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【4】
外装と同じく、黒で統一された車の内装はやはり高級品で固められていた。後部座席のシートも沈み込むように柔らかい。
運転席に座った男は横幅が広めのルームミラーで菊花がシートベルトを締めたのを見ると、サイドミラーで安全を確認して、慣れた手つきで車を発進させた。厳守された安全運転は渋滞を引き起こし兼ねないほどにのろのろとしていたが、因縁をつけられる危険性を予感してしまうのか、追い越しを試みる車はない。
何事もなく車は走行を続けていたが、車内に満ちる沈黙を嫌ったらしく、倦怠感を漂わせながら菊花が口を開いた。
「ミナツミもそうだけど、当主も過保護だよな」
と思えば、上役らしき人物への暴言である。単純に相槌を打つわけにもいかず、男は困った表情を浮かべた。
「渡良瀬まで寄越してさ。聞いてるぞ。昨晩は仕事だったんだろ?」
「えぇ、まぁ。でも、お嬢になんかあったら、そっちの方が問題なんで」
優先順位は弁えているということなのだろう。とはいえ、休みたい気持ちもあったに違いない。どっちつかずで曖昧な口振りになっている。
そんな、へりくだった態度が気に食わなかったのか、菊花は眼差しを険しくした。
「ふたりきりのときはお嬢とは呼ぶな。約束しただろ」
「す、すいやせん。菊花……さん」
歳は離れていても、目上の人物であると理解しているらしい。渡良瀬と呼ばれた男は、躊躇いがちにその名前を口にした。すると、「よし」と頷いて菊花は笑顔になる。身分違いの恋人関係なのではないか、と想像を働かせてしまってもおかしくないが、続く言葉はその期待を裏切っていた。なんと、「前にも言ったけど、ぼくは男だ。忘れるなよ」などと言い出したのである。
「確かに、ぼくの体は女だ。けど、裸を見られてもどうとも思わないし、無防備な女の子の姿に欲情することだってある。紛れもなく……ぼくの心は、男なんだ」
冗談めいた雰囲気ではない。菊花は性同一性障害に悩み、あるいは血を吐くような苦しみを感じているのかもしれない。
そんな内心を吐露するからには、渡良瀬にそれなり以上の信頼を寄せているのだろう。しかし、彼は「俺ぁ……」と言ったきり黙ってしまった。返事を期待したわけではなかったのか、疲れたようにシートに背を預けて、菊花はまぶたを閉じている。
十分以上は経ったころ、渡良瀬はようやく考えがまとまったようだ。
「俺ぁ、お嬢……じゃなかった、菊花さんの実力を認めているんです。偉ぶった物言いになっちまいますが、まだ子供だったあんたに命を救われた恩は忘れちゃいません。その……今日の迎えも、本当は美也子の奴が命じられてたんですが、頼んで代わってもらったくらいで。あ、いや……菊花さんの実力を疑ったわけじゃないんです。ちょっとでも、お役に立てればって……だから、なんていうか」
と、熱心に話していた渡良瀬がルームミラーに目をやると、後部座席の菊花は体を横たわらせて本格的に寝入っていた。彼はもどかしげに唸って頭を掻いたが、菊花は耳まで赤く染めて、さらには頬を緩めていた。照れくさくなって、寝た振りをしているとしか思えない。目的地に到着するまで、菊花は演技を貫き通したのだった。