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【6】
翌日、菊花は縁側に座って、白猫を愛でていた。本来は学校で授業をうけていなければならない頃なのだが、当主の計らいによって、休んで体調を回復させるよう使用人を通じて申し渡されたのである。といっても、体調は朝にはほぼ元通りになっていた。念のため、くだされた判断だった。
空は細かな雲まじりに晴れ渡り、爽やかな風が吹いている。
腹を撫でられた白猫は心地よさそうに目を細め喉を鳴らしていたが、急に目をぱっちりと開くと、慌てたように屋敷の奥へ駆けていった。
「……ミナツミか?」
当主でさえも礼を尽くすような相手を呼び捨てるとは、随分と不遜な態度である。その視線の先には、指摘されない限り見逃し兼ねないほどの小さな変化だが、空気の揺らぎが生じている場所があった。
菊花は寝そべっていた身を起こすと、縁側からサンダルを履いて庭に出た。近付かれると揺らぎも逃げる。そこに透明ななにかがいるのは確実なように思われた。
「な、なぜ、分かったのだ」
追いかけっこはしばらく続いたが、やがて観念したらしく、揺らぎは正体を現した。推察されたとおりの人物である。ミナツミは昨日の出来事を気に病んでいるのか、菊花が距離を詰めようとすると、「ま、まて、それ以上、近づくな!」と悲痛な叫びを上げた。
「……気にするなって」
しかし、菊花は耳を貸さない。躊躇なく大股で歩み寄ると、ふたたび逃げられるより早くミナツミの手を掴んでしまった。
「ほら。ぼくには、これくらいなんでもない。昨日はちょっと、油断しただけだ」
そう口では言っているものの、首筋に一滴の汗が伝っている。
「……馬鹿者」
力が入らない状態にあったのか、菊花の手はいとも簡単に振り解かれた。それでも、気持ちは通じたのだろうか。ミナツミは瞳を潤ませて、嬉しそうに微笑んだ。
「無理して、この手をとらずともよい。もう……逃げたりはせぬ」
「……なら、いいけど」
認めないかもしれないが、ごく短時間の接触にも関わらず、菊花は立っているのも辛いほどに消耗しているように見えた。
休ませてやろうとの思惑があるのか、屋敷に向けて歩き出したミナツミに、菊花もついていく。
「すまぬな」
ミナツミは歩調を緩めていたが、隠しようもなく菊花の息は乱れ始めている。だが、申し訳ない気持ちに駆られたとしても、手を貸すこともできないのだ。「謝られる覚えなんて」と、とぼけようとした菊花の言葉を、「まぁ、聞け」とミナツミは遮った。
「以前にも一度、おぬしには触れたことがあったな。……あれは、おぬしがこの屋敷に来てすぐだったか。三日三晩、熱がさがらず難儀であったろう。わしは……あのときから、なにも成長しておらぬ。生まれ持ったさがなのかもしれぬが……この身がただ人の害になるというのは、分かっておるのに。興奮して頭に血が上ると、そのことを忘れてしまうのだ」
悄然と肩を落としている。ミナツミが傷ついているのは間違いないが、「ぼくは……」と菊花が口にすると、慰めはいらぬとばかりに首を横に振って拒んだ。
「……菊花よ。おぬし、三人もの死者と関わりを持っておったこともそうだが、他にも隠し事があるのではないか? わしは、それで焦って……いや」
思うところがあるのか、途中で言葉を切ると口を噤む。
屋敷の縁側まで戻ってこられた菊花は、「養生せよ」の声に振り返ったが、ミナツミはいなくなっていた。