ選りて応募しける。さすがに、近頃は工学部といへども就職をあなづるべからず。同じサークルの情報工学科の先輩も、面接はおろかエントリーシートだに易くは通らずとぞ嘆き給ひし。我が同期のうち2人も、2月末に入りて『就職のため調ふべきことあり』とて休部しき。我も先のことを思へば、胸つとふたがりて、いかにもわびしう後ろめたうおぼえてかなはず。夜ベツドに横たはる時、我が身の行く末をつれづれと案じて、部屋の闇の中に、身の細らんずるばかりに思ひ屈くんずることあり。いはゆる『メンヘラ』てふ者なりな、ははははは」
陳は乾きたる笑ひ声もて自嘲すれど、麻衣はさらに笑はず。麻衣は陳の言葉を聞きて、再び彼が来る前の漠漠たる不安へと連れ戻されけり。就職に利ありと言ふ理系でさへ必ずしも良き仕事に会ふべきにあらず、いはんやしばしば「要なき学問」とて誹りを受くる文学専攻の我をや! いつか必ず、年頃頼み来つる父母の懐ふところを離れわが身ひとつにこの世を渡らざるべくもあらぬに、我はいかなる仕事につきてか口を糊せん? 我はいかになり行かん? 麻衣は、歩き来し道の先の霧と闇に閉ざされて何も見えざらん心地しけり。
陳は麻衣のいぶせくふさぎぬるも知らで、なほも続けけり。
「君、佐久間がツイツターアカウントを知れる? 彼も近頃は文学・日本語学についてのツイートを忘れて『もし働くべき会社にめぐり会はねば、いかにせまし?』『学内の合同説明会に出でつ。特にここにこそ働かめなどと思ひ定むべき会社なかりき』『SPIの問題集買ひ来しが、計算問題難くて時間内にえ解ききらず、いとわびし』などと連ねたり。佐久間も不安に困ずめり……」
恭一もまた就活に惑へると聞きて、麻衣は彼を労しと嘆きけるが、また同時に、おのれの受くる恵みの余りたるを思ひて、あたかも何か悪しきことなしたらんやうに心苦しくなりにけり。我はさしも骨折らざるに父母より留学費用120万円をば与へられき。内20万円はアルバイトによりて自ら貯へし金なれど、残りはさながら親の金なり。また、留学にも苦しきことありといへども、就活と比べば荒び事にも似たり。我は相応の働きもせでドイツに遊学する身なるに、時を同じくして、我が友は親に甘やかさるることもなく、とつ国のめづしらき歴史遺産・景勝を夢に見ることもなく SPI の対策に力を注ぎ、着慣れぬスーツまとひて説明会に足を運ぶなり。麻衣が心は、針もてちくちくと突き刺すがごとき劣等感・心やましさに苛まれけり。麻衣は物も言はで、おのれの指先を見つめたりけり。
陳はやうやう面を挙げて言ひけり。
「ただし、彼ならば必ず成し遂げんとこそ我は思へ」
麻衣も彼の言葉を聞きて、まことにしかなりと思ひて、またまことにかくもがなと思ひて、
「然り、我ら高校2年生なりし年の文化祭に、劇部・吹部の合同発表会を成し遂げしは佐久間なり。不器用なれど志ある人なれば、いかがはたやすく屈すべき。 Kurz bevor die Sonne aufgeht, ist die Nacht am dunkelsten」
「ふへ?? 我ドイツ語はつゆも知らず、いかなる意味なるらん?」
「日のまさに昇らんとする時にこそ、夜の闇は深けれ。日本語の『明けぬ夜はなし』に似たる諺ことわざなり。大学のドイツ人の先生が教え給ひし言葉なり」
「ああ『明けぬ夜はなし』、我も好む諺なり。いでや、麻衣のドイツ語はいみじ、我はこの諺をいかに英語にて言ふかも知らぬに」
「かたじけなし。あらず、我はいまだ、知らぬ単語を見ることも稀ならず、心に思ふことをテニヲハ正しきドイツ語にて言ひ出すこともたやすからず。いまだ数ならぬ身なり。この諺は、我も英語にていかに言ふかはつゆ知らず」
店の中には、うら悲しきロシア民謡の BGM 流る。あるじアフメドフは民謡を好みて、常にウズベキスタンやロシアの民謡を壁のスピーカより流すのみならず、彼自らアコーデイオンを奏でつつそれらの歌を歌ふこともありけり。
それまでの曲果てて、うちつけに勇ましき軍歌始まりぬ。
麻衣は目をまるく見開きて軽く「あ」と叫びぬ。
「こは『心騒ぐ青春の歌』にあらずや! ああ、懐かしの調べかな。栄成祭のためにすいか割りの道具とパンフレツトを調へし夜、佐久間と歌ひき」
「ほう、栄成祭前の夜に」
陳は、麻衣の佐久間との思ひ出こそつゆ知らね、高校生なりし時はしばしば「サマルカンド」にて課題することありしかば、このメロデイーに覚えありて、ルルルルと口ずさみてみぬ。
麻衣の心には高校2年生の文化祭思ひ出だされて、その時にありしことどもを陳に語り出しぬ。
「すべての事の起こりは、5月つごもりにありし生徒会会議なりけり」
「然り然り、佐久間より繰り返し聞きつ。会議はかどらで、長谷川先輩が非常手段に訴へけるとかや」
5年前の文化祭のことは陳にも懐かしく思ひ出されて、ふたりはうなづき笑まひしつつ、昔語りにふけりけり。