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海沿いに建てられた三つ葉学園は、原則十八歳までを入所期間として定めた、児童養護施設だ。卒園後は社会に巣立っていかなければならないのだが、例外として里親になりたい、養子として迎え入れたいという話が舞い込むこともある。
鮎澄菊花は、大勢いる児童や職員に馴染もうとしない子供だった。入所は七歳のとき。大々的に報じられた飛行機事故の唯一の生存者だった。
当時は報道番組などの取材の申し入れがひっきりなしにあったが、少女の心理的な問題を理由に施設長は頑としてこれを拒否。インターネット上に流出した被害者の写真がとてつもない美少女だと話題になったりもしたが、やがては世間の関心は別の凄惨な事件に移っていった。
その美貌もさることながら、菊花には異質な部分がみられた。ふと気づくと、部屋の隅などの何もない空間をじっと睨んでいるのだ。どうしたのか、と尋ねられても、無視するか首を横に振るくらいで、まともな受け答えを返さないために周囲からは気味悪がられていた。
また、彼女の入所と時を同じくして、得体のしれない他者の気配を感じると騒ぎ立てる者たちが児童の中に現れ始めた。幽霊ではないか、との噂も広がりを見せ、施設長の頭を悩ませていた。
そんなとき、養子縁組をしたいと申し出る黒服の人物が施設を訪れた。長身で贅肉のないすっきりした体格の青年である。飯縄治孝と名乗り、短く刈り上げた髪と爽やかな笑顔が印象的な彼は、鮎澄菊花の母は自分の姉なのだ、と事情を説明した。姉は家族と折り合いがつかず、絶縁同然で家を飛び出し、愛した人と一緒になって娘を産んだが、この度は不幸な結果になってしまった。姉に代わって、残された娘を幸せにしてやりたい。
治孝の真摯な訴えに施設長は心を動かされ、はっきりした菊花本人の意思確認もとらずに、養子縁組の手続きを進めると約束してしまった。そして、当初は渋っていた菊花も、度重なる周囲からの説得にあい、鮎澄の姓を捨てなければならない現実を受け入れたのである。